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「えこひいき」を特別視せず、人として当たり前のコミュニケーションをする

■ 「えこひいき」を批判してもメリットはない


昨日は「えこひいき」に対して、多くの人が何となく良い印象を持てない理由を綴ってみた。

この「えこひいき」だが、私は個人的に肯定的である。

とは言っても、別に「えこひいき」を推奨しているわけではない。
「えこひいき」があるということは、何かしらの魅力がある人がいるのだろう、という意味で肯定している。(その判断基準はさておき)

ただし、それは「えこひいき」する人の視点と「えこひいき」される人の関係であって、それを見ている周囲としてはそうは思わないことがある。
そして「あいつは何の実力もないのに、部長から『えこひいき』されてる」などの陰口が出ること集団ではよくある話だ。

しかし、仮にそれを当人たちに伝えたところで、「えこひいき」している人は評価を改めることはないだろうし、「えこひいき」されている人は何となくバツが悪い気持ちになって終わるだけだ。

よく「人は変えられない」というが、それはその通りだと思う。いくら「えこひいき」を指摘したところで、その当人たちが考えや振る舞いを変わることはない。

つまり、「えこひいき」を批判をしても、その批判をした「えこひいき」されていない人にプラスになることは1つもない。

ネガティブな感情を吐き出して「言ってやったぜ!」とスッキリできても、そんなものは一時的な話であり、また類似の感情が湧く。ならば、「えこひいき」している人・されている人に目を向けるのは不毛であると言える。


■ 「えこひいき」なんて他人事


上記で「人は変えられない」と書いたが、それに続く言葉として「自分は変えられる」という言葉もよく使われるが、これも真理である。

となると、「えこひいき」を批判するのではなく、自分自身が「えこひいき」される人になることに時間とエネルギーを注いだほうが有益である。

・・・が、このように言うと「自分が「えこひいき」されるのは、何だか気が引ける」と思われる人は少なくないだろう。

何も他の同僚やメンバーを押しのけて、上司などから特別扱いされるようになることを提唱しているわけではない。

大切なことはまず、「えこひいき」の場面を見ても、自分には関係のない話として捉えることだ。

そうしないと、いつまでも「えこひいき」の場面に立ち会うたびにストレスを感じてしまう。
また、意図せず自分が「えこひいき」のような扱いをされたり、ヒーロー扱いされたときに、有頂天になったり戸惑ってしまうと失敗を誘発する。

そうならないためにも、「えこひいき」を見てネガティブ感情が湧いても、「自分は自分、あの人たちはあの人たち」と割り切る習慣を持ち、「えこひいき」というものが特別なことではないと思うことが第一歩である。


■ 当たり前のコミュニケーションするだけ


「えこひいき」は特別なことではないとすると、特別扱いという意味から前日の記事と矛盾するようだがそうではない。

まず、「えこひいき」とは偶発的に「この人を特別扱いしてやろう」「ある日を境に特別扱いされた」として生じる関係性ではない。

もちろん、上司などが何かの気まぐれで突発的に「えこひいき」することもあるかもしれないが、「えこひいき」も人間関係であるため、ある程度のコミュニケーションが必要であることを念頭においていただきたい。

つまり、「えこひいき」が生まれるには、「えこひいき」される人が何かしらのコミュニケーションをしてきたからこそ、自然に「この人を特別可愛がってあげたい」という気持ちが湧くのだ。

では、「えこひいき」に通じるコミュニケーションとは何か?

① 自分から挨拶をする
② 相手の話をちゃんと聞く
③ 求められたとおりの成果を出す


・・・これだけだ。
挨拶においては「明るく笑顔で」ができればなお良い。

何だかあたり前のことばかりだが、特に仕事においては重要な要素である。
「えこひいき」をされている人を見ると、愛嬌が良くて、素直で、仕事に前向きに取り組んでいるものだ。

もちろん、求められた成果を出すためには一定のスキルも必要だし、職場内外での連携やコミュニケーションだって大切になるが、礼節が備わっていて素直に相手の話を聞ける人ならば自然に養われたり、至らない点は周囲がフォローしてくれる。

一方、これらができていない人は「えこひいき」されない。
不条理な扱いはされないにしても、特別扱いされるとはない。
なぜならば、周囲から何とも思われないからだ。

逆に言えば、挨拶をして、人の話を聞いて、求められた要望に応えようとする姿勢があれば、徐々に周囲から一目おかれるようになるということだ。


■ 「えこひいき」のカタチは1つではない


では、上記のような姿勢を意識すれば、「えこひいき」される自分に到達できるのかと言えば、そういうものではない。

前日の記事でもお伝えしたように、「えこひいき」とは「えこひいき」している人・されている人以外の第三者の観測によって成立する。

つまり、当事者たちは「えこひいき」している・されていることに気づいていないことが多い。それは自分が「えこひいき」されたときも同様である。

そもそも、「えこひいき」のカタチは1つではない。

「えこひいき」というと、可愛がっているとか、露骨に評価が違うといったイメージがあるが、そのようなカタチは少ないと思う。

具体的にどのような「えこひいき」があるかと言えば、例えば・・・

 ・会議の場で自分の意見に賛同してくれる
 ・気難しいお客さんの営業をこっそり教えてもらえる
 ・落ち込んでいるとき話を聞いてくれる
 ・周囲には言わないプライベートの出来事を話してくれる

・・・と言ったことだ。
仕事において心強いこともあれば、何気ない心遣いに気持ちが安らぐこともある。思わず笑ってしまうこともあるかもしれない。

―— このように、「えこひいき」というのは特別なことではない。
誰でも当たり前のコミュニケーションをとっていると警戒心が解かれ、それ以降も誠実に向き合っていると協力したくなるのが普通だ。

だからこそ、挨拶や人の話を聞くこと、相手の期待や求めにまず応えるという姿勢をすることが重要である。
そうすると、意図してなかった瞬間に、特定の相手や周囲から、そのときの状況に応じた「えこひいき」が出てくるのである。

そのときはその好意をありがたく受け取り、それ以降も当たり前のコミュニケーションを続けることが大切と言えよう。

ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。

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