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人間関係は日によって変わる。仲良くなったと思った翌日に塩対応されても、落胆しなくていい

■ 「仲良くなった」と思った翌日に塩対応


苦手意識があった相手と何かのきっかけで仲良くなることがある。

そのときは急激に仲良くなった気分になるし、相手もきっと同じように思っていると思い込んでしまう。

しかし、その盛り上がりはその場限りということがある。仲良くなったと思った翌日にそのときと同じテンションで話しかけたところ、そっけない態度をとられて「あれ?」と気まずくなる。

それは例えるならば「塩対応」を受けたかのような気分。

特に飲み会などのアルコールが入った状況や、共通の話題で一気にボルテージが上がったときに顕著だ。その場では盛り上がったけれど、その場を離れたら急速に冷めてしまうのだ。

これが両方とも冷めてしまうならば、翌日には以前の距離感に戻ったり、ときどき思い出したように盛り上がるかもしれない。しかし、その場の熱が冷めていないままの側は「あの人と盛り上がりたい」と思ってしまうことからそのときのテンションで話しかけてしまい、逆に相手から距離を置かれる。

まるで一夜限りのアバンチュールを引きずってしまうような状態だ。


■ 「仲良くなった」の判断は曖昧


一時的とは言えその場で盛り上がったのに、翌日には同じ距離感や関係性になったり片方に気まずさが生じるのだろうか?

それはおそらく「その場でお互いに盛り上がった」ということと「お互いに仲良くなった」ということは違うからだと思う。

そもそも「仲良くなった」ということは何をもって判断されるのか? それは非常に曖昧な関係性だ。「友達って何?」という問いかけに近い。

少年漫画などでは「俺たちは今日から友達だ!」「何言ってんだ? もう友達だろう」みたいな台詞があるが、現実ではこのようなことはない(あったら素敵なことだ)。

仲良くなったとか友達になったとかいうのは気付いたらそういう関係になったという結果論であり、双方の認識に多少の差はあれど「まぁ、仲いいと言えばいいよね」くらいの感じだろう。

そのため、その場で盛り上がっても「仲良くなった」と思うのは早計と思ったほうが良いかもしれない。


■ 翌日には関係性がリセットされる認知症


認知症の高齢者と関わっていると、いわゆる「そのときは仲良くなったと思ったのに、翌日には塩対応」みたいなことがある。

それは認知症における記憶障害の1つであり、前日どころか数分前に楽しい出来事があったとしても忘れてしまうことは珍しくない。実際、施設に毎週ご家族が面会に来ても、「何年も会いに来ない。家族から見放された」とおっしゃる認知症の高齢者もいる。

そして、新規でサービス提供することになった認知症高齢者に対して最初は手探りで接していた介護スタッフでも、あるとき仲良くなるタイミングがあるわけだが、翌日には関係性がリセットされてしまうことも珍しくない。

前日はニコニコしていたのに翌日には「触るな!」と言われることもある。
反対に激怒していた数分後に、ニコニコ話しかけてくることもある。

これも認知症の症状と言えばそれまでだが、人間関係や距離感が翌日になれば元に戻るということは普通に起こりうることだ。


■ 人間関係は日によって変わる


少しキツイ言い方になるが、その場で「仲良くなった」と思っても以降も仲の良い状態が続くと思わないほうが良い。そうすれば(自分から見て)塩対応されたとしても落胆しないで済む。

むしろ、盛り上がったときほどに翌日は落ち着いて「昨日はどうも」「楽しい時間をありがとうございました」くらいに挨拶して、相手の反応をうかがうくらいが丁度いい。

上記までと矛盾するかもしれないが、もしかしたら相手は相手で楽しい気持ちが続いているかもしれないため、そうだと分かったら「今度またお話しましょうよ」と言えばいいだけだ。

コミュニケーションは自分主体でなく相手主体で考えることが大切だ。
また、そのときは塩対応されたとしても、日数が経ってからまた盛り上がる機会があるかもしれない。そのときは楽しめばいい。

自然環境のように人間関係もまた日によって変わる。相手が忙しくてイライラしているときもあれば、好きな話をするにベストなコンディションであることもある。それは相手次第だ。

それを見極めるためには、自分のテンションで関わろうとするのではなく、相手と関わりを重ねること相手のことを知ろうとするしかない。そうしているうちに、本当の意味で「仲良くなった」が構築されていくのが、人間関係ではないだろうか。


ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。

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