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「業務優先な介護」について考える

介護施設では1日の流れが大まかに決まっている。

基本的には利用者の意向に合わせるものの、ご飯の時間や入浴の時間などは共同生活の場として決めざるを得ない。

もちろん、自分で買ってきたご飯を好きなタイミングで食べたり、就寝時間が過ぎても夜更かししてテレビを観ていることだって可能である。

しかし、どうしても施設としてのルールを利用者に強いることがある。

利用者の栄養管理や規則正しい生活を維持するといった意味があるし、何より利用者の生活を支援する施設職員の時間と人員には限りがある。

限られた時間と人員の中においては、どんなに利用者に自由に生活してほしいと言っても、時間ごとに介助という名の業務を予定化せざるを得ない。

そのため、「お昼ご飯は12時ですよ」とか「今週の〇〇さんのお風呂は午前中ですよ」といったように施設主導の予定になってしまう。

これは「業務優先な介護」という見方もできる。

この業務優先になっている介護現場を非難する声も少なくない。それまで自宅で自分のタイミングで生活してきた利用者に不自由さを与えることは、ご本人の尊厳を奪うという視点もある。


しかし、個人的な意見を述べさせていただくと、業務優先な介護を非難するつもりはない。

と言うのも、介護現場が業務優先になっているのは、あくまで結果であり現実にすぎないからだ。

そもそも、介護現場は別に利用者の不自由を奪いたくて、業務優先にしているわけではない。「ここの施設では業務優先にしてます」なんて考えで介護施設を運営しているところなんてないだろう。

誰だって自由に暮らしたいと思うことは当然だし、他人の自由を奪うなんて非人道的ことだと知っている。

しかし、介護の仕事においては「高齢者ができないところを支援する」という前提がある。そして、高齢者が介護を要するのは、生活の一部あるいは大半において自力では困難だからである。

この「できない」という事実がある時点で、すでに不自由と言える。

もちろん、できないことを自力やアイディアで乗り越えたり、できない部分を素直に諦めることができる人もいる。

しかし、介護サービスの利用や介護施設の入所という方向になったということは、そこに利用者本人の意思が介在したか否かに関わらず、それなりの不自由さを受け入れるしかないということになる。

その不自由さの1つのあり方として、介護を提供する側の事情として起こりうる業務優先な介護になってしまうのではないか。

言い換えると、介護を受けるということは、それなりに介護を提供する側の業務優先さも容認しなければいけないということでもある。


――― なんだか、介護現場の言い訳みたいな話になったが、別に「介護現場は忙しいのだから、利用者は黙って介護を受けていればいい」なんて乱暴なことを言いたいわけではない。

むしろ、介護現場ではこの事実を分かっているからこそ、介護の理念や倫理に即して「どうすれば業務優先ではない利用者主体の介護が提供できるか?」を模索しているとお伝えしたい。

そのための答えはなかなか出ない。このように書いている私だって、ついつい人手・資金・時間が不足していることから「業務優先になるのは仕方ないのでは・・・」という考えが湧いてしまう。

しかし、その一方で少しでも利用者主体で、かつ現場職員が業務に追われない働き方ができるよう環境を整えるのが、運営および経営の役割であるとも思っている。

この先も「仕方ない」と思うことはあるだろう。それでも思考停止せず、日々1%でもいいから前に進むようにしていきたい。


ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。

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