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何度目かの決意表明

● アレをやってもコレをやっても

本当に、こうした決意表明のnoteは何度目になることだろうか。

自身のnoteを見返してみてつくづく思うのは、意志表明とその物言いだけはいつ時も上々で、書いていた当時の勢いをありありと思い返すことができるほど。

ただ、結局何をやってもここ数年立て続けにバタリバタリと倒れ込んでしまっていた。

  • 大学を中退してまで挑んだ起業は中途半端な成功を甘受したにすぎないし…

  • フィリピンには4度も行き来し学んできた英語も、未だ職で活かせた試しがない…

  • ライターも書けることがなく意気消沈、知らぬままに熱が衰え…

  • はたと始めたプログラミングには才能のなさを痛感させられた…

今考えるとありがたいことだが、その時僕の近くにいたとある方は、面白半分なのか真面目なのか、こんな言葉をかけてくれた。

そうやってあれこれや手出しして探索できるのも、24歳くらいまでだよ。
30や40でそれやってると、やばそうな奴って思って誰も声かけてくれない。

● まあ確かにそうだ

良いように言えば「夢追い人」だが、もしもそこに計画性などなにもない場合、遠慮や擁護なしに言ってしまえば現実を目にしてない「やばい奴」だ。

僕は覚悟した。
次の探索の中で選び取るものが自分にとって最後の道だ、と。そして、これだけは意地でも続け探索から次のフェーズ、深化に移ろう、と。
(ここまでに述べている「探索」と「深化」は、両利きの経営にある言葉です。探索 [Exploration] 、つまり自己認識以上の幅広い視野で外界を目にし勝算のある領域を見出すこと。それを 深化 [Exploitation] つまり深掘りしより安定性のあるものに仕上げていくことを指します。)

挿画1「夕刻のランナー」

そんな気持ちを抱きながら、新卒で勤めていた会社からも退職、
ライターになりきるでもなし、SNS運用を極めるでもなし、プログラミングを再度取り直すでもなしではあったが、毅然とした心持ちで最後の探索フェーズに移った。(…そんな堅っ苦しい言いようをするほどでもなかったが)

● カメラだったから

そして、その最後の探索の末に見つかったのがカメラだった。
結構なんでもない理由で、ただ家に眠っていた。それを使い回し、そこからほぼ毎日市中に出てはシャッターを切りまくった。ひとしきり撮り終えてからは自宅で写真を見直し、どんな写真が素晴らしいと思うのか自らの写真と向き合った。
3ヶ月ほど経って、ぼんやりと最終探索の結果がカメラで良かったのかも知れないと思い始めた。

挿画2「微笑み」

写真家やカメラマンを生業とする人たちに話を聞いたり、アシスタントとして雇ってもらえないか話をもちかけた。専門学校も出ていなければ写真スタジオでの勤務経験のない者だとどうにも使いようがないらしいことも分かった。
そしてこの年、2021年12月、終わりに差し掛かった頃にようやくスタジオアシスタントとして、フルタイムで雇っていただける場所を見つけた。知識も経験も何もない自分が出せるものといえば、若さの力と持て余した時間しかないわけだったが、なんとも幸運だった、そこは東京都内の広告写真の撮影スタジオとしては最大級の場所だった。

● 動じるものか

面接で、当スタジオの代表の方に言われた。

本当に朝は早いし夜は遅い。
勤務時間もまちまちだし、ここで働いている間はまず自分の時間は取れない、それくらい過酷な環境だと思った方がいい。

全く動じなかった。動じたところで背水の陣の自分に残されていたのは止む止むサラリーマンになることだけだった、それだけは避けたかった。
むしろ、ここを抜け切らない限りはこれまでの探索の意味がないし、深化のフェーズに向かおうとしている今、なんとしてでも切り抜けなくてはならないと感じていたから。

プライドやお金、恋人や家族など守るべきものもなにもない、ただ深化させていきたい(いかざるを得ない)退っ引きならない状態に自分を追いやり、再起をここでもう一度巻き起こしたい。

挿画3「煙」

僕の目標は、写真家になること。今はそれ以外考えないでいい。

ともあれまずは、この2021年、何にも生み出せなかったわけではないことに安堵しながら、来たる翌年からのスタジオでの激務に向けての覚悟を顕しつつ、今年最後になるかもしれないこのnoteを締めくくりたいと思います。

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