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GWにお墓参り。小さな墓地だけど植栽の手入れは辛い。

ゴールデンウイークが終わった。今年は4月28日からの7連休だった。例年なら6日(木)と7日(金)も有給休暇をとり9連休とするところだが、コロナで旅行に行くわけでもないので有給取得はやめておいた。

この連休中は墓参りを兼ねて東京の郊外に出掛けたが、高速道路で思いがけず渋滞に会い、又、霊園でも多くの人がお参りに来ていた。

不要不急の外出の自粛が呼びかけられていたが、墓参りは不急ではあるものの、不要ではなく、外出したいが遊びに行くのは何となく躊躇われるので墓参りを外出先として選ぶ人が多かったのだろう。

久しぶりのお参りをお墓に眠る両親に詫びつつ、雑草を取り、枯れ葉を集めた。腰を屈め無理な体勢を取らねばならず、直ぐに腰が痛くなった。

集めた小石に敷かれた小石が混ざっていて、手で一つ一つ小石を拾い墓地に戻す。隣から浸食してくる蔓や蜘蛛の巣を取り除く。

小さな墓地だが、結構仕事はあり、それなりの運動量だ。

同じ霊園内の最近建てられた墓地を見ると、きれいな砂利や小さな石灯籠が置かれており、植栽がないものが多くあった。枯れ葉や雑草の処理の手間が不要になっている。

これも少子高齢化の影響か。子供や親戚が減り、お墓参りにくる回数も減り、植栽が手入れされず、荒れた墓地を避けるためだろう。そして植栽の手入れという重労働を省くことができる。

そういえば、ここ10年位に建てられた近所の戸建て住宅にも植栽の無い家が多い。

温かい日差しの下で、休日には庭の植木を手入れし、車を洗車する、そして縁側に腰かけ一服する。このライフスタイルに若い頃に憧れ、郊外に家を買った。

植栽付きの建売住宅だったが、まずは、狭い庭に四角い小さな芝生の素を敷き詰め、空いたスペースには楓やモクレンの木を植えた。

40代までは庭の手入れは楽しく、気持ち良く汗をかいたものだったが、植栽も段々と年月が経つにつれ、高く背が伸び脚立に乗らなければ枝をきることができなくなった。

同時に加齢に伴い、身体が固くなり、昔ほど動けなくなってきた。脚立からの落下を恐れつつ、庭の手入れは楽しみから面倒な仕事に代わり苦痛になった。

そして子供たちが車の免許をとり、家族とは別の生活パターンを送るようになったことから、車を追加で買うことにした。

それまで車一台分の駐車スペースと喜んで木を植え、芝生を敷いた小さな庭があったが、その庭を新たに駐車スペースとして潰した。

植栽はすべて抜き取られ、芝生もはがされ砂利が敷かれた。何とも殺風景な庭になってしまった。

費用も数十万円かかったが、最近建てられている戸建て住宅に追いついた。

そうか、最近の植栽の無い戸建て住宅は、子供の成長と共に親は齢をとり、植栽の手入れが億劫になり、庭を潰すというパターンを先取りしたものか。

お墓にも家にも木を植えることはが少なくなり、コンクリートや砂利で地面は覆われている。木の世話をする手間は省けるが、殺風景であることは否めない。

そもそもこういう状態が殺風景だと感じない人が増えているのだろう。面倒な手間が不要で効率がいい。

今、流行りの断捨離に通じるのかな。

でも、モノへの執着はなかなか捨てきれないのが普通の人間だけど、そんな中で効率的な生活に慣れてしまい、手間をかけてきれいにする習慣が薄くなっている。

だから、モノがあふれた部屋やゴミ屋敷が出現するのか。

墓参りをしながら、つらつらとやや飛躍したことを考えた。

子供たちとワイワイ言いながらお墓を掃除して仏様をお参りし、久しぶりに楽しい時間を持てた。

だが、彼女らを連れだすには、霊園から近いちょっと高めのレストランの予約は必須だ。


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