無縁坂

 此処に来るつもりで来た訳ではない、だが後で思えば何かに導かれるように、結果的にはこの日の出来事がすべて糸で結び付けられているように此処に来ているのであった。
 湯島天神界隈の天婦羅屋で昼食をとった後、不忍池を見に行こうと思い10分ほど歩くと到着、公園の入り口にある案内板を眺めるとあの有名なコンドル氏が設計した旧岩崎邸がほんの近くにあることが分かった。公園散策は後回しにして先に岩崎邸見学に切り替えたのである。靴を脱ぎ岩崎邸の隅々まで見学し、開催中のコルビュジェ展も堪能した後、此処まで来たら東京大学の構内を散歩してみようかという思いが高まってきて折しも降り始めた雨の中を地図の記憶を頼りに歩き始める。
 暫く歩いても道を間違えたようで一向に着かない。先程左手に曲がる坂道があったが彼処で曲がると良かったのかも知れぬと思ったが、こうなれば先に不忍池を回った方が賢明と判断して其方に引き返すことにした。程なく別ルートで池の周りに到着、だが池にはプカプカとチャッちいボードが沢山浮かんでいて情緒も趣きもない。更に進むと何やらお堂の様なものが見える。成る程此れが弁天堂であるのかと思いつつ左右を見ると成長し切った蓮に覆われた池面が広がっていた。
 蓮も此処まで巨大になると不気味なものである。何か現実離れした不穏な感情を抱いた時、何故か突然小生の記憶の奥底から忘却の彼方と化した鷗外の作品が浮かび上がってきた。高校生の頃愛読していた「雁」である。主人公達学生が投げた石が池で戯れていた雁の一羽に命中しグッタリと死んでしまったというあのくだりであった。そのイメージを想い出すと驟雨に煙る蓮池が一層暗く不気味に感じられ、ボート池縁の小径を岩崎邸の方面に小走りに急いだ小生であった。途中のベンチで手の平に餌を乗せ雀を沢山留まらせている老婆の姿が追い討ちをかけるように超不気味であった。
 さて、気を取り直し国道を渡って再度岩崎邸の入り口横を屋敷の壁沿いに進んでゆくと、先程は曲がらなかった四辻があり今回は此処を左折することにした。雨は益々激しさを増し岩崎邸の高い石塀を左に緩やかに傾斜し登っていくこの坂道を一層陰鬱な空気にしていた。右側に寺があるが特に気に留めることもなく上がっていくと岩崎邸の石塀際の立て看板に何と「無縁坂」とある。
 これは小生にとって驚きというか衝撃的な事柄であった。こんな変哲もない普通の坂道があの有名な「無縁坂」なのか、本当なのか、ぜったいのぜったい⁈  何やら信じられない気がしたのである。「無縁坂」といえば小生の世代では決して忘れられないさだまさしの名曲がある。「母がまだ若い頃 僕の手を引いて この坂を上る度 いつもため息ついた🎶〜」から始まるこの歌は小生にとってかぐや姫の「神田川」と双璧をなす青春の傷み万感の曲なのである。もはや琴線に染み入り琴線そのものと化して所構わず何時でも何処でもフツーに泣いてしまうヘビー且つブルージーな曲なのである。其れにプラスして小生にはある種倒錯的なイメージがこの坂を自ら上がりながら付き纏うことになる。
 小生の祖父は京都美大卒の日本画家であったが昭和の初期、宮内省から請われて国のお抱え絵師として宮中即ち皇居で暮らした人であった。その際飛びっきり美しい長女、即ち小生の母を故郷の伊勢から東京へ連れて行ったのであった。二人の宮中暮らしがどのようなものであったのかは小生の想像が及ぶところではないが、我が祖父と母の二人のイメージは親子の域を超えた禁断の愛のニュアンスを秘めた淫靡なものであったように懐古する。
 今初めて知ることとなった雨に打たれる無縁坂をゆっくりと上がっていくその時、小生は祖父に手を引かれて嬉しそうに微笑みながら登っていく若き母の姿の幻影を見たような気がした。小生の先を行く祖父と母の幻は突き当たりで左に曲がると忽然と消えた。小生が追いつくと其処には果たして東京大学の医学部の入り口である鉄門があるのであった。二人は此処から構内に入っていったのであろうか。
 それにしても此処が無縁坂であるなら先ほど何気なく通り過ぎた護安寺なる寺こそ「雁」に出てくる「無縁寺」ということになる筈だ。そしてその坂上に位置する煉瓦造りのアパートメントの辺りに末造の妾お玉が住んでいた格子戸の家があった筈である。お玉は毎日格子戸の間から岩崎邸の石塀を見つめ、無縁坂を昇降する東京大学の学生岡田の姿を追いかけていたのである。お玉のイメージが我が母親の姿と重なってくる。我が祖父は岡田なのか?小生が僕なのか?そんなことがある筈もないが理性の域を通り超して想像力が異形のストーリーを構築し始める。
 我が心のイマジネーションが鉄門へ入っていった祖父と母の姿を追いかけて行く。辺りに人がいないことを確認して小生も鉄門の中に潜入、東京大学の構内を探し回る。医学部の構内は広く樹々が生い茂り遥か赤門まで直線で続いている。我が祖父は皇居での画業の合間、気晴らしに母の手をとってあの無縁坂を上り、ここを訪れては木立の下で幼き母のスケッチを繰り返していたのかも知れない。赤門の前には守衛がいて出入りする学生を厳しくチェックをしているようだ。赤門から外へ出てみたかったが何か詰問されそうな気がして引き返した。鉄門を出て再び無縁坂。強まる雨の中、岩崎邸の高く陰鬱たる石塀にそって下りながら左手の煉瓦のアパートメントを見るとそこにはもう玉子はいなかった。
 「忍ぶ 不忍  無縁坂〜🎶 」グレープの歌が何処からか流れてくるのを感じた。 「運がいいとか 悪いとか 人は時々 口にするけど めぐる暦は 季節の中で 漂いながら 過ぎてゆく   忍ぶ 不忍 無縁坂 かみしめる様な ささやかな 僕の母の人生〜 🎶  」 祖父と母、お玉と岡田、雁、東大、鉄門、不忍の池、岩崎邸…全てが幻影となってクロスする無縁坂は行き交う人もなく密やかな驟雨に霞んでいた。
                                
                                   〜 了 〜

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