びわ湖毎日マラソンを見て競技者としての価値を考えさせられる

びわ湖毎日マラソン、すごかったですね。日本記録更新をはじめ、終了が惜しまれるほど歴史的なレースでした。

様々な点での"すごさ"をSUSHI MANさんがまとめてくださっているので、引用させていただきます。


一方で、びわ湖まいにちマラソンに限らず、ここ1〜2年の記録水準の急激な上昇によって、記録の価値がわからなくなってきており、持ち記録が競技者としての価値に直結しなくなってきていると感じる。それは僕だけでなく、おそらく多くの競技者が感じていることだろう。

例えば、マラソンのサブテンに価値があったのは、多くの選手が挑戦しても成し遂げられなかったから。残酷な言い方をすると、成し遂げられない人が多ければ多いほど成し遂げた人は輝くのだ。

2年前にGMOインターネットグループに入社した時は「マラソンでサブテンができたら胸を張ってマラソンランナーを名乗れるかな」と心に抱いていた。僕が入社するときには日本歴代100位以内の記録だったと思う。しかしひとつのレースで42人も出る状況では、とてもそうは思えない。それはサブテンに限らず、8分台、7分台にも言えることだと思う。

ちょっと前のビットコインのように、今は記録水準がインフレしているので、記録の評価が難しくなっている。レースのたびに〇〇歴代最高が塗り替えられるような状況では、その記録がどの程度の価値なのか、値札をつけることはできないだろう。

シューズのレギュレーションができたとは言え、まだ記録を出し切っていない人もいるし、今年度はレース数も少なかったので、このような状況があと数年は続くとは思う。あと数年したら記録の価値も落ち着いてくるのかもしれないし、はたまた記録がものさしとして機能しなくなっているかもしれないし、それはわからない。

どうしてこんなことを書くかというと、少なくとも自分は、仕事として走っている以上、競技者としての価値を高めるよう努力すべきだと思っているからだ。で、この先数年は「良い記録を出せば競技者としての価値が高まる」という安直な考えは通用しないと思っているので、自分への戒めを込めて書いている。例えば、僕が10000mで27分台を出したり、マラソンでサブテンをした”だけ”では、競技者としての価値は大して変わらないだろうと思っている。

記録の価値が安定していた最近までは「強いと思う選手をあげてください」と言われたら、あがる選手は大抵良い記録を持っている選手で、記録と競技者の価値がリンクしていたと思う。しかし今は、強いと思われている競技者が必ずしもトップの記録を持っているわけではないし、逆に名前があがらなくても素晴らしい記録を持っている選手はたくさんいる。

記録がものさしとして機能しづらくなっている今こそ、大事なところで勝負に勝つとか、見応えのある走りをするというのは大事になっているのかなと思う。鈴木健吾選手の勝負を決めた力感ないギアチェンジや綺麗なランニングフォームは、タイムがあろうがなかろうが「すごい」とわかるものだった。

また、レース以外のところでも、無味乾燥とした数字に意味づけをするために発信をしていくことも大切になってくるかもしれない。川内優輝さんの2時間7分台は、10年越しに達成したこと、達成するためにプロ転向したこと、うまくいかないことも含めて発信してきたという前提があって、多くの人の心を動かしたのだと思う。

※川内さん引用させていただきます。

そういう意味では、そこに至るまでの過程をnoteで発信する、というのは悪くないのかもしれない。

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東大で箱根駅伝を走って、実業団の世界に飛び込みました。大学院では運動生理学の研究も。 GMOインターネットグループ所属 東京大学大学院八田研 5000m 13’36/10000m 28’19/half 63’43/full 2:14’13