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競技者と研究者の両立

僕は実業団チーム(GMOインターネットグループ)で長距離選手をやりながら、運動生理学の研究室に所属している。競技者兼研究者だ。

長距離走の研究を行い、得られた知見を競技に生かしていく。逆もまた然り。

こう書くと聞こえはいいし、実際役に立つことも多い。

だが折り合いをつけるのに苦心することもある。

第一に、競技者(現場)と研究者では目指すべき最終ゴールがやや異なると感じている。

スポーツ科学に限らず、現場と研究が互いにいがみ合うような構図をたまに見るが、それは最終ゴールの違いによるものだと思う。傾向として、現場では個別性を重視するが、研究では一般性を重視することが多い。片方からすれば、もう片方のアプローチは最適解になり得ないことがほとんどなので、ある意味当然である。

つまり、同じ分野を扱っていても全く同じ目的意識でやればいいわけではない。

また、研究者では歓迎される科学的な態度が、競技者としては足かせになることがある。

まず、科学的根拠がほとんどの人にとって有用なのは疑いのない事実である。特に競技歴が浅い人ほど科学的根拠を適用しやすい。科学的根拠をベースをすることでハズレを引くことはないだろう。そういう意味で人にも勧められる安心感がある。

しかし、科学的根拠があるもの=自分にとってベストというわけではない

科学的根拠はあくまで指標にすぎないし、科学的根拠が伴っていなくとも個人レベルで効果があるというのはいくらでもある。単に実証されてないだけという場合もある。科学的根拠を過度に信じることは、思考を硬直化させ選択肢を狭めることに繋がる恐れがある。一連の科学的プロセスを踏むことに価値を見出すタイプの人ほど陥りやすいので注意が必要である。競技者の立場であれば結果が出ればOKなのだから、難しく考えすぎることもない(それが難しいのだが)。

そのようなタイプの選手は時には研究者気質を手放すことも必要だろう。科学の限界点を分かった上でやっているのであれば、科学的な態度とも矛盾しないだろう。

研究者気質が行きすぎることによる弊害は、為末さんのnoteにわかりやすく書いてあるので、参考にして頂きたい。

競技者と研究者を両立するからこそできる経験がある。それは科学の有用性と限界点の両方を肌身で感じられることだ。

科学的知見を現場に落とし込む機会がなければ、科学の有用性を実感することはなかっただろう。現場で行われている取り組みを知らなければ、論文に載っていることがその分野の全てだと勘違いして、科学の限界点に気づくことはなかっただろう。

言葉にすると当たり前のことだが、経験レベルに落とし込むのはなかなか難しいことだと思う。ひとつの分野を通して、他分野へも応用可能な科学への正しい向き合い方を身につけることができたのは大きな糧になると思う。

僕が競技者兼研究者としてできることは、それぞれの立場での経験に加えて、科学への正しい向き合い方を伝えていくことだと思う。

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