同じ土俵にいるかどうか

土俵で例える辺り、日本人だなって感じ

先日会社の研修があり、別の支店の後輩が来ていたので声を掛けた「調子はどうだい」

なんて答えて欲しかったのか自分でもわからないけれど、求めていたものと違ったから変な気持ちになったのだと思う

初めは嫉妬に近い感情だと認識して、自分がイヤになった

家に帰り妻にその話を聞いてもらった

後輩が自分の質問に対して「めちゃ調子いいです」と答え「何がそんなに調子いいの?」と尋ねると「個人売り上げが2位だったんです」と言われてなんとも言えない気持ちになったんだ、と

自分が調子よくない時は調子のいい人を見るとやっかみたくなる気持ちになるもんだよ

といった話や

そもそも置かれている立場が違う以上、比べること自体が不毛なのではないか

といった話が出ていた

ただのセールス事業であれば後輩が売り上げナンバー2になった話はただの妬み嫉みである
それはただ単に私の努力不足や後輩の才能であるということで片付けられる話(実際は複雑な感情に苛まれるであろうとは思う)

一方私は(私達は)介護の仕事を生業としているので、稼ぎたいと思ってこの職業に就いたわけではない
給料が安いと言われる職業の一つであるからにはそこが第一目的となるにはなかなか需要と供給がマッチしないだろう、と思う

そんな状況で、自身の直属の後輩だった子の調子が良い理由が『売り上げナンバー2』だという事実に少し残念さやベクトルの違いのような感情とスパイスとして嫉妬心のようなものが混じって不思議な状態になってしまったのではないか、という着地点となった

話を聞いてくれた妻には感謝している
付き合っている時に私の仕事が大変で一方的に話を聴くばかりで妻の話を聞こうとしなかった頃があった、といった昔話も交えながら、その時の感情に似ているのかもしれない
といった当時の話をしてくれた。
記憶にはないが、確かに話を聞いて欲しくて話してばっかりだったかもしれない。
聞いてもらってばかりで、聴く姿勢が足りなかったのは反省しないといけないな

誰かの言動や行動で、自身の感情を揺さぶられるのは未熟である証拠。

それを突きつけられた日でした

アタラクシア(平静な心)の追求をせよ、とエピクロスは言っている

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