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ネガティブ者のポジティブ者への憧れ

noteを見廻す

二本目の記事である。

この数日でnoteをテクテクと歩いてみた。
皆が皆それぞれの趣味や趣向を遺憾なく発揮している。
素晴らしい。皆キラキラ輝こうと坂本九も心配になるくらい上を向いている。

クリエイティブ者。眩しすぎる。

羨ましい。単純に羨ましいのだ。
思い返せばこの人生で心穏やかな時期がほとんどない。

仕事が上手くいけばプライベートで何かやらかし、
恋愛面が上手くいけば仕事がトラブり、
プライベートが平穏になると恋愛面がポシャる。
これの繰り返しである。

「結局それって自分のまいた種じゃない?」

そんな事は百も千も承知だし、自分が一番わかっている。
自分を矯正する術を知らないし、
生まれ持ってのネガティブ思考が視界を狭くする。

やらかしの種を蒔いて上手に育ててタワワに実った果実を食して
食中毒起こして視力低下して手探りでオロオロしているのだから滑稽である。

ネガティブ者になった理由を考える。

なぜネガティブ者になってしまったんだろう。
こういうのは大体幼児期、少年期にあるとなにかで見た気がするので
昔を思い出す。

劣等感か。

子供の頃は多分「クラスの人気者」というヤツだった。
が、道化師ポジションだ。
容姿は良くない、頭も良くない、足も速くない。
けど目立つのは好きだった。
だから人を笑わす事で注目を集めたかった。

しかしやはりクラスの主役はイケメンで頭良くて足が速い奴だった。
運動会でも学芸会でもだ。

美味しい所を持っていくアイツらをいつの間にか僻んでいた。
そこから「どうせ俺なんて的な思考」がスクスク育ったのだろう。

あと、俺は人の顔色を見るのが異常に上手かった。
人の声色と表情で考えている事がだいたい理解できた。
大人になってからも役に立つ能力ではあったが
他人の事をどこか斜に構えて見る癖がついた気がする。

その癖愛されたくてしょうがないので心配性で疑り深い歪でグロい精神性が育ってしまったのだと今思った。
だから他人からの愛も素直に上手に受け止められずに
いつもどこか不安だった。
これも今思った。振り返るってすげえな!

ポジティブ者になるか。ネガティブと上手く付き合うか

で、これからどうするの?である。
結論から言えばもう今からポジティブ者になれる自信はない。

開口一番いきなりネガティブである。

「なんとかなるさ!」「なんくるないさ!」「ハクナマタタさ!」

無理だ。タイピングする指も震える程無理である。
しかしこのままでは嫌なのは確かだ。

何をどうすれば良いのか全くわからない。
どこで間違えたんだ。
あれか?これか?それか?
アイツらのせいか?コイツらのせいか?俺のせいか

考えても考えても脳味噌は焦げ臭く匂ってくるし
胃がゲロ臭くなってくる。

考えても考えても・・

考える?考えるからポジティブorネガティブになるのか?

嗚呼。

そうか。

考えるのやめるか。

ああだこうだと考えて何もしないから何も起こらないのだ。
宝くじを買ってもいないのに当選番号だけ見てハンカチ噛み締めている状態か。

とりあえずアクションを起こしてみる事が大事なのかもしれない。
これは良い感じの答えが出たかもしれない。

ちなみに今日就職活動一社ポシャった。
これも悲観的にならず自分の中で一つ蓄積されたと思えば無駄ではないか。

どうせ今の俺に失う物なんて命とネオジオミニ以外何もないか。
ああ、頭ではなく体を動かすのか。

なんとかなるか

おしまい

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