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オンライン授業が進まなかった理由を今だからこそ振り返るべき

 人間とは都合良くできている生き物で、たった一年前のことですら、ネガティブな記憶はなかなか引き出しを見つけられない。

 今週末で緊急事態宣言も解除されることとなったが、いつ次の緊急事態が迫ってきてもおかしくない状況に変わりはない。そんなタイミングだからこそ、昨年の一斉休校とオンライン授業が進まなかった理由を改めて振り返るべき。再び同じようなパニックに陥らないためにも前回の反省も生かして、自分にできることを模索したい。

昨年の一斉休校

 先日の日経新聞で見かけた記事を読んで、そういえば去年の今頃は全国一斉に休校になり、どうすんだどうすんだと騒いでいたことを思い出した。授業日数は?宿題は?学童保育は?仕事休めるんだっけ?リモートしながら子供の面倒見てもいいの?(そういえば、と言っている時点でマズい)

小学校からの連絡を見返してみると
■3月2日~3月31日まで休校。
  臨時登校日1日、卒業式と修了式は実施
■4月
  入学式は実施
  臨時登校日1日
  ICT機器貸出の連絡
■5月
  ICT機器貸出の連絡
  ZOOMを使ったオンライン指導の連絡
  5月末 ZOOM朝会実施(1回?)
■6月
  緊急事態宣言解除に伴い学校再開
  始業式の実施
  分散登校や時短授業

 思い返すと丸々3か月間の間、子供達は学校に行くこと無く、ずっと自宅にいたということになりますが、毎日毎日何をして過ごしていたのか記憶が薄い。日記でもつけておけば良かったと後悔している。  

 幸いなことに、私の勤め先は以前からリモートワークを推奨しており、リモートワークの環境は整備されていた。そのため、子供が登校できずに一日家にいても何とかなった。

 はじめの一カ月は、非日常な感じがして浮ついた毎日だったはず。4月に入ると浮ついた感じも消え去り、緊急事態宣言という今まで聞いたことも無いパワーワードが出され、これは正に有事なんだなということを実感する。5月に入ると、いよいよ家の中での生活はマンネリ化し、私も今振り返ると鬱的な症状があったかもしれない。

 それでも何とか長い3か月間を乗り切って、健康なままで過ごすことができた。

オンライン授業が進まなかった理由は何だったのか

 日経の記事によると、昨年春から夏の間にオンラインによる遠隔授業を受けた子供の割合が日本はたったの9.6%しかいなかったようだ。我が家の子供たちの受けたZOOM朝会は授業とは言えないが、あの程度で授業を受けたと回答した家庭があったのだろうか。正直、この9%という数字も疑わしいものである。

 オンライン授業が進まなかった理由としては、大きく2つある。

一つ目は、学校教育の化石化。
 オンラインでの授業なんかやったことが無い。オンラインで配信する機材が学校には無い。手厳しく言うと、言い訳に過ぎない。先生を責めたくは無いけれど、責めざるを得ない。

 民間企業において、やったことが無いからやらないは、企業として死を意味している。何十年も全く同じことをやり続けて生き残っている企業はほとんど無い。同様に、教師も板書だけやっていればいい時代は終わって、オンラインという世界のエンターテイナーにならなければない時が来ている。

 民間の塾講師を見てみれば、それは火を見るよりも明らかだ。民間と比べると、今の学校現場は化石発掘現場にさえ見える。

 しかし、一方的に責めるだけではただのクレーマー、モンスターペアレントと何ら変わりはない。あの時に起こすべき行動は何だったのだろうか。

 ZOOMの使い方が分からないのであれば、教えに行っても良かったかもしれない。多少の相互コミュニケーションが上手くいかなくてもいいから、オンライン授業をやって欲しいと嘆願すればよかったかもしれない。環境の整っていない家庭があれば、出向いて使い方を説明してあげれば良かったかもしれない。

 数えだすとキリがないけれど、もっと出来たことはあったはずだ。悔やまれる。

次にデジタルデバイド。
 これは私の力ではどうにもならないものかもしれないが、家庭ごとにおけるデジタルデバイスやインターネット環境など環境面での格差と、子供や親のデジタルデバイス・ツールの習熟度などスキル・リテラシー面での格差である。

 今やほとんどの大人がスマートフォンやタブレットを所有しているため、貧困家庭であっても環境は最低限あるかもしれない。しかし、一人親家庭で親のデバイスを使えなかったり、年老いた祖父母と暮らしていると、なかなか難しい。私の暮らすエリアでも、オンライン授業が開始できなかった理由として、各家庭にICT機器を行きわたらせるのに時間がかかったのもあったと聞く。そもそも、毎日のように連絡メールが来ていたが、携帯やPCが無ければ受信が出来ないため、連絡が行き届かない。また、ネグレクト的な家庭があれば、さらに困難を極める。

 また、デバイスがあったとしても、ZOOMの使い方説明書を入れなければ使いこなせない親もいる。我が子の学校でも、ご丁寧に何ページにも及ぶZOOMの使い方と、オンライン学習教材の使い方が配布された。削りに削られた超シンプルなツールであるのに、区がマニュアルを作るのに時間がかかっていたのも、遅々として進まなかった理由の一つなのではないかとさえ感じられる。

 当時は様々な事情がある、ということに想像を至らす余裕も自分には無く、なぜ早急にオンライン授業を始めないのかを、ただただ愚痴っていたと記憶している。

 事情は事情で、各所に任せざるを得ない部分が大きいが、放任するだけではなく、その時その場所で自分が為せる事を為す、そこに至れなかったことが最大の反省点である。

 次に同じような事態になった時に備えて、一年前を振り返ってみてはどうでしょうか。



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