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なぜ旅にでるのか?”旅”が”挑戦”に変わった時の話
今日は自己紹介がてら、なぜ旅を始めてみようと思ったのか、そのキッカケを書こうと思います。
突然ですが、みなさんはどんな時に旅にでるのでしょうか?
①日ごろの疲れを癒すためのリフレッシュのため
②見るだけで感動するような絶景を探すため
③いまの環境から逃げたい!環境を変えたい!
などなど、
自分はどれも経験がありますし、どれも間違っていないと思います。帰ってきた時に、少なくとも「またがんばろう」という前向きな気持ちになっていればそれでいいのではないでしょうか。
ただ自分は、ある旅を経験してからそれまでの旅とそれ以降の旅とではまったく変わってしまいました。今日はその話をしたいと思います。
その旅とは、
”アメリカ大陸横断、ヒストリックルート66をハーレーで横断の旅 11日間”
です。
約4000kmを11日間、ハーレーに乗って横断する壮大な旅です。
20代最後、30歳の誕生日の2か月前。会社の上司に頼み込んで2週間強の休みをもらいました。自分の部署は1週間でも取得した人がほとんどいないというほどブラックな部署でしたが、”退職もやむなし”という態度で頼み込んだところOKがでました。(帰国後は死ぬほど働かせられましたが笑)。
なぜ、アメリカ大陸横断?
当時、シカゴ大学MBAを取得して帰国した先輩がおりまして、とてもキラキラしていたんですね。その先輩が言うには”合格するためには、最後は”エッセイが面白いかどうかだ!”とのことでした。
なので、ヒストリックルート66はアメリカが建国した時から人や馬車が通ってできた道で、最近は高速道路ができてその役目を終えましたが、その道々に町ができて、そして廃れていったアメリカの歴史そのものだ!と。しかもヒストリックルート66のスタート地点は憧れの大学があるシカゴでした。
これをエッセイに載せることで面接官の興味を引き、合格するという算段です。それよりもまず英語だろ!(当時はTOEIC500~600点程度)って、いまからは思うのですが、当時はもうワクワク感が止まらなかったことを覚えてます。
それから英語の勉強もしつつ、約2年間ほど準備をしました。ツアーには参加しない一人旅、フライトやバイクのレンタルなどをすべて一人で手配していたからです。またその間にバイクの大型免許と国際免許をとったり、ヒストリックルール66はすでに地図にはないので、そのルートが書いてる特別な地図を手に入れたりと準備をしてました。
友人にもたくさん夢を話しました。たくさんの人が応援してくれましたが一緒に来る人はいませんでしたね笑。
母親に話したところ、30歳近くにもなり社会でもしっかり生活できている(ところまで育てた)息子が、なぜ突然アメリカをバイクで横断するなんて言い出したのか理解できていない様子で、とにかく危ないという情報を仕入れては話してくれました。とても心配してくれていたのだと思います。
当時の恋人は、 ”無心です” の一言でした。ようは考えると心配になるのでなにも思わないようにしてます。とのこと
父親は「保険は3つかけておけ」 の一言だけ
当時、アメリカに行くのは初めてでしたし、そもそも海外に行くのもあまり経験がなかったと思います。グァムやサイパンにダイビングをしに行ったことぐらいはあったかと笑。英語もロクに話せないのに、なぜか根拠のない自信だけはあったんですよね。若気の至りかと笑。
リアルな死の恐怖
そしてシカゴに入りました。その夜にシカゴ大学MBAに通っている先輩とその友人とで飲み会をしてもらい、まったく英語はわからなかったのですがノリだけで乗り切ったと。そしてアメリカをこれから横断すると先輩に訳してもらったところ「クレイジー」と言われたことはいまでも覚えてます。笑
バイクを借りたスタート日は慣れていないのもあり、午後3時になったらモーテルを探して宿泊しようと思ってました。バイク屋にたどり着いた時、用意してあったのが「HONDA ゴールドウィング」でした。
アメリカの歴史をハーレーで横断することに意味があるんだ!とつたない英語で熱弁したところ、わかったわかったと。結局のところハーレーは到着が遅れていただけだったのですが、バイクが届いて出発準備が整ったのが午後3時。つまりすぐにモーテルを探さなくてはならない時間です。
最初はもちろん気を付けて運転しようと思っていたのですが、どうしてもどっかで焦っていたのだと思います。スタートして10分ぐらいして大通りにでました。その時、自分の道路に両方から車が入ってこようとしてました。その両方の車は止まっていたので、早めに通り過ぎようとスピードをあげたところ、止まっていた車の向こう側から新たな車がサッとはいってきたのです。
前の車にかくれていて見えなかったので、いきなり入ってきた車にびっくりしてしまい、急ブレーキ。前輪がロックしてしまい、300kgの車体が傾きました。キキキキーと大きな音をたて、遠くの方でキャーーーーって声まで聞こえます。この時、あーこの声はアメリカ人の女性だなぁなんて考えていたのを覚えてます。
その時、とっさに右足で地面を思いっきり蹴って、奇跡的に車体がもとに戻り、前輪のロックもはずれて、何事もなかったようにスー――――っと走りました。本当に亡くなったおばあちゃんが助けてくれたんだなって思いました。
それからすぐに道の脇にバイクを止めてました。それから1時間ほどその場から動くことができませんでした。体全体が心臓になったように鼓動が大音量で聞こえます。自分のすぐ横で大太鼓を叩かれているような。そして体中が震えていて、手もハンドルを握れないし、足もブルブル震えてしまって足置き場に収まらないのです。
いままで生きてきて、幸運にも感じたことがない、本当の”死の恐怖”を味わった瞬間です。健康の有難みは本当に健康を失った人しかわからない、というやつです。
この時、自分が思ったのは「家に帰りたい」でした。あんなにみんな止めてくれたのに、一緒に来る人がないってことでどんだけ無謀だったか、アメリカ人だってクレイジーって言ってたじゃん。とか、もうネガティブなことが出てくる出てくる。
その日、5時になり手の震えも少しづつ収まってきたので近くのモーテルまでなんとかたどり着き、一泊しました。その夜は眠れないかと思いきや疲れていたので9時に寝てしまいました。
でもこの時の死の瞬間は、10年経っても昨日のことのように思い出します。それが良いのかどうか、何とも言えませんが。。。。
まだ走れるし、もう少し走ってみよう
それから旅を続けました。もう少しだけ走ってみよう、あと5分だけ前に進もう、とかそういう気持ちだったと思います。やがて慣れてきたのですが、NEWメキシコからアリゾナに入ったあたりで、広大な大地、どこまでも広い空、それと自分しかいない、そんな時間が多くなりました。
その時、ずっと歌っていたのです。
100km/h ほどスピードはでてましたが、まるで無音の世界で止まっているような感覚でした。そしてどんなに大声で歌っても、自分の歌しか聞こえない状況です。
そして歌と一緒に、受験で失敗したことや、好きだった彼女のこと、友達と馬鹿なことしたことを思い出してました。
そして、何時間か経過した後に、ふと、歌える歌がなくなりました。
生きるとは思い出を作ること
歌える歌がなくなった時、ふと世界が止まってしまったっような、なんというか無の世界を感じた後、強烈な寂しさや孤独が襲ってきました。
自分が生きてきたことを、本当に知っているのは自分だけ。親も友達も自分以上に自分を知っている人はいない。その自分が自分自身を思い出せないのは、自分がこの世にいなかったことと同じなのではないか?と思ったのです。
今振り返ると、この感覚は、おそらく人が死ぬ前に思うことと同じ感覚だったのだろうと思います。
そして、これは旅の初めに”死の恐怖”を経験したこと、それでも挑戦し続けたこと、アメリカの広大な大地や大きな自然、現地のやさしいアメリカ人と触れ合えたこと、日本で心配してくれている両親や友達など、多くの要因があったと思います。
たくさんの思い出をつくることができれば死ぬ前に強烈な孤独におそわれることはないだろうとはっきりわかりました。というか確信できたのです。
そしてその思い出とは、人の感情である喜怒哀楽を経験し、その振れ幅が大きいければ大きい経験であるほど、良き思い出となり、それ自体が人が生きる目的なのだと、この時にはっきりわかったのです。苦しいだけのような、思い出したくない経験は思い出にはならないし、楽しい経験だけだと記憶に残らないのでこちらも思い出にはなりません。
そしてそのキーとなるものは、困難な未知の物事に対する”挑戦”だと思って、その後、キリマンジャロを登頂したり、海外MBAを取得したり、いまNOTESに書いているインド世界遺産を全部回ってみようと思ったのです。
旅に挑戦が加わることで、最高の思い出を作ることができる、と思いました。また思い出が作れるのなら、いわゆる”旅行”だけじゃなく、留学とかでももちろん良いし、究極のところ何をしてもよいと思います。
インド世界遺産を全部まわったところで、なにか待っているわけじゃないし、なにかが手に入るわけではないのです。でも自分が死ぬ前にきっとニヤッて笑えるかな、と思って続けたことです。
結局シカゴ大学には行けませんでしたが、なかなか良い経験をさせてもらえたことに感謝ですね。
自分のブログをみてもらって、最高の思い出作りをするために自分も挑戦してみたい!って思ってもらったら嬉しいかなと思います。
旅を終えて手に入れたもう一つのこと
ドラクエのような旅に出て敵を倒せば経験値をもらえて、HPが増えたり呪文を覚えられる、といったようなわかりやすいものではないのですが、「精神的に一歩前に出れる」ようになったかなと思います。
帰国してすぐ、500人くらいの前で話す機会がありました。人前で話すのは今も当時も嫌ですが、登壇するとふと心が落ち着く瞬間があることに気が付きました。話していてもどこか落ち着いている。もう一人の自分が支えてくれているような、そんな感じがありました。自らを信じること、それが自信というものなんだなと。
人も動物なので、人と相対すると臆することがあります。ビビるというか、年齢や体の大きさとかじゃないんですよね、一言でいえば経験からくるオーラみたいなものだと思いますが、ビビらなくなりますよ。少なくとも経験では負けてない!ってなんか自信が生まれるのです。
自己紹介がてら、挑戦する旅を始めてみようと思ったキッカケを書いてみました。ここまで読んでいただいてありがとうございました。
アメリカ大陸をハーレーで横断した旅の記録はこちらにまとめてます。ご興味のある方はどうぞ!
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