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「やった感」

私は観察や身体感覚という言葉を使いますが、
ほんとうに一人でやろうとするには
とてもとてもハードルが高いです。

なんたってアレクサンダーさんは何ヶ月も何年も
鏡の前で自分自身の動きを見続けた人です。
それでようやく
自分がやっていると思っていたことをやっていない
ということを鏡の中の自分自身に見たんです。

自分がやっていると思っていたことを
実はやっていなかった。それはただ自分がやっていると
感じていることをやっていたに過ぎなかった。

「やった感」で動きの判断をしていたんです。

やった感で自分に指示を出して動いていたら、
鏡に映った自身は、自分がやっていると感じていることを
やってはいなかった。ということは、
やった感は動きのガイドにならない。

愕然とすることがわかってしまった。
自分がやっていると思っていることを実は
やっていないかもしれない。。。。
えっ、じゃどうすればいいんだろ。。。
ほんとうにアレクサンダーさん困ったと思います。

動けていると思っていたことが、できていない。
できているという感覚自体が、ウソかもしれない。

いつも言っている呪文の中の首をフリーにするという部分。
初めてのレッスンで自分自身でフリーにできた方はいません。
そもそもフリーってなに??て感じの反応が返ってきます。
(だから呪文でいいんです。)

やったことも考えたこともないんですものできるわけないんです。
でも、やったことがないだけ、できないわけじゃないです。
そのフリーになった首が
フリーと感じられるかどうかはわかりませんが
レッスンで体験だけはできます。

フリーと感じられないかもしれないと言ったのは、
感覚が信じられるものなのかどうかによるからです。


身につけようとする動きをやろうとしていたのに
いざやろうとすると今までの動きでやってしまう。
それもいままでもやっていた習慣的なやり方で。

これをアレクサンダーさんは見つけたんです。


言葉を使っての動きはなおさらです。
やったことのないことはできない。
言葉にくっついている
人それぞれのイメージで動くことになる。
自分の持っている動きのパターンで動くことになってしまう。

だから私たちアレクサンダー教師は手を使って色々と伝えるんです。

レッスンで感覚を信頼できるものにしていきましょう。
呪文も呪文ではなく感覚をともなった、
しっかりとしたものにしていきましょう。

もし何か困っていることがあるなら、
いままでとは違う動きをする必要があるはず。

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