世界はわかり合えないのか

1945年に世界大戦が終わり、こんどこそ世界は平和になる。いや、平和にしなければならない、との意気込みや熱烈な願いが世界中に満ちていたはずだ。一般市民たちはもとより、国の指導者たちもそう願っていたはずだし、その気持ちには真摯な重いがあったと信じたい。しかし、そのときにはすでに様々な裏での思惑もあり、物事は綺麗事ではいかないということも理解はしているつもりだ。

それにしても、この20年来の世界の動きはとくに酷くなっているのではないか。とくに、911の米国での事件以来、「対テロ戦争」の名目で米国の過剰な軍事プレゼンスが際立つようになっていて、同盟国である欧州の国々も大方それに追随している。

米国がアフガン、イラク、シリア等々で行ってきた軍事作戦は、一国のみならず地域の安定を崩壊させ、多数の市民に死傷者や難民を生み出している。それは現在も続いている。そして、同じようなことを、特にアフリカ北西部で行っているのが、フランスだ。フランスの軍事行動は、日本ではあまり報道されないので知らない人も多いが、マリやニジェール、ギニア等々の旧植民地でフランスが行っていることは、米国のそれにも勝るとも劣らない犯罪行為だ。先日珍しくそれなりに報道されたのが、以下のリンク先にある記事だが、これなどもとんでもないことである。「対テロ戦争」の錦の御旗を可掲げれば、何をやっても良いと思っているのだろうか。

米国の軍事行動もそうだが、このような力で押さえつけるようなことは、それに対する反発も当然強いものがあり、結果としてそれは抑圧者に跳ね返ってくるのである。パリなどでIS信奉者の銃撃などがあり多くのパリ市民が殺傷された事件も記憶に新しいが、同じようなことはいつでも起こりうるしそれは実際に起きるだろう。引き金を引いているのはフランスであり、このようなことが起きないような政策を本来とるべき政治家が、逆効果な事を引き起こしているのである。ほんとうに力で押さえ込めると思っているのだろうか、指導者を殺害すれば抵抗は止むと信じているのだろうか。だとしたら、救いようのない無能者たちだとしかいえない。

この20年で、欧米の国々に対する恨みはより広汎に拡がっている。それは欧米人だけではなく、外国人一般に対しても跳ね返ってくるものであり、わたしたち日本人ももちろん対象となりうる。ましてや日本政府の愚政策により、一部では日本は親イスラエルであり軍事協力もしているということが知られているので、わたしたちの立場は微妙である。

最近でも、無能な防衛副大臣が嬉々として親イスラエルをアピールしているような状態なので、彼の地に係わってきた者として、また現地に行くことも想定している立場としては、非常に迷惑でもある。

世界は力を誇示して自分たちに従わせるようなことをしなければならないような状況にあるのか。

答は、ノーである。

不信が渦巻いているような時だからこそ、いかに対話し協調していけるかが大切なのであり、それに向けての努力をするべきだろう。

そしてそれは実はそれほど難しいことではないはずなのだ。心からそう願うのであれば、やることはいくつもある。目先のことで考えないこと。少なくとも10年、数十年先を見て行動するつもりがあれば、自ずとやることは見えてくる。

いつまでも、日米同盟が最重要ではないのである。むしろ日米同盟を見直し、その効力を弱めていくべきなのに、日本にはそういう政治家はいないようだ。残念なことであるが、そういう現実を認識しつつも新しい地平に向けて草の根で出来ることを続けていきたい。

先のフランスの件だが、フランスの問題は実に根深いものがあり、これはフランス人たち自身がおそらくわかっているけれど、変えられないのかもしれない。フランスでは、真の革命がほんとうに求められているのかもしれない。もちろん、それは米国でも同じ。実際米国にはカタストロフィーに実質的に備えている人たちが少なくないので、そういう意味でも今の世界は鉄壁と思われた統治機構や経済システムが、実は大きく揺らいでいる時でもあるのだろう。

いつまでも古い価値観やシステムにしがみつくのではなく、想像力を働かせればわかることなのだ。同じ人間が生きているのだから、文化や言語や信仰の違いがあるからといって、それは対立の因には本来なり得ない。持続可能な世界のためには、わたしたち一市民レベルで声を上げ行動していかなければならない時に来ているといえるのではないか。

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