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アンチズムとノスタルジー

先日、写真のコンテストに5枚のテーマの異なる写真を出した。
その中で自分自身が訴えようとしていること、好きなことは何なのか、ということを考えるようになった。考える上で、いま自分がしていることについて少し振り返ってみようと思う。

まず、思想や政治などを学者やその他の著名人などが対談している動画などにも目を通すようになった。具体的に言えば、民主主義とは何なのか、政治にはどういった役割があるのか、その上で私たちはどういうことに取り組まねばならないのかということについて動画を漁ってみたのである。だが、自分が求めている動画を見つけ出すのは、意外と難しい。誰もが好き勝手に物事を発信できる今、デマもあれば、不正確/不十分な説明、偏った説明ばかりの人も多くいるように思う。そんなこともあり、私はできるだけ「学者」の方が発信しているものを選ぶようにしている。
これはなぜかというと、学者、つまり研究を行う中でデータを収集し、整理したり、また現象を言葉にまとめ表現するという、情報の伝達における最重要かつ基本的な原理原則をわきまえた人たち(わきまえるべき人たち)による情報発信だからだ。「学者」という言葉で絞り込んだとしても、完璧な情報収集というわけではないのだが、「しないよりはマシ」ということで、そういう絞り込み検索をしながら情報に触れている。
↓閲覧した動画の一部


また、他にいま自分がしていることでいうと、2-3年前から地元のお寺でお手伝いを少しやりながらお寺の話や仏教、宗教、生き方などについて話すということもしている。これは学術的な話というよりも、精神性の話であるとか思想の話、もしくはそのような話を生活に応じて考えてみる、という試みである。

他にしていることで言えば、泳いだり、筆で字を書いたり、数学の勉強を中学校のレベルから復習している。
泳ぐというのは元々水や海が好きということもあり、水の中にいると落ち着くし、低重力環境でありかつ全身運動として良いだろうということで行っている。
筆で字を書くというのも元々好きだったことで、また以前広島の熊野の近くで書道用筆を購入したこともあり、中学校以来していなかったのだが再開するに至った。
数学は元々嫌いだったが、ずっと数学的思考、例えばデータの読み取りなど統計学よりの考え方が好きだったということもあり、「よし、今回は本腰を入れて数学を全部復習してしまおう」となった。

このような感じで、考えたり、話したり、元々興味のあったことを掘り返してまたやってみたりと言うことをしている。この中でも、「考えたり、話したり」ということをしている時は、結構自分自身が天の邪鬼(天の邪鬼)であったり、反体制的であったりという考え方があると感じ、「アンチズム」というキーワードでもってくくれるような部分があると感じた。一方で、元々興味のあったことを掘り返して行ったり、上には書いていないが、60-70年代の雰囲気が好きなことであったり、イタリア人の「自分の村が最高だ」節が好きなところは保守的といえると思ったが、「ノスタルジー」とした方が粋であると思い、そういうキーワードを選んだ。

回りくどくはなったが、私はいましていることを振り返った中で、「アンチズム」と「ノスタルジー」という言葉を一つ自分の芯と捉え、周りの物事を見聞きしたり、表現に昇華するということができればいいのではないか、という発見ができた。

これからは「アンチズム」と「ノスタルジー」を切り口とした表現がどのようにできるのか、模索をしていこうと思う。

これまでの自分の思考の棚卸しと備忘録として。20211204

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