見出し画像

読むと喧嘩が強くなった気分になる漫画 森恒二『ホーリーランド』感想

作品以上に作者の逸話が面白い漫画の感想です。


温厚な性格と優しげな顔でインドア趣味というカモを絵に描いたような人物像が災いしてイジメを受けていた主人公、神代ユウ
家族にも内心見下された目を向けられながらの引きこもり生活の末に自殺を決意するが、死への恐怖のあまりに踏み切れないという陰惨な日常を送る。
しかし、本屋でボクシングの教本を手にしたことから彼の日常は一変、全てを忘れるように自室で一人訓練に打ち込んだ彼はあろうことか夜の街に繰り出す。
ひ弱で温厚な見た目に騙されて絡んできた不良を倒したことで、ユウは不良狩り【ヤンキー狩り】の異名を手にし、自身の安息を守るための戦いに身を投じることになるのだった。


この漫画は作者がチンピラをボコボコにしていた実話を元に2000年に『ヤングアニマル』で連載を開始した、様々な理由で表社会からドロップアウトした若者たちがストリートファイトをする作品になっています。

途中で技や立ち回りの解説などが入るため斜に構えたオタク達に妄想と罵られることが多くありましたが、画像検索で出てくる「格闘家と並んでもどっちが格闘家なのかわからない写真」と、今は亡き『ベルセルク』の作者である三浦健太郎氏の証言により殆ど作者の実体験である事実が強固になりました。
実経験から繰り出される描写は勿論リアリティがあり絵の動きは少ないものの教本じみた読み応えもしている、格闘ひいては不良ジャンルに於いても異彩を放つ漫画です。
その巧みな図解と現実でも(作者レベルのフィジカルがあれば)実現可能な技や、たまに入る「聡明な読者はもうお気づきであろう!」という読者が喧嘩が強いこと前提の煽り文句の影響により、読むと喧嘩が強くなった気分になる漫画として一番手に挙がる金字塔的立ち位置に君臨しています。

ただしホーリーランドが現実味のある格闘漫画になっている理由はそれだけではなく、大きな要因となっているのはキャラクターの心理描写が丁寧で共感しやすいところにあると思います。
上で述べた通り、この漫画に登場するキャラクターは一部を除き表舞台のドロップアウターです。
元いじめられっ子の引きこもりの神代ユウを始め、筋肉質な影響で身長が低く公式戦で不利を強いられる空手家の緑川ショウゴ、表での心ない扱いにより暴走して街に逃げてきた伊沢マサキ、プライドのために不良として生きていくしかなくなった八木や吉井、重度のジャンキーで薬がないと生きていけない加藤、街では威厳をかざすもののヤクザや国家権力である警察には無力と化す不良達など、行き詰まった人間達が多く、決して「力こそが正義」とは言えない、社会での焦燥や嫉妬や慟哭がどこかある無力感と共に書かれています。
読者がもっとも感情移入がしやすいルーザーかつ主人公のユウの思考が繊細であり、読者自身も夜の街に引き込まれるような錯覚を誘発してくるのも特徴です。
また主人公のユウやメインキャラのマサキとショウゴが読者の手元から離れてしまった時は、オタクに優しいギャルこと親友のシンちゃん父性の塊である砂場最強の土屋さんなどが読者と同じ目線でユウ達を見てくれるので、人物をより等身大に見つめることが出来ます。
こういった喜怒哀楽を濃厚に描写する格闘漫画は少なく、作者本人にも長い間漫画を大量に没にされてきた度にショックを受けて(再帰のエネルギーを得るためにわざと弱いふりをし、まんまと喧嘩を売ってきたチンピラをボコって)いたという繊細さがあるからこその金字塔的扱いと言えるでしょう。

また、この作品は夜の華美さと反面孤独感や疎外感からくるどこか湿気った空気と、昼の素朴でありながらカラッとした明瞭かつ活発な空気の描き分けが奥深いのも実在性に一役買っています。

そうした複雑な要因から、より没入感の強い作品となっているのですね。


では作風の話をひと段落終えたところで、この物語のキャラクターの紹介です。

神代ユウ
温厚で優しい性格のちょっとオタク気質な美少年。絡んできた不良を倒したことから『不良狩り【ヤンキー狩り】』の異名で畏怖されるようになる。
悪質なイジメにより後天的に暴力衝動を内に秘めており、友人が殺されかけた時は不良専門の通り魔と化してしまう。
その爆発力は走る車に追いつき車体をバキバキにするレベルで、「お前に殺されないと僕がお前を殺してしまう」と宣言するくらいには自身の凶暴性を自覚している。
最大の武器はスピードと言われているが、どう考えてもナイフで刺されても車で撥ねられてもピンピンしてるタフさが売り。なおこのタフさはエグいイジメにより身についたものだと思われる。

シンちゃん(金田シンイチ)
ユウの一番の親友であり最初の友達。懐がマリアナ海溝より広く誰にでも分け隔てない態度を取る聖人。
喧嘩は嫌いかつ弱いので戦闘には参加しないが付き合いが良く、どんなに危険な場所でも付いてきてくれる。この漫画のメインヒロイン。

伊沢マサキ
路上のカリスマと呼ばれる街の統治者。格闘はボクシングスタイル。
隙のないイケメンで大人びた雰囲気をしているが意外と自己評価が低く、カリスマと呼ばれるほどの柄ではないと思っている。そのため、ユウの心の師匠的な存在であるが本人はユウに対して強い親近感を持つ。
ドラマ版でマサキを演じた徳山秀典はイケメンでボクシングもやってたためか作者に気に入られている。

伊沢マイ
マサキの妹でユウの穏やかな性格に惹かれる美少女。モテているが一途。
ヒロインとしての活躍が殆どシンちゃんに奪われているため、中盤まではたまに顔を出して場を潤す名有りのモブみたいになっている。
ただなんだかんだ優しくて正直者で可愛い。

緑川ショウゴ
融通の効かない性格をしているいわゆるツンデレ系の空手家。ユウの友達であり戦友。
背が低いため公式戦であまり活躍できず、街での喧嘩で実践経験を積んでいる。
どんどん強くなっていくユウに対して次第にコンプレックスを覚えていくことになるが本人が善人ゆえに強い後遺症を残さない戦い方をしているだけで、相手がド悪党なら文字通り死ぬほど強い。

土屋
情に厚く人のために涙を流せる、実は人望においてならマサキさえ凌ぐレスラー。
路上適正がなく喧嘩には負けっぱなしだが、自身の実力をよく理解しているのと割り切りがしっかりしているのとで周りほど強さに拘りがないため、メンタルが危うい人間と会話すれば完璧なケアをこなせる。
不良に慕われるだけであって本人自体は不良でもなく、プロレスラーとしての実力もあるがパン屋の道を選ぶほど性根は喧嘩とは無縁。
ピンチになると草地を召喚できる。

以上の他にも、ユウの初の格上戦として役不足レベルの路上でさらっと柔道使う危ない人や、木刀で人をシバくことに躊躇がない不良より逮捕した方がいい人など個性的すぎるキャラクターが沢山存在するので、是非皆さんの目で確かめてください。


キャラクター紹介でも把握できる通りさまざまな格闘家が出てくるこの漫画、最良の特徴は「弱い格闘技は一つもない」を徹底しているところにあると思います。
格闘漫画が格闘漫画である以上はどうしても格闘技の描写に対し優劣が現れます。ですが、この作品の「条件さえ揃えばどの格闘技も最強になり得る」という描写はストリートファイトというアングラ系ジャンルでありながら清いリスペクト精神を感じます。
これはこの漫画が格闘漫画でありながら、人間の柔らかな感情を大事にした作りであるからこその長所であると思います。

そういった作風だからこそ、この漫画を読んで「強くなりたい」と思う人が多いのかもしれません。


そしてマサキの紹介文でシレっと書いていますが、この漫画はドラマ版があります。しかも韓国でも実写化されてるそうです。すごいですわね…確かに最近の復讐系が流行ってるのを見ると韓国でのウケは良さそうだな。

徳山秀典がマサキ役として出演した2004年のドラマですが、漫画実写化ドラマという酷評が付き物であるジャンルにも関わらず、とても満足度が高い仕上がりとなっているそうです。
それもそのはず!なんと役者は殆どが格闘技経験者であり、アクション指導は原作者自らが行なっているんですね!漫画家が格闘技経験者にアクション指導を行うってなんだよ。
僕は残念ながらまだ見たことがないんですが、ファンには好評なので見る機会がある方は是非ご覧になってください!

review_ホーリーランド

森恒二氏はユウ役であり主演の石垣祐磨が引っ張りパンチが出来ないことで自分の強靭さを初めて自覚したそうですね。遅すぎる。

この記事が参加している募集