ChatGPTよりも大切なもの
ChatGPTよりも大切なもの、それは戦略を立てることだ。
これは、世界を変えたいなら一度"武器"を捨ててしまおうに掲載されている図である。
この図の面白いところは、話題の渦中にあり、これからの世界を変えるように言われているようなChatGPTですら、所詮は技術=武器に過ぎないということがわかる点だ。
歴史的に見れば、日本は技術レベルで言えば、他国にも勝るとも劣ることはないのではないだろうか。
例えば、織田信長は鉄砲という技術を日本に普及させた第一人者だが、その技術が日本に伝わってからせいぜい数十年で、一般的なレベルとして定着させている。
その背景には、信長の辣腕もさることながら、当時の刀鍛冶の高い技術を、鉄砲制作に転用したことにも要因があったそうだ。
そして今でも、ビジネスシーンにおける現場での、日本人の優秀さを耳にすることは、決して少なくはない。
ただし、戦略面においては、他国に対して圧倒的に劣る。
例えば、かつてスキーの世界大会で、日本人が金メダルを取った後に、ルールが日本人にとって不利になるような変更がなされたことを、記憶している人も多いのではないだろうか。
また、昨今のSDGsに対する取り組みにしても、日本は技術面や倫理面において遅れを取っているというよりは、ヨーロッパの戦略的な思惑の上で踊らされているだけのようにも見える。
日本の未来を考えた場合、我々が身につけていくべき能力の一つとして、戦略的なアウトプットを出せるようになるということは、必須項目の一つとして挙げられるに違いない。
それを思えば、ChatGPTという技術について、それを使うか使わないかという議論は、いかにも程度が低い話に感じられる。
使うことは大前提であり、それをいかに使うべきか?それを使ってどういった日本を、世界をつくっていくべきか?という問いこそが、これからの日本にとって重要なテーマになっていくのではないだろうか。
ところで、海外の大学では、少し検索しただけでも、ChatGPTに対して好意的に捉えているところがあることがわかる。
一方、日本の大学は、軒並み批判的な意見を述べている。
旧帝大レベルでも、新しい技術に対しての歓迎ムードはない。
一応、私の母校である東北大(中退だけど(笑))も否定的だし、リベラルだと言われる京大ですら、学長が入学式で新入生に対して釘を刺す有様だ。
戦略的思考を軽視する姿勢は、これからも再生産されていくのだろう。
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