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メルボルン・バスキング・デイ vol.1

 バスキング(busking)とは、通行人から寄付金を頂戴することを目的にした、路上パフォーマンスのことである。バスキングを行なっている人のことをバスカー(busker)と呼び、欧米諸国やオセアニアでは各都市の市役所でライセンスが発行されていて、職業としても認知されている。

 私自身、ギターを中学生の頃から始め、高校の文化祭で初のバンド活動を体験し、大学では軽音サークルに所属しライブ三昧だったのだが、バンドもメンバーの就職に伴い解散してしまった。私は大学院に進学したのだが、日々の研究生活に疲れてしまった反動からか、ギター一本で歌なしのインストスタイル、いわゆるソロギターで音楽活動を開始した。演奏活動をどんどん広げていくうちに、ふと自分の力量を試してみたくなり、知り合いのギタリストの方がSNSで語っていたオーストラリアでの路上演奏を自分でやってみたいと考えるようになった。

 そして、ある日、私は意を決して、大学院を辞め、ギターと機材、PCを抱えて、オーストラリアはメルボルンに飛んだのである。

 ここから、その当時の体験を記していこうと思う。といっても、時系列に沿ったものではなく、断片的な出来事の列挙にすぎないので、ストーリー性はないが、メルボルンという不思議な街の雰囲気や自由な人々の様子を楽しんでもらえれば、幸いである。

メルボルン芸人と勝手な人達

 バスキングでは様々なトラブルがつきものだが、その代わりにそれらの不愉快な思いをした出来事を、全て払拭してくれるような素晴らしい出会いがあるのも魅力の一つである。しかし、中にはトラブルと言うほどの困難さはなく、かといって素晴らしい出会いと言うほどの感銘も受けない、そんな語るには些末な出来事が少なからずある。メルボルンではその様々な国からの移民を受け入れてきた長い歴史や芸術文化が発展してきた土壌のおかげか、風変わりな人が多く、しかも自然体で生息している。そんな人達がバスキング中に絡んでくるとこちらは振り回されてしまうばかりでたまったものではない。

 私がメルボルンで良く演奏していた場所は、カジノクラウンのエントランス近くで、サザンクロス駅前を通るスペンサー通りを南にずっと下っていき、ヤラ川に架かる橋を渡ったところである。そこから、そのままスペンサー通り沿いに少し進むと、多くのタクシーが客待ちをしているカジノのエントランス、左手に数歩進むとカジノの敷地内でヤラ川沿いにカジノエリアを貫通する歩道が始まっている。ちなみに敷地内はバスキング禁止だ。つまりこのスポットはカジノエリアにぎりぎり入らないグレーゾーンと言うわけだ。右手に横断歩道を渡るとスペンサー通りの真ん中にトラムストップが、渡り切るとコンベンション・エキシビジョンセンターがある。このスポットはカジノに訪れる人や、カジノで遊んだ後にトラムに乗って帰る人が行き交っている地点となっている。人の流れがある分、変な人に絡まれることも多いのが難点だ。

勝手な南米男

 私がいつも通り日没頃に、横断歩道を背に、カジノエリアへ入る道に向かってバスキングしていると、ヤラ川の橋を渡って歩いてきた南米系の男が話しかけてきた。

「君の演奏スタイルは何だい?」

 アコースティックギターでのインストで歌無しだと答えると、何かを了承したかのように頷き、大げさに両手を広げて、

「演奏したまえ (Play)。」

とのたまうではないか。おそらく本人はそんなつもりがないだろうが、そんな横柄とも言える態度に、若干の苛立ちを覚えた私はぎゃふんと言わせてやろうと思い、メルボルンでのキラーチューンであり、これまで数々のピンチを乗り切ってきたタッピングと呼ばれるテクニカルな奏法を用いた曲を披露することにした。

 どの曲であっても弾き始めは力加減のコントロールに少しばかり気を遣うので、いつも通りに顔を下に向け集中しながら曲をスタートした。弾き始めておよそ二小節ほどで、よしこれで上手く行く、と安心し、さて相手のあぜんとした間抜け面でも拝んでやろうかと思い、さっと顔を上げると、その南米男の背中はカジノエリア内を遥か彼方に歩き去っていた。

 彼は私が弾き始めたのと同時に歩き出したのだろう。自分から声をかけて来ておいて、と思うが、やはり本人に悪気はないのであろう。怒りや呆れを通り越して、苦笑するしかなかった。

レジェンド少年 

 絡んでくる人の中にはやたらコラボしたがる人がいる。バスキング中に、橋を渡って来た自転車の少年が私の横にそのまま停まり、自転車からは降りずに肘をハンドルに乗っけたまま

「何かアップテンポな曲はないか?一緒にセッションしようぜ」

と聞いてくる。めんどくさいなぁと思いつつ、

「じゃあ、ちょっとやってみるよ」と応じると、

「俺とお前で人をたくさん集めて、伝説の夜にしようぜ」

なんて仰る始末。脚色入れ過ぎでは、と思いの方もおられるかもしれないが、彼は確かに「Legend」という単語を使ったことを記しておく。

 やはり定番であるタッピング曲を演奏し始めると、レジェンド少年は怒濤の如くラップを始めた。しかし、英語なので何を言っているのか良くわからない。上手いのかどうかも良くわからない。彼の口から彼の思いの丈が詰まったであろう言葉が滔々と流れていくが、非情にも道行く人は誰も注目していない。

 そりゃそうだろう。こっちは200wのアンプを大音量で使っているけど、レジェンド少年はマイク無しだ。つまり、彼の渾身の、魂のこもったラップはすぐ側にいる私にしか聞こえてないのだ。そうこうしているうちに楽曲が終わってしまい、予想より遥かに短くコラボが終了したことにレジェンド少年は若干驚いた表情で、その後物足りなさそうに、渋々といった感じで握手をして別れた。

次はマイクをちゃんと用意してくるように。

 彼のように実際にパフォーマンスをして自分の力量を示してくれるのはまだマシな方かもしれない。勘違い甚だしいのは別にして。

It’s up to youおじさん

 とある日、やはり夜に演奏していると、一人の白髪で肌の色が黒い男性が私の左側に立った。私はいつも自分の右側にスピーカーを置くので、絡んでくる人は大抵私の左側が定位置だ。彼は一通り私の演奏を聴くと話しかけて来た。

「お前の音楽はとても素晴らしい。ただお前に決定的に足りていない物がある。何か分かるか?」

若干私を試すかのような間があって、男は言った。

「それは’詩(Word)’だ」

 男の表情は真剣そのものだが、その目は、あたかも自分が関わらなかったばっかりに不条理や不幸がまかり通ってしまっている世界の現状を嘆いているかのように、どこか哀しみに満ちていた。まだ肌寒い季節にも関わらず、白のランニングシャツで、そのお腹は中年腹でぽっこりと出ており、左手にはホワイトクリームを挟んだ小サイズのクラッカーがいくつか並んでいる袋が半分開封した状態で握られていた。

「だが安心しろ。俺ならお前の音楽を変えてやれる」

 先程と打って変わって、男の表情は、これから始まろうとしている未知の出来事への予感に震えているようであった。しかし、同時に確信に満ちているようでもあった。そして、彼は続けた。

「お前がすべきことはただ選択するだけだ。俺の言うことに’Yes’か’No’で答えるだけで良いんだ。いいか?お前は選ぶだけで良いし、どっちを選ぶかは」

少し間があった。

「お前次第なんだ(It’s up to you)」

それだけ言うと、男の顔は自分の使命をほとんど果たしたかのように晴れ晴れしていた。あとはこの哀れなアジア人が己が進むべき道を選び、全ての運命を自らの手で決するだけだと。それもただ是か否かを口にするだけだと。

「さぁ、お前の答えを聞かせてもらおうか。俺の助けがいるかどうか」

と男が静かに促す。

「’Yes’か’No’を!」と男が言い終わらないうちに私は「No!」と言い放った。

 その瞬間男はそれまで何事もなかったかのように真顔で私の前を通り過ぎ、スペンサー通り沿いに歩き去ってしまった。

勝手なゴスペル兄さん 

 メルボルンにおいてバスカーに関しては演奏や音楽性のレベルは、はっきり言って全体的には高くはないが、少なくない数のモンスター級のミュージシャンが潜伏していることも事実だ。

 とある週末の夜、行き交う人々の数がいつもより多く、周囲の雰囲気が何やらエネルギーに満ちあふれていた。いつも通りの定位置でバスキングしていると、演奏のリズムに合わせてカジノエリア側からこちらに向かって歌いながら一歩一歩と近付いてくる人間がいる。でっぷりとしたふくよかな身体に、ミクロネシア系の肌、チリチリの長髪を束ねた男性は如何にもゴスペルが上手そうな雰囲気で、実際とても歌が上手かった。

 恥ずかしながら私は音楽的な知識がほとんどなく、自作の楽曲はほとんど音楽理論などおかまい無しに、自分が実際に弾いてみて良し悪しを判断して作っている。ゆえに、自分の楽曲のコード進行や理論的な展開を把握しておらず、一度分析してみようと思ったことはあったが、よくわからない和音の使い方をしていることに気づいて、自分の手に負えない代物だと判断して諦めたことがある。この楽曲に他の人間が乱入しようものなら、普通は大事故になりかねないだろう。

 しかし、このゴスペルさんは、やはり定位置である私の左側に立ち、私の演奏に合わせ高らかに歌い上げ、それも、そのようなメロディラインの取り方があったのかと、作曲者本人である私が感嘆せざるを得ないアプローチを何度もこなすほどであった。この不思議なセッションは彼の仲間がカジノエリアへの入り口付近で見守っている中何曲も続いた。満足したのか、一通り歌い終わったゴスペルさんが笑顔で話しかけて来て、

 「とても良いね。どうやって作曲したの?」

と聞いて来た。音楽理論は知らず自分の耳で聞いて作った、ことを告げると、

「ワォ、それはとても凄いね」

と和やかな雰囲気だった。

「それにしても、ギターも上手いね。何年やっているの?」

とゴスペルさんが何気に聞いて来た。

「18年だよ」

と答えた途端、ゴスペルさんの表情が変わって、真顔になった。

「おいおい、ちょっと待てよ。お前一体何歳なんだ?」とゴスペルさん。

私が「32歳だよ」と答えると、自分が聞いたことが信じられないとでも言う風に、わなわなと首を振りながら、「ちくしょう。ちくしょうめ」と言い放ち、夜のカジノエリアへと仲間とともに歩き去っていったのであった。

 アジア人は外見から年齢を判断しづらいと言うが、仲良くなれたのかもしれないのに残念だ。

つづく

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