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メルボルン・バスキング・デイ vol.2

 バスキングにおけるもっとも重要なステップは、たまたまそこを通りがかった人に注目してもらい、興味をもってもらうことだ。何せ人が道を普通に歩いている時、道端で赤の他人が何かしらパフォーマンスしていても、気に留めることはとても少ないのではないだろうか。せいぜい何かやってるな、ぐらいの認識で、すぐに連れ歩いている人との会話に意識が戻ってしまうだろう。楽器演奏系バスカーにとっては特に、人が立ち止まってくれないことには演奏を聞いてもらえないので、そのファーストステップにして、最大の鬼門とも言っても過言ではないこの課題をどうクリアするかが重要となってくるわけだ。見たことがないような珍しい楽器はまぎれもなく人の目を引きやすいだろう。その一方で、一見珍しくも何ともないアコースティックギターなどはトラディショナルにしてモーストポピュラーな楽器の一つであるがゆえに、意外と「俺もギター弾くんだぜ」と声をかけてくる人は多く、実は逆に注目してもらいやすい一つのアドバンテージになっている。その反面、絡まれやすいのも事実だが。

 ここメルボルンはカジノ前のお決まりの定位置、そして時間は酔っ払いが魑魅魍魎の如くひしめく夜中、バスキングしていると、やはり行き交う人に絡まれること絡まれること。大抵はカバー曲のリクエストが多く、やれSmoke on the waterだの、やれHotel Californiaだの、いちいち楽曲の年代が古い。そして挙げ句の果てには、OasisのWonderwallをタイトル名を叫びながらリクエストしてくる始末。それでも二十年近く前の楽曲じゃないか。そもそも私のスタイルは弾き語りじゃなくて、ただのソロギターインストなので、当然の如く歌謡曲のリクエストには応えられない。本当はWonderwallぐらいは弾けるけど、相手にするのが面倒くさいからできるとは決して言わない。そうやってリクエストを拒否していると、中には「俺に弾かせろ」とか「俺の友達がギターすげぇ上手いんだぜ」とか言ってくる輩が出てくる。そんな申し出は勿論即刻却下だが、我こそはと名乗り出てくる人間は何故かこちらが拒否しないと決めつけているからか、断るとそんな無神経な性格のくせに自尊心は傷つくのか、去り際にぽろっと悪態をついていくのだ。

何が何でもギター弾きたい人たち

 ある晩には、歌に自信があってプライドが高そうな男とコミュニケーションに長けて器用に楽器演奏もこなせそうな男の2人組が「ちょっと歌わせてくれないか」と近寄って来て、例の如く断ると、それまで一言も発してなかったプライド男が「ちくしょうめが」とつぶやき、それに同意するかのように器用男も「あぁ、ちくしょうめだ」と言って去っていってしまった。いや、ちくしょうなのは君たちの方やで。間違っても君たちが言う台詞じゃないよ。それにしても、私はこれでもギターコンテストに出場するぐらいの腕前はあるのだが、そんな私の前で自分の演奏を、それもどうせ大したことのない力量を誇示したがるというのは、一体どういう神経しているのだろうか。

 昔の逸話だが、琵琶法師が部屋で演奏していると、隣の部屋から障子を隔てて、誰かの琵琶の演奏が聞こえてくるが、実は隣の部屋で演奏している琵琶法師は老練の名奏者で、ある程度実力のある琵琶法師は己の未熟さに気づいて恥じ入ってしまい、演奏を止めてしまうが、未熟な者はそんなのおかまいなしに延々と演奏を続けるといった話がある。やたらと弾きたがる連中は救いようもないくらいに己の力量を過信してしまっているのか。まぁ、私は残念ながら受賞歴はないのでその辺足下を見られているのかもしれないが。

 そして、嘆かわしいことにそんなやつにかぎって「俺はグッドギタリストなんだぜ」と言い出す。何をもってして「グッド」と言うのであろうか。本当に良いギタリストは自分の力量をひけらかしたりしないし、大抵の場合とても謙虚で、相手へのリスペクトを忘れない。そんないい加減な人間に商売道具であるギターをやすやすと渡したりしたくない。しかし、渋っていても中には諦めの悪い人間はいるもので、「金か?」と聞いてくる人間がいる。時には、「10ドル払うから良いだろう?」と具体的な金額を提示して来て、いつも道端でギター弾いている人にその額で交渉している常習犯かのような口ぶりの人もいる。しかし、10ドルぽっちでともに戦場を渡り歩いて来た愛器のヤイリギターを危険にさらすわけにはいかない。何かトラブルがあれば、そこでバスキングライフが終了となってしまう。大体「一分間で10ドル」なんていい加減な条件提示してくる人間が一曲だけで満足するわけがない。当然のごとく、そんな非常識な申し出を断るのだが、断られたことがショックなのか、やはりこれまたどうしようもなく諦めの悪い人間はいて、値段を釣り上げてくるのだ。頑張る人は100ドルぐらいまでねばる。ほんの少し道端でパフォーマンスするのに、100ドルも払うんなら家に帰って自分の機材持って来てその辺で勝手にやれば良いだろう。

大枚叩いてでも弾きたい人

 ある時、私がセットアップ終了後に演奏開始の予定時刻まで折りたたみ椅子に腰掛けて精神統一しながら待っていると、男二人、女一人の三人組がやって来て、男性がギターを弾かせて欲しいと言って来た。やはり私は断るのだが、次の飲み会までの時間を持て余しているのか、三人とも私の側に腰をかけて議論が始まってしまった。男が「ちゃんとお金を払うから」と言い出すので、お金が問題じゃない、と告げるも納得のいかない様子。ギターケースから少しヘッドがはみ出した状態で置いている、私のギターのヘッド部分で弦を巻き付けているペグ付近の弦をキンキンと指ではじき出した。もう一人の男が私に向かってにやりと笑い、

「これで君は実力を示さざるをえなくなったな」

 なんでそう言う展開になるの。

 諦めの悪い男は値段を釣り上げ始める。私が首を横に振るたびに抗議の意を示しているのか、弦をキンキンと弾く。そして、最後はやけになったのか、何が何でもこのアジア人が折れる姿を見て鼻で笑いたいのか、提示する金額が200ドルまで達した。もう一人の男は

「安心しろ。こいつにはちゃんと払わすからな」

 あんたは敵か味方のどっちなんだ。

ここで女性が、

「そもそも何で彼にギターを弾かせたくないのかしら」

など議論の根本を指摘する。

 いや、そもそもおかしくないですか。自分の商売道具をそれも商売中に赤の他人に破損のリスクがあるのにも関わらず渡す理由が何処にあるんだろうか。すぐそこにあるレストランの厨房に乗り込んで「料理したいから俺に調理器具を貸してくれ。安心しろ、俺は良い料理人だ。何せ我が家のメインシェフはってるからな」なんて言っているのと変わらないだろう、

なんてことは口にしない。議論するのも面倒だからだ。ただ「彼の演奏がどんなに良くても俺には関係ないし」とだけ言った。本当は「彼の顔が気に喰わない」とか理不尽な理由にしたかったが。そこキンキンしない。

 そうこうしているうちに彼らは他の仲間と合流し、諦めの悪い男はその輪に入りつつも、私のギターを時々恨めしそうに凝視していた。

と言いつつも、ギター弾かせてあげた人たち

 しかし、例外的にギターを弾かせてあげたことが何度かはある。一人は中年の女性で旦那さんと思しき人と一緒だったが、音の良さに惹かれて是非に、と懇願されてしまった。旦那さんは邪魔しちゃ悪いよとなだめていたが、そのどうしても試してみたいと頼み込む女性の目があまりにもキラキラしていたので、どうぞとギターを手渡した。彼女はギターの弦をつま弾くたびに感嘆していて、そんな様子を見ていた私もなんだか嬉しくなってしまった。彼女はギターのメーカーから、ピックアップシステムや使用機材に関する私の説明を熱心にメモしていく。ミュージシャンは自分の使用機材については熱弁したくなるものだ。

 別の人は何やら只者じゃない雰囲気をまとった男性だった。ギターについて、私がよく使っているチューニングについて色々質問して来て、最後に試させてくれないかと聞いて来た。その時、その男性のオーラに気押されたのか何故かギターを手渡してしまったのだが、演奏技術の高さが端から見て分かるほどであった。少し演奏しただけで、「良いギターだね」と言って去ってしまった。あの短時間でギターの特性を見抜いたのであろう。なんともはや恐るべし。

 最後の男性は白髪のおじいさんだった。何となく、休憩を兼ねてのつもりでギターを手渡したところ、じいさんは誰かの曲の伴奏をアルペジオで黙々と演奏し始める。私は一応曲がりなりにもプロなのだが、よくもまぁ本職の人間の前で、しかも仕事の最中に、臆面もなくそんな普通の演奏を披露する気になるねと思いつつ、聞いていた。やがて、何の盛り上がりもなく、淡々とアルペジオ演奏をし続けるじいさんにしびれを切らし始めたのだが、サビらしきコード展開になり、これでじいさんの気も晴れたであろうと安堵しかけたのも束の間、サビが終わっても途切れることなく、じいさんは再びAメロの伴奏を弾き出したのだ。演奏し続けるじいさんの頭の中では、名も知らぬボーカリストが二番目の歌詞を情熱的に歌っているのであろうが、そもそも楽曲を知らない私には同じ演奏だ。じいさんが脳内で、バンドとの名セッションを観衆の熱狂的な声援の中繰り広げているであろうさなか、もうこんな不毛な時間はごめんだと、二度とバスキング中にギターを他人に渡すまいと私は心に誓うのであった。

つづく

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