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メルボルン・バスキング・デイ vol.3

 どこの世界でもその共同体のルールや慣習に上手くなじめず、挙げ句の果てに社会不適合者の烙印を押され、日の当たらないところで暮らすのを余儀なくされている人はいて、それはメルボルンとて例外ではない。しかし、メルボルンが他の土地と異なるのは、そういった他所の土地では腫れ物を見るような目で見られがちな人達にも親切に、いやむしろ親しみを持って接する人が多いというところだ。

 実際私は、道端で物乞いしている人の側に、若者が座り込んで熱心に話を聞くという、日本ではとても起こりえないであろう光景を良く目にしたものだ。身体障害者の人が楽器演奏でもしてバスキングしていようなものなら、通りがかった人は躊躇なくドネーション(寄付)を与えるだろう。そんな風土だからか、多少、いやそこそこ変な人がいても、「まぁ、メルボルンだし」と気にならなくなるし、それゆえかそんな人たちが野放しになっていたりする。

孤独な警備員

 私が毎度おなじみのカジノ前の定位置でいつも通り道路を背に演奏していると、私から見てちょうど右手で信号待ちしている人たちの間を動き回っている男性がいた。彼は信号機からカジノエリアの入り口までのほんの5、6mほどをせわしなく行き来していたが、何やら様子が変だった。カジノエリアの入り口まですごくきびきびと歩いていったかと思うと、いきなりくるりときびすを返して誰かを指差した。しかし、その方向にいる特定の誰かを指定しているわけではなさそうだ。そこには実際にいない誰かに何やら指示を出している様子だった。そして彼はまた信号機のところまできびきびと歩いていった。彼は移動の最中も終始何やらぶつぶつとつぶやいていて、時折だが、立ち止まって背筋をぴしっと伸ばして誰かに敬礼する。それは端から見てみると異様な光景なのだが、道行く人はあまり気にも留めない様子だった。

 そんな彼をバスキング中に時々見かけたのだが、彼は誰かに危害を加えたりする気配は全くなかった。ただ、信号機とカジノエリア入り口の間を、ぶつぶつ何やらつぶやきつつ、忙しく行き来し、時折誰かを指差して指示を出し、誰かに敬礼したりしているだけだ。そんな彼がバスキング中に話しかけて来たことが一度だけあったが、内容はあまりにも普通で、とりとめもないことだったので記憶にない。しかし、普段あれ程常軌を逸した行動をしている彼がまともな会話ができるとは思っていなかったので、その時はいささか拍子抜けした。彼は自分の世界の中で一所懸命に誰かのために仕事しているのであろう。それ以来、彼が私の方向に向かって敬礼して来たときは、私も敬意を込めてびしっと敬礼を返すようになった。いつもお仕事ご苦労さんです。

夜のダンサー

 とある晩のこと、やはり皆さんご存知カジノ前でバスキングしていると、ヤラ川沿いに伸びているカジノエリア内を貫通する道をこちらに向かって、ゆっくりと進んでくる人間がいた。その男性は普通にまっすぐ歩いて来るのではなく、車が二台は通れるほどの横幅がある道をジグザグに、それも何やら身体をよじらせたり、時には足を大きく開脚しながら地面に手をついたりしながら、少しずつ進んでくる。

「これは、コンテンポラリーダンスか」

 少し前にオーストラリアのミュージシャン、シーアのミュージックビデオでバレーを取り入れたコンテンポラリーダンスを踊る少女が話題となったが、私もその動画を目にした時はこんな斬新なダンスが存在するのかと、驚嘆せざるをえなかった。トラディショナルなバレーも一度ローマの屋外ステージで見たことがあるが、最安価席からの非情な距離感にも関わらず、その力強い踊りに圧倒されたものだ。少女の踊るダンスはそんなクラシックバレーの強靭な技法を取り入れつつも、様々な感性に訴えていくような表現法を駆使しているようだった。確かに例の動画では、次はどうなるんだろうかとヒヤヒヤしつつ、少女の一挙手一投足に目が離せなかった。

 クラシック音楽の世界でも20世紀に入ってから、それまでの調や和音、構成といったルールに縛られて作曲してきた音楽に別れを告げ、予定調和の生じ得ない、それゆえに展開が予測出来ず、感性を随時刺激されるような音楽を作るようになったと聞く。

 そんなことを考えながら、目の前の男性の踊りを演奏を止めることなく見守っていた。足を大きく開き両手を地面につけているのは、「大地」の力強さを表現しているのであろうか。とすれば、身体をよじらせながら伸びをしているのは、「樹木」か。そうか、彼はこの地球でたくましくも生きている「生命」を表現しようとしているのかもしれない。それも私の音楽に合わせて。なんという異色のコラボであろうか。

 しばらくの間、カジノエリアの入り口のところで踊っていた彼はようやくカジノエリアから出て来たが、そのまま一度も止まらずにヤラ川の橋の方へゆっくりと踊り去ってしまった。一体何なんだろうと思っていると、彼が橋に差し掛かったところでカジノエリア側からガードマンが二、三人現れた。どうやら彼の男性は酔狂な現代舞踏家ではなくただドラッグでおかしくなってしまった人のようだった。ガードマンと私に見守られながら、男性はゆっくりと踊りながら橋の向こうに姿を消してしまった。

孤高のギャンブラー

 別の晩にバスキングしていると、一人の中年男性が私のギターケースにコインをちゃりんと放り込んで、私の左側に立った。

君たちほんとそのポジション好きだよね。

「やぁ、今はこれだけしかあげれなくてすまないな。本当はもっとあげたいのはやまやまなんだが」

 おっちゃんの身なりは他人に施しが出来るほど、生活に余裕がありそうには見えなかった。

 「だが、安心しろ」

とカジノエリアの方を指差す。

「俺はこれからカジノへ行くんだ。そして、大勝ちして大金を手に入れるんだ。お前にもたくさん金をやるぜ。10ドルとかな」

10ドルぽっちかよ。

おっちゃんは続けた。

「そうだ、おれは大金持ちになって、故郷のアイルランドに帰るんだ。

でっかい船に乗ってな!」

と言いながら、港の方角を指差した。確かにメルボルンは元々港町で、大きな港があるが、それにしても世界中への航空網が発達したこのご時世に何故わざわざ船を選択するんだろうか。それも大きな船を選ぶという発想は、裕福な人ほど乗れる船の規模が大きくなるという理屈なんであろうか。理解に苦しんでいる私をよそにおっちゃんは意気揚々とカジノエリアへと乗り込んでいった。

 そして、その十分後、おっちゃんはガードマンに追い立てられながら戻って来た。時々、振り返ってはガードマンを指差し何やら罵声を浴びせている。そうやっておっちゃんはガードマンに見守られながら橋の向こうへと去っていった。おっちゃんが故郷へ帰るのに、空路という手段を一刻も早く思い当たるのを願ってやまない。

ディジュリドゥじいさん

 これまた別の晩に、もはや紹介するのもはばかれるカジノ前は定位置でのバスキングの最中に、ヤラ川とは反対方向、すなわち沢山のタクシーが客待ちしているカジノのエントランス側から、白い大きな犬を連れた長い白髭のじいさんが現れた。

 じいさんは私が演奏している場所のちょうどはす向かいにあるレストランの前に、近くにあったビール瓶の容器を裏返しにしてそこに腰をおろした。それから、荷物をごそごそしながら取り出したチョークで舗装された地面のタイルに何やら大きく文字を書き始めるじいさん。物乞いかな、と見ていると、じいさんは側に横たえていた細長い袋をはらりとほどき、中から木製の木の筒を取り出した。

「ディジュリドゥか」

 オーストラリアの先住民アボリジニの伝統的な楽器であり、アボリジニ文化の象徴とも言える楽器だ。循環呼吸と呼ばれる特殊な技術を要し、演奏するには少々難易度が高い楽器で、その音はぶぉっーという低音が鳴り響き、昔は具合が悪いところにその低周波音を当てて治療に使っていたという。オーストラリアにはディジュリドゥを使ったバスカーが少なくなく、何故か日本人率が高い。我が戦友にしてメル友のチャパ君もその例外ではない。

 取り出したディジュリドゥを傍らに置いて、じいさんがこっちに近寄ってくる。

「あそこでバスキングしたいんじゃが、あんたの演奏ちょっと辞めてくれんかの」

いや、何言ってんだじいさん。こっちが先に演奏しているからそれは無理だと告げると。何やらぶつぶつ文句を言ってじいさんは自分の場所へと戻っていき、勝手に演奏を開始した。ディジュリドゥはバスキングでもかなりポピュラーな楽器でそれは見た目だけではなく、その存在感溢れる低音に強いアピール力があるからと言っても過言ではない。

 その一方で、その強すぎるアピール力のせいでヨーロッパの多くの都市でディジュリドゥは目の敵にされ、ライセンスの禁止項目に名前が挙がったりするほどだ。その時、私は700wのアンプを大音量で使っていたが時折じいさんのディジュリドゥ音がぶぱぱぱーと聞こえてきた。だが、600ドルのヤマハアンプが負けるわけがないと演奏を続けていた。

 しかし、弱者にはとことん優しいメルボルン。じいさんにドネーションがじゃんじゃんと集まる。じいさんが犬を連れているというのも効果が絶大だった。何処の世界にも犬好きという人はある一定数いて、じいさんの横に大人しく座っている大きな犬を見かけた人々がじいさんに話しかけ、犬をなで回し、ある程度満足するとドネーションをじいさんに渡して去っていくという、ネコ派の私には到底理解し得ない光景が繰り広げられていた。

 その夜は週末の金曜日、道行く酔っ払いからほとばしる狂気が渦巻いていた。通りがかった酔っ払いがいきなり寄って来て、ギターケースに小サイズのビールを一ダース分入れて来た。断るのもめんどくさかったので、受け取ってギターケースの横に置いておいた。かと思えば、エントランス方向から来た酔っ払いが、「あそこにいるじいさんがバスキングしているからやめてやれよ」とバスキングを妨害してくる始末。無視しようとするもギターの弦を手で覆って邪魔しようとする。そこで、少し前にもらったビールを渡すと、「ありがとう!」と満面の笑みで去っていった。

 次々と絡んでくる酔っ払いをかわしていると、ふと傍らにじいさんが立っていて、緑色の紙幣、つまり100ドル札を両手で広げる形で持っていた。

「ほら、これさっきもらったんじゃ」

おれに見せてどうしたいんだ。

あぁ、良かったねと適当にあしらい、バスキングを続行する。

 しかし、完全なる四面楚歌ぶりにやられてしまったその晩のバスキングは週末にもかかわらずイマイチの結果に終わってしまった。どこかに張良子房が隠れて指示出していたんじゃないだろうか。落ち込んでいても仕方ないと思い、じいさんに小銭をあげて家路についた。それから、じいさんは時々現れるのだが、小銭をあげたのが良かったのか、良く挨拶をしてくれるようになった。私が先にバスキングをしていても、じいさんは勝手にバスキングするが、私は関知しない。また、じいさんが先にバスキングしていても、私は勝手に演奏する。それでお互いに文句はないのだ。

 メルボルンではドネーションを誰にあげるべきか、それは個人の選択にゆだねられている。社会的弱者にあげたい人、良いパフォーマーにあげたい人、それぞれ一定数存在するので、同じ空間に存在していても問題はないのだ。それから、年越しを何とかこの場所でバスキングで迎えて、気持ちを新たにと新年一発目のバスキングをまたこの場所でしていた時、スーツ姿でカジノのガードマンを複数人従えたマネージャーらしき男性が現れ、私の方に寄って来た。

「ここはカジノの敷地内だからバスキングしちゃダメだ」

と男性が言った。あぁ、ついにこの日が来てしまったか。元々、カジノエリアに入っていないギリギリの場所としてバスキングしていたが、カジノ側の人に確認したわけではない。雇われガードマンは問題行動を起こさない限り、エリア近くの物乞いすらも黙認していたが、やはり上の人間は許さないのであろう。こうして様々な出会いやトラブルを引き起こしたカジノ前スポットでのバスキングは何の前触れもなく終わりを告げたのであった。

つづく

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