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新刊無料公開『新しいカレーの歴史 上』 コリーン・テイラー・セン『カレーの歴史』の問題点について

新刊『新しいカレーの歴史 上』〈日本渡来以前の諸国のカレー〉発売中です。よろしくお願いいたします。

新刊では海外の最新研究動向をふまえ、嘘・間違いだらけの日本のカレー史研究を全面的に刷新します。

『新しいカレーの歴史 上』では、「さらなる研究のための英語文献案内」として、英語圏の各種研究書を解説とともに紹介しています。

リジー・コリンガムの『インドカレー伝』を含め、日本語で出版されているカレー史の本でおすすめできる本はほとんどありません。しいて挙げるならばコリーン・テイラー・センの『カレーの歴史』ぐらいでしょうか(なので、カレー史を真剣に研究したい方には英語文献をおすすめしています)

そのコリーン・テイラー・セン『カレーの歴史』(P35~56)についても、いくつか指摘しなければならない問題があるので、その指摘部分を無料公開します。


コリーン・テイラー・セン『カレーの歴史』の問題点について


・P36 リッデル医師のカレーレシピの“マンゴー”

 → 間違いではないが、甘いマンゴーではなく酸っぱいグリーンマンゴーか、酸っぱい乾燥グリーンマンゴーであることに注意。

 “Curries may be acidulated with dried or green mangoes, green, ripe or salted tamarinds, lime-juice, or vinegar.”
 “カレーの酸味付けは乾燥させたマンゴー、グリーンマンゴー、グリーンタマリンド、完熟タマリンド、塩漬けタマリンド、ライム汁、酢で行う。”(Riddell 1849:328)

・P36 “リッデル医師のレシピを上回る影響力があったのが、約30年後に出版された「マドラス料理の覚書 Culinary Jottings for Madras 』(1878年)だ。“

 → 1878年の初版にカレーについての記述はない。『カレーの歴史』に引用されているカレーの記述は1885年の第5版以降の記述。

・P38 “大佐は、カレーパウダーを自宅で大量に作ってガラスの密閉容器で保存することを勧め、その都度料理人に「カレーのようなもの」を作らせるような怠惰な習慣を叱責した。”

 → “「カレーのようなもの」”は誤訳。原文の“ curry-stuff”とはアングロインディアン料理書に使われる用語で、スパイスやタマネギなどの香味野菜等を混ぜ合わせたカレー料理のベースのこと。

・P40 “ケニー=ハーバート大佐いわく、カレーは「社会的地位を失い」上流階級の食卓から姿を消した。“

 →間違い。上流階級の食卓から姿を消したわけではなく、正式な晩餐会のメニューから消えただけ。上流階級も朝食や昼食、普段の夕食においてはカレーを食べていた。

 “Curries now-a-days are only licensed to be eaten at breakfast, at luncheon, and perhaps at the little home dinner”
 “it cannot be denied that the banishment of curries from the menu of our high-art banquets, both great and small, is, for many reasons, indispensably necessary”
 “現在のカレーは、朝食と昼食、そしておそらく家庭での慎ましい夕食でしか食べることが許されない”
 “その規模の大小にかかわらず、技巧を凝らした晩餐会のメニューからカレーを消し去ることが、多くの理由から必要とされていることは否定できない”(Wyvern 1885:286-287)

・P49 “ 経済的に余裕のある人たちはインドからコックを連れて帰ることができたが、それ以外の人はコーヒーハウスでカレーを食べることで欲求を満たした。1733年にヘイマーケットのノリスストリート・コーヒーハウスがカレー料理をはじめた。”

 → 1733年は1773年の間違い。コリーン・テイラー・センはインド人コックのいる家か外食でしかカレーを食べることができなかったと考えているが、18世紀後半には中流家庭の家庭料理として既にカレーが普及していた。ここらへんはおそらく、リジー・コリンガムが捏造したデタラメなカレー史観に騙されているのではなかろうか。

・P50 “ウィリアム・メークピース・サッカレーの小説『虚栄の市』(中略)ベッキーの驚きようから、このエピソードの舞台となった1815年には、カレーがアングロ・インディアン社会以外の場所ではあまり知られていなかったとわかる。”

 → カレーを作って食べていたセドリ家は、父親が株式仲買人を営む中流家庭。息子以外はアングロインディアンではない。つまり『虚栄の市』のエピソードは、アングロインディアン以外の中流家庭にカレーが浸透していたことを示している。ベッキーがカレーを食べて驚いたのは、彼女が下層階級出身でカレーを知らなかったため。

 イギリス文学の横山茂雄が指摘しているように、『虚栄の市』の記述はカレーが普及していたことを示しているのである(横山 2008:27)。

・P51 “カレーのレシピを最初に載せたイギリスの料理書は、ハンナ・グラースの『簡単に作れる料理の技法 Art of Cookery Made Plain and Easy』(1747)だった。 当初のレシピは、実際はコショウとコリアンダーシードで味つけした香りのよいシチューだった“

 → 1747年の初版のレシピにコリアンダーは使用していない。コリアンダーの使用は1748年版だけであり、1751年以降は再びレシピからコリアンダーは消える。

1747年『THE ART OF COOKERY Made PLAIN and EASY』のカレーレシピ(Glasse 1747:74) 
コリアンダーは使用していない
1748年『THE ART OF COOKERY Made PLAIN and EASY』のカレーレシピ(Glasse 1748:101) 
コリアンダーを使用
1751年『THE ART OF COOKERY Made PLAIN and EASY』のカレーレシピ(Glasse 1751:101) 
1747年の初版のレシピに逆戻りし、コリアンダーは使用していない

・P53 “カレーは(中略)上流階級の間で流行したが、19世紀後半には、増大する富を背景に目新しい経験を貪る都市の中流層の間でも人気になっていた。”

 → 上流階級にカレーが流行したという記録はない。中流階級においてカレーが人気になったのは19世紀後半ではなく18世紀後半。ここらへんはおそらく、リジー・コリンガムが捏造したデタラメなカレー史観に騙されているのではなかろうか。

・P56 “カレーは労働者階級にまで浸透し、大人気となった”

 → 根拠としているのはフランカテリの労働者向け料理書『A Plain Cookery Book for the Working Classes』とサッカレーの詩であるが、一冊の料理書にカレーレシピが載っただけでなぜ“浸透し、大人気(considerable popularity)”だと判断できるのであろうか?大げさに過ぎる。

 ちなみに『A Plain Cookery Book for the Working Classes』のカレーレシピは、当書で引用した「CURRIED RICE」の他には「HOW TO MAKE A FISH CURRY」だけ。労働者にカレーが大人気である、といった記述は書中に存在しない。

 カレーを描いたサッカレーの詩を“ロンドンの労働者階級の日常生活のひとこま”としているが、原文には労働者階級の生活と特定できる記述はない(Parton 1857:474-475)。

James Parton『THE HUMOROUS POETRY OF THE ENGLISH LANGUAGE』掲載のサッカレー作といわれる詩(Parton 1857:474-475) 
労働者階級の生活と特定できる記述はない

 詩の中にビートン夫人が来客用の高級カレーとしているウサギやロブスターのカレーが登場することを考えると、アッパーミドルクラス以上の裕福な生活を描いた詩であるとも解釈できる。