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新刊無料公開『新しいカレーの歴史 上』 その3 アングロインディアンとカレー粉

新刊『新しいカレーの歴史 上』〈日本渡来以前の諸国のカレー〉発売中です。よろしくお願いいたします。

新刊では海外の最新研究動向をふまえ、嘘・間違いだらけの日本のカレー史研究を全面的に刷新します。

『新しいカレーの歴史 上』冒頭部分無料公開 その3です。

3.アングロインディアンとカレー粉


 インドからイギリスにカレー粉がもたらされた18世紀後半は、イギリスがインドを半植民地化していった時期に当たる。

 当初貿易会社であったイギリスの東インド会社は、1757年の「プラッシーの戦い」以降、「会社」とは名ばかりの、半植民地化したインドを統治するための軍事・行政組織へと変貌し、巨大化していく。

 “the numbers of British soldiers in India increased from a few hundred in the 1740S to 18,000 by 1790”
 “1740年代には数百人しかいなかったインドのイギリス兵は、1790年までに18,000人に増加した”

 “In 1820 Calcutta, which had by then established itself as the capital - the home of the governor-general - had over 4,000 British residents”
 “1820年のカルカッタ(イギリス総督府があり首都的な地位にあった)には、4,000人以上の英国人が住んでいた”(Gilmour 2019:16-17)

 尚、当書では将来の電子書籍時代を睨み、英文の書籍についても極力原文を併記し引用する。なぜなら電子書籍にはページ数表記がない場合があるので、検索によってでしか引用箇所の特定ができないからだ。

 インドに移住したイギリス人、あるいはインドから帰国したインド在住経験のあるイギリス人のことを、18世紀~19世紀前半まではアングロインディアン(Anglo-Indian)とよんでいた(Anglo-Indianの定義は時代によって異なるので注意)。

 カレー粉とカレー粉を使ったカレーは、彼らアングロインディアンが生み出したのだ。

 “But as the Anglo-Indians began to think of curries as variations on one theme, they began to collect recipes for spice mixtures which they simply labeled 'Curry Powder'.”
 “アングロインディアンたちがカレーを一つのテーマのバリエーションと考えるようになると、彼らはスパイスミックスのレシピを収集し始め、そのスパイスミックスに単純に「カレー粉」と名付けた”(Collingham 2006:141)

 以下はアングロインディアンの食文化史を綴ったDavid Burton『THE RAJ AT TABLE』の一節。この本が出版された頃は、イギリスで本格的なインド料理が普及しており、アングロインディアンが産んだカレー粉を使う従来のイギリスのカレーは、インド料理本来の姿が歪められたものとして非難の対象となっていた。

 “The same argument was used with regard to spices, particularly that most celebrated and reviled of all Anglo-Indian concoctions: curry powder.”
 “スパイスに関しても同じ議論がある。特に、アングロインディアンのスパイス調合品の中で最も有名でありかつ、最も非難の対象となっているカレー粉についての議論だ”(Burton 1993:73)

 Burtonは、17世紀には既にアングロインディアン(東インド会社社員)によってカレー粉がイギリスにもたらされていたと考えている。

 “While the exact origins of curry powder are unknown, it seems most likely it was invented in the seventeenth century as an export commodity for East India Company employees to take or send back to England.”
 “カレー粉の正確な起源はわからないが、17世紀に東インド会社社員がイギリスに持ち帰ったり送ったりするための輸出製品として発明された可能性が高い”(Burton 1993:74)

 もっともBurtonは、17世紀に既にカレー粉がイギリスに持ち込まれていたという推論の根拠を示していない。イギリスにおけるカレー粉の存在が資料上に現れるのは、今まで見てきた通り18世紀後半からだ。

 また、17世紀に既にカレー粉がイギリスに輸入されていたとするならば、18世紀半ばの『THE ART OF COOKERY Made PLAIN and EASY』(Glasse 1747:74)における最古のカレーレシピにおいて、カレー粉が使用されていないのは不思議に思う。Burtonは、18世紀を17世紀と間違えて記述したのではなかろうか。

 曽祖父の代から四代続けてインドに在住していた、自らもインド生まれの生粋のアングロインディアンJennifer Brennanによると、カレー粉はアングロインディアンが帰国する際に、インドの味を再現するために作成したのではないかということだ。こうして帰国した無数のアングロインディアン達によって、イギリスにカレー粉とカレーがもたらされたとBrennanは考える。

 “Prior to his return to England, he undoubtedly ordered his cook to compose a mixture of those spices and to list the contents. The blend was then taken home and used in stews, subsequently termed curries. This scenario could have been repeated many times before the British finally quit the subcontinent.”
 “まず間違いなく、イギリスに帰国する前にコック(引用者注 アングロインディアンの家庭には通常インド人のコックがいた)にスパイスミックスを作らせ、その内容をリスト化させただろう。このスパイスミックスはイギリスに持ち帰られ、シチューに投入された。これが後にカレーと呼ばれるようになった。このようなことが、インド独立以前に幾度となく繰り返されてきたことだろう”(Brennan 1990:24)

 Brennanはインド在住時にカレー粉を使わなかったアングロインディアンたちが、スパイスの入手が不自由かつ、スパイスの活用に長けたインド人コックがいないイギリスに帰国した際に、代替手段としてカレー粉を使用するようになったと考える。Julie Sahniも同様の考え方だ(Sahni 1980:39)。

 ところが1935年生まれのBrennanが知らないのも当然だが、かつてのアングロインディアンの主婦は、インド在住時からすでにカレー粉を調合し、そのカレー粉で作ったカレーを食べていたのだ。

 19世紀になると、アングロインディアン向けの料理書がインドにおいて発行されるようになる。その中でも特に有名な料理書、Wyvern『CULINARY JOTTINGS for Madras』(第五版)には、インド人コックにスパイス調合を任せきりにすると、カレー作りは失敗すると書かれていいる。

 “One of the causes of our daily failures is undoubtedly the lazy habit we have adopted of permitting our cooks to fabricate their "curry-stuff" on the spot, as it is required.”
 “日常における失敗の原因のひとつは間違いなく、コックに“ curry-stuff” を必要に応じてその場で作らせるという怠惰な習慣にある”(Wyvern 1885:287)

(引用者注“ curry-stuff”とはアングロインディアン料理書に使われる用語で、スパイスやタマネギなどの香味野菜等を混ぜ合わせたカレー料理のベースのこと)

 そして重要なことは自家製のカレー粉を作成し、それをインド人コックに使わせることだと主張するのだ。

 “Thirty years ago fair house-keepers were wont to vaunt themselves upon their home-made curry powders, their chutneys, tamarind and roselle jellies, and so forth, and carefully superintended the making thereof.”
 “30年前の正しい主婦たちは常に、自家製のカレー粉、チャツネ、tamarind and roselle jellie等を自慢としており、その作り方を注意深く監督していた”(Wyvern 1885:286)

 つまり19世紀前半までのアングロインディアンの主婦たちは、インドにおいてカレー粉を作り使用していたのだ。しかもカレー粉を作る主婦は正しく(fair)、カレー粉を使わずにインド人コックにカレー作りを任せるのは怠惰(lazy)であるという。

 Wyvernはそのようなアングロインディアン主婦の一人が彼に教えた(Wyvern 1885:288)、自家製カレー粉のレシピを掲載している。毎日使用するものなので一回に作る量が多く、20ポンド強=9キログラム強のカレー粉を作っている。

『CULINARY JOTTINGS for Madras』のカレー粉レシピ(Wyvern 1885:291)

 ちなみにWyvernは、カレー粉と並んでカレーペースト(paste)が重要であるとしている(上記画像参照)。この、アングロインディアンたちがカレー粉と同様に重要視していたカレーペーストについては、後にあらためて言及する。

 Wyvernは当時(1885年)のカレー作りが30年前(19世紀前半)と比較し劣化した理由は、主婦たちがカレー粉やカレーペースト作成への熱意を失ってしまったことにあるという。

 “But fashion has changed, and although ladies are, I think, quite as fond of a good curry as their grandmothers were, they rarely take the trouble to gather round them the elements of success, and have ceased to be cumbered about this particular branch of their cook's work.”
 “This is an important point, for if we enquire closely into the causes that have led to the alleged decay of the currymaking knack, we shall certainly find that the chief of them is want of care in the preparation of powders and pastes and the loss of recipes”
 “女性たちは祖母たちがそうであったように、おいしいカレーが大好きだと思うが、生活のスタイルは変わり、カレー作りが成功するためのコツを苦労して収集することはめったになく、カレー作りという特定分野のコック仕事に煩わされることはやめてしまった。”
 “ここが重要な点なのだが、カレー作りのコツを衰退させた原因を詳しく調べてみると、その最大の理由は、カレー粉やカレーペースト作成への関心不足と、それらの調合レシピの喪失にあることがわかる。”(Wyvern 1885:286)

 アングロインディアンの主婦向けにカレー粉レシピを提示していたのはWyvernだけではない。Colleen Taylor Senの『Curry』(日本語題『カレーの歴史』)に、アングロインディアン向け料理書としてWyvernとともに取り上げられたRobert Flower Riddell『INDIAN DOMESTIC ECONOMY AND RECEIPT BOOK』においても、カレー粉レシピが4種類掲載されている(Riddell 1849:328)。

 アングロインディアン向けにインドで出版された、代表的な料理書にカレー粉レシピが掲載されていたということは、実際にカレー粉を調合し、使用したいと考えるアングロインディアン家庭のニーズが存在していたことを意味する。

 ややもすると都度スパイスを調合する本場インド料理の劣化版と認識されるカレー粉だが、インド在住のアングロインディアンたちはインド人の調理法を否定し、あえてカレー粉を使うべきだと主張していたのだ。

 なぜアングロインディアンたちはカレー粉を必要とし、カレー粉を作ったのか。当書の目的の一つは、アングロインディアンの生活史を紐解きつつ、彼らがなぜカレー粉やカレーペーストを必要としたのか、そして彼らが創造した、インド料理でもイギリス料理でもない、アングロインディアンカレーとはどういうものであったのかを考察することにある。

続きます。