新刊無料公開『新しいカレーの歴史 上』 “その7 イギリスのカレーと「ルー(roux)」その2
新刊『新しいカレーの歴史 上』〈日本渡来以前の諸国のカレー〉発売中です。よろしくお願いいたします。
新刊では海外の最新研究動向をふまえ、嘘・間違いだらけの日本のカレー史研究を全面的に刷新します。
『新しいカレーの歴史 上』冒頭部分無料公開 その6です。
その7 イギリスのカレーと「ルー(roux)」(その2)
辛島昇は2009年に著した『インド・カレー紀行』において上記のように主張するが、一般的な19世紀のイギリスカレーはルーを使用しないし、小麦粉を使用しないレシピ、小麦粉の量が少なく「とろみ」がつかないレシピも多数存在する。
問題は(あきらかにイギリスの料理書を読んでいない)辛島がこの嘘情報をどこから持ってきたのかということだ。
『インド・カレー紀行』の参考文献には、リジー・コリンガムの『インドカレー伝』があげられている。おそらく辛島は、『インドカレー伝』(原題『curry』)の以下の部分を参照したのではないだろうか。
辛島はこの“カレー粉と小麦粉を混ぜたルー”を“小麦粉をバターで炒めてつくる「ルー」”と誤読したのであろう。
そして今まで見てきた通り、“カレー粉と小麦粉を混ぜたルー”は19世紀の主要な料理書5冊のカレーレシピに登場しない。つまり森枝や辛島と同じく、コリンガムもまた、19世紀イギリスのカレーレシピをほとんど読んでいないのだ。そのため『インドカレー伝』には様々な間違いが含まれており、日本におけるカレー史のデマの発生源となっている。
辛島の例がそのデマの一例だが、“インドの料理人は挽きたての香辛料を、調理のそれぞれの段階で入れていく原則は守りつづけただろう。アングロ・インディアンが最初にインドのレシピを集めて、祖国にもちかえったときは、彼らもこの原則にしたがっていた。”(コリンガム 2006:184)というのもコリンガムが生み出したデマの一例だ。
このような間違った主張をするのはコリンガムだけであり、カレー粉を使ったカレーはアングロインディアンの発明であるというのが、他のカレー史研究者の共通見解である。コリンガムはWyvernをはじめとするアングロインディアンの料理書を読んでいないのだ。
この『インドカレー伝』の多岐にわたる問題点については巻末にまとめて取り上げるが、とりあえずここではもう一点だけ指摘しておきたい。ルーでシチューにとろみを付ける手法がカレーに応用されたというリジー・コリンガムの主張は間違いだ。
カレーと同じく、リジー・コリンガムは当時のシチューのレシピも読んでいない。当時のシチューはルーでとろみをつけない、というか、シチューという言葉の意味そのものが、過去のイギリスと、現在のイギリスもしくは日本のそれとは全く異なるのだ。
現代のイギリスのstewやhashと、日本に渡来した頃、つまり19世紀半ばのイギリスのstewやhashは全くの別物である。
当書の目的の一つは、日本渡来直前のイギリスのstewやhashの姿を明らかにすることだ。なぜなら、下巻で扱う日本の近代カレー史において、カレーと、シチューおよびhashが日本化したハヤシライスは密接に関係するからだ。
ということで19世紀半ばのイギリスのカレーは基本的にルーを使用せず、小麦粉やカレー粉を油脂で炒めるカレーも一般的ではないのだが、ここで一点疑問が生じる。
日本においては、「ルー」と似たような調理法、小麦粉やカレー粉を油脂で加熱し、それをカレーのベースとする手法が珍しくない。老舗の西洋料理店では、あらかじめ油脂で小麦粉やカレー粉を加熱したベースに出汁や具材を入れる手法を取る店がある。
『dancyu復刻版カレー大全』上下巻で開示されている有名店のレシピを見ると、「日本橋たいめいけん」「日比谷松本楼」「銀座資生堂パーラー」「函館五島軒」「レストラン吾妻」といった戦前から存在する老舗西洋料理店が、小麦粉とカレー粉を油脂で加熱しカレーのベースとしている。
イギリス由来でないとするならば、この小麦粉やカレー粉を油脂で加熱するカレーはどこから来たのだろうか?日本オリジナルの手法なのであろうか?
無料公開は以上です。老舗西洋料理店によくあるタイプの、小麦粉とカレー粉をバター等の油脂で加熱する「ルー」的なカレー作成手法の意外なルーツについては、『新しいカレーの歴史 上』を参照してください。