新刊無料公開『新しいカレーの歴史 上』 その4(続き) 他社製品の模倣品、劣化コピーとの評判だったC&Bのカレー粉
新刊『新しいカレーの歴史 上』〈日本渡来以前の諸国のカレー〉発売中です。よろしくお願いいたします。
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『新しいカレーの歴史 上』冒頭部分無料公開 その4の続きです。
その4(続き) 他社製品の模倣品、劣化コピーとの評判だったC&Bのカレー粉
このように輸入物か国産物かは不明だが、19世紀半ばまでには、様々な店舗から様々なブランドのカレー粉やカレーペーストが販売されていた(カレーペーストについては後述)。
ちなみにC&Bが販売しているCaptain White's Curry or Mulligatawny Pasteは自社製品ではなく、アングロインディアンであるCaptain Whiteが経営する他社(Selim社)の製品。
David Burnett, Helen Saberi『The Road to Vindaloo』によると、Captain Whiteはカレーペースト起業家のパイオニア(Captain White, pioneer entrepreneur of the curry paste)なのだそうだ(Burnett and Saberi 2008:8)。
Captain WhiteがSelim's Pasteを世に発表したのは1840年(White 1845:21)なので、C&Bがカレー粉を製造する前のこと。その後C&Bは自社ブランドのカレーペーストも発売したが、Captain WhiteからSelim社製品の海賊版、模倣商品であると非難されている(White 1845:10)。
そしてこの引用部分の製品一覧の中にC&B製造のカレー粉が入っていないことからもわかる通り、C&Bのカレー粉は複数の国産商品の一つであり、とびぬけて有名な商品というわけでもなかった。
もともとC&Bは卸売・小売を行う流通業者であり、カレーペーストやカレー粉の製造については、他社の後追いで市場参入したに過ぎない。現在の日本で言えば、大手流通業者が、有名ブランド商品をまねたプライベートブランド商品を発売するようなものだ。
森枝が拡散した嘘情報のために、日本ではC&Bのカレー粉こそがイギリスのカレー粉の元祖のごとくに勘違いされているが、実際はというとさほど存在感はなかったのだ。
さて、こうして19世紀に入ると徐々に国産のカレー粉も増えてきたが、その評判は芳しくないものだった。イギリス人はやはり、インド産のカレー粉こそが本物であり、イギリス国産カレー粉は三流のコピー品と考えていたのだ。
C&Bがカレー粉を発売した時期である1840年代の代表的な料理書、Eliza Acton『MODERN COOKERY』には、インドから輸入された本物のカレー粉(“the genuine powder imported from India”)が優れている一方で、イギリスで売られている多くの偽物のカレー粉(others, by the greater number of spurious ones, sold in England)はターメリックとカイエンペッパーの量が多く、特にターメリックの多用がカレーの品質と色を損ねていると書かれている(Acton 1845:344)。
Nupur Chaudhuriは女性誌(イギリスでは『主婦の友』のような女性誌が日本でいうと江戸時代から存在した)における次のような読者投稿を紹介している。投稿者によると、C&Bのカレー粉の品質には問題があったようだ。
このように、C&Bのカレー粉がインド産のカレー粉の劣化コピー品であると思われていたことを踏まえた上で、もう一度ネッスルのパンフレットの文言を見てみよう。
この宣伝文句はつまるところ、へースティングズ総督やビクトリア女王などの有名人の名を借りて、本場インド産のカレー粉を模倣していることをアピールするための宣伝文句だったのだ。そこまで大げさに宣伝しなければならないほど、イギリス国産のカレー粉の地位は低かったのである。
ちなみにこのC&Bの宣伝文句、英語圏のカレー史研究書には全く登場せず、事実かどうか確認のしようもない。C&Bが宣伝のために捏造したストーリーである可能性も考慮すべきであろう。
そもそも時代設定がおかしい。へースティングズ総督が帰国したのが1785年。ビクトリア女王即位が1837年。50年以上もの間、へースティングズ総督が持ち帰ったカレー粉はどこを彷徨っていたのであろうか?
筆者が読んだ英語圏の書籍の中で、カレー関連でへースティングズが登場する唯一の本はArchie Baron『AN INDIAN AFFAIR』。その内容は、イギリス帰国後に温室で唐辛子を育てていたということだけだ(Baron 2001:138)。
ビクトリア女王の料理人Gabriel Tschumiによると、厨房にインドから輸入したカレー粉が存在したことは確かだが、そのカレー粉は使われていなかった。
ビクトリア女王のカレーは、専属のインド人シェフが様々なスパイスを都度すり潰して作る、インド本場様式のカレーだった(Tschumi 1974:69)。従って “イギリスの初代インド総督へスティングが持ち帰ったインドのカレー粉は、特にビクトリア女王のお気に入り”というC&Bの宣伝文が真実であるかどうかは、疑ってかかる必要がある。
少なくとも森枝のように、この一企業の真偽不明の宣伝文句をカレー史の基礎に置くべきではないし、小学館のようにわざわざ百科事典に載せる価値のある情報ともいえないだろう。
C&Bだけではない。カレー粉やカレーペーストの製造者・販売者たちは、本場インド由来であることをアピールするために、商品名に様々な工夫をこらしていた。
C&Bが販売していたCaptain White's Curry or Mulligatawny Pasteという商品名にも「本場アピール」が含まれている。Captain Whiteの本名はWilliam Whiteだが、なぜ先頭に軍隊の階級名Captainをつけているのかというと、それがインド本場アピールになるからだ。
イギリスは植民地統治のために陸軍をインドに駐留させており、多くのイギリス軍人がインドで暮らしていた(Gilmour 2019:16) 。なので軍人であることは、それすなわち本場インドのカレーの味を知るアングロインディアンであることの証明となったのである。
Captain Whiteは著書の中で他の軍人からの手紙を紹介し、Captain White's Curry or Mulligatawny Pasteの本場感をさらに強調している。
本場の味を知っている軍人が軍艦で持ち帰った、本場インドのカレー粉よりも、Captain Whiteのペーストのほうが優れているという「軍人アピール」である。
Captain Whiteは他にも、インドのホテルで輸出用のカレー粉を生産していたアングロインディアンから彼のペーストが称賛されていることを報告し、宣伝に利用していた(White 1845:23) 。
このようにC&Bのようなカレー粉の製造者・販売者は、「本場インド感」をいかに強調するかに、しのぎを削っていた。なぜならイギリスにおけるカレー粉はまずインドからの輸入品として普及したからだ。イギリス国内産のカレー粉は、インド産カレー粉の模倣品だったのである。
続きます。