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「天職」は存在するか

天から与えられた仕事、みたいなのって、あるんだろうか。

その仕事はきっと、僕にとってもすごく楽しくて、しかも人も喜んでくれる、みたいな、最高な仕事なんだろうなあ。

みたいなことを、ずっと思っていた。その思っていたことが、ちょっとズレていたんだろうな、と最近思うようになってきた。

もしかしたら、同じように悩んで苦しんでいる人がいるかもしれない、そう思って文章にしておこうと思う。


人生の効果を最大化させたい

言葉や形は違えど、似たようなことは誰しも考えることなのかな。と思う。

自分には人より(能力的に)優れている部分と劣っている部分がそれぞれあって、それは自分でもちょっとずつ(あるいは明確に)分かってる。

結局のところ配られたカードで戦うしかない僕らは、これをどう使うことで、投資対効果を最大にできるかを考えるしかない。


ここでいう投資対効果の「効果」の部分は

有り体にいっちゃえば金持ちになるっていうことだったり、有名になるっていうことだったり、

人によっては単純にモテるとか美女を抱けるとかだったり、

どれだけの人から「ありがとう」という言葉をもらうか、だったり、

あるいはそこまで解像度を上げる思考力の無い人や、自分にとっての幸福を定義できない人は、「幸福に生きること」って言い出したり。
前提を目的化のうえ思考停止して、しばらく経ったあとに「これでいいのか。。?」と同じループにハマることになる。


じゃあ逆に投資対効果の「投資」部分は

何かって言うと、これは多くの人にとっては、つまるところ自分の人生という「時間」だろう。

生まれた時から資産のある人以外は、どうしたって最初は自分の時間をお金に換えるしかない。

つまり人生の投資対効果を最大化させようと思った時に、解くべき問いは以下のようになる。

「自分の人生という限られた時間を、どのように使うことでそこから得られる(お金や名声やモテやありがとうやその他自分の得たい)ものを最大化するか」

どのように使うか、とは、つまりは「毎日何して過ごしますか?」という問いに近い。全人類が平等に持つ24H/Dというリソースを、何に対して投下するか、ということだ。

毎日どんな生き方をすれば、僕らは得たいものを得、幸福に近づけるのか。

そもそも何時に起きて、そこから何をするのか。

会社へ行くのか、行かないのか。
目の前のこの仕事をするのか、しないのか。
あの人に電話するのか、しないのか。
何時に何を始め、何時に終えるのか。
何にお金を使い、何に時間を使い、
何にエネルギーを投下するのか。

そういう小さな自分自身の選択と行動によって、未来の自分が得たいものを得られるか決まる。幸福に生きているかが、決まる。のではないか。

ちなみにここは、今でも思ってる部分。
その上で。


「まだ見ぬ天職が自分にはあるはず」という考え方

ここが最近、ちょっと考え方が変わった部分。

人生の効果を最大化させたい、と思ったとき、以前の僕は

「時間という誰にとっても平等な資源が前提であれば、あとは時間帯効果の高い仕事、つまり自分に向いてる仕事さえ見つければ勝ち」と思ってた。

で、そういうのを天職と呼ぶんだろう、と。

時間が一定で、これを100とする。

仕事Aは、ちょっと得意、効率70%。だとした時、
時間100×効率70%=効果70
になる。

一方、仕事Bはかなり得意。効率90%でできる。というとき、
仕事Bに僕の時間100を投下すると、
時間100×効率90%=90
になる。

なので、この場合は仕事A(70)<仕事B(90)になるはず。

もし僕に天職というものがあるならば、その仕事は僕が最大限に効率を発揮できる仕事のはず。その仕事はきっと効率200%とか300%。

この世のどこかにそんな仕事があるはず。
今の仕事がそんなに得意と思ってないってことは、これは僕の天職ではなくて。

まだ見ぬ天職は何なんだろう。と思って、ひたすら自己分析系のツールを試しまくっていた。

▼ストレングスファインダーとかね。



しあわせはいつも自分のこころが決める

ところが最近、僕は自転車に乗る人向けのアパレルブランドを立ち上げた。
気がついたら立ち上げていた。何か金儲けの算段があったわけでも、高尚なビジョンがあったわけでもなく。

思いだけで立ち上げた。

自転車に救われた僕のように、自転車によって救われる人を増やしたい。
みんなに自転車に乗ってもらって、その楽しさを感じて欲しい。

それだけの気持ちで。(下記参照)

もちろんいろんな人に知恵や力を借りたけど、僕が立ち上げたと自信を持って言える。僕の仕事であり、僕のブランドだ。

そこで僕が果たした役割を、いわゆる職種に分類すると、社長であり、事業開発であり、商品企画であり、デザイナーであり、SCMであり、Webデザイナーであり、ECディレクターであり、マーケターでもある。つまり全部だ。

じゃあ僕の天職は、上記のいずれかなんだろうか。または全てなんだろうか。

たぶん、そういうことじゃない。

そういうことじゃないとすると、事は少し複雑になる。
前述の時間×効率=効果、というような、単純な図式には当てはめられないみたいだ。

引っ張っても意味がないので、僕が思う答えを言ってしまうと。

無理くりこういう式に当てはめるならば、熱量、という観点がここに入る。ように思う。

つまり、熱量 × 時間 × 効率 = 効果 ということ。


よく考えれば当たり前のことで、能力が高い=効率がいい、だとするならば、東大生は全員億万長者のはずだ。
(もちろん学力=能力ではないので、乱暴な論なのは自覚あるが)

しかもこの熱量というものは、おそらくだけど、効果に影響する度合いが、
能力と比較してもべらぼうに高い。

たとえ能力が低くても、熱量さえあればなんとかできてしまう事の方が多い。


だとすると。

熱量が、効果のほぼ全てを決めるとき。
最初の質問に立ち返ると、

Q:「自分の人生という限られた時間を、どのように使うことでそこから得られる(お金や名声やモテやありがとうやその他自分の得たい)ものを最大化するか」

A:「とにかく自分が好きかもしれない、ワクワクする、ということに関わって、その中で一緒懸命やんなさいな。うまくやろうとか、短時間で成果をだそうとか、そういうことはいったん脇に置いといて、心の赴くままに、体が勝手に動くのに任せて。」

心の赴くままにやるのだから、つまりは自分が今の仕事をやるのか?やらないのか?も、自分の責任の元に決めていい。

自分の責任のもとに、毎朝、決めればいい。会社に行くのか行かないのか。ジョブズも似たようなことを言ってた。

行くと決めた、ってことは、何かしら会社の中に、ワクワクすることがある、ということ。
全体的には苦手だったり、あまり好きになれなくても、こういうことしてる時は楽しいな、とか、ワクワクするな、っていう瞬間を見つけて、それをひたすら感じればいい。そのワクワクする感じ、楽しい感じを増幅させるために、明日も行けばいい。

それが難しいなら。今日から行くのをやめた方がいい。

そんな風に、今は思ってる。


........

つまるところ僕は効率厨で、楽をしたくて仕方なかったのだ。
「無駄なことをするのが嫌いだ」と、賢く生きているような顔をして、その実、今の仕事に対して熱量を持てないのを、その仕事のせいにしていただけだった。

「天職」は、ある日突然、待ってたら天から急に降ってくるから天職、なんじゃなくって。

自分の人生の中に、自ら点を穿ち、自ら線を引くことで、自分で作り出すものだった。
自分で見出すものだった。



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