見出し画像

「好き」を仕事にしちゃいけない3つの理由


初めに伝えておきたいのは、世の中には「好きを仕事にしてハッピーです!」って言う人と、
「いやいや好きを仕事になんてしたらアカンで」という人が
両方とも存在していて、

結局あなた自身が好きを仕事にしたときにどうなるか、っていうのは、やってみないことにはわかりまへんのよ、っていうこと。

好きを仕事にしてみて、幸福を掴むも逃すも、やってみる前の段階ではどちらの道も確率としてしか存在してなくて、
事前情報無しではそれは五分五分くらいにどうしてもなっちゃうんじゃないかなと思う。

僕は自転車がとてつもなく「好き」になっちゃったので、もともと勤めていたリクルートを去年やめて、今は自転車関連の仕事をしてるんだけど、(そのことを書いた↓の記事も読んでいただけると嬉しいです!)

色々あるけどぜーーーーーんぶひっくるめて、総合的には超楽しいし幸せだなと感じてる。

わざわざ「色々あるけどひっくるめて」って言ったのは、好きを仕事にしているがゆえの楽しさもたくさんあれば、当たり前だけど好きを仕事にしたがゆえの苦しさ、面倒臭さもたくさんあって。

総合的には◎!と言ってるのも、そういうプラスとマイナスを全部足し合わせたら、一応プラマイで言うとプラです!ということでしかない。

大事なのは、プラスなことばっかりでもないし、マイナスなことばっかりでもないけど、好きを仕事にするがゆえの苦しみ、やりづらさ、っていうのは、おそらく何をするにしても確実にあるぜ、ということで。

だったら経験者として、もしかするとこれから好きを仕事にしようと思っているあなたに、「僕は今これが苦しいっす!!」っていうのを赤裸々に伝えてみることで、五分五分の確率をちょっとでも幸福な方に寄せられるんじゃ?と思ってる次第でございますん。

というわけで前置きが長くなったけど、
「好きを仕事にしちゃいけない3つの理由」書いてみた。


好きを仕事にしちゃいけない理由その①
好きなものを純粋には楽しめなくなる

僕の場合は自転車だから、ちょっと人に伝わりづらい部分もあるかと思うので、例えば美味しいパスタが好き、だとしてみると。

いち消費者として「美味しいパスタが好き」なので、
初めてのレストランに行くのが楽しみだったり、
実際食べてみて「おいしいー!」ってなったり、
「これは俺ランキング的にはパスタ部門で3本の指には入るな、、」って思ったりして、それが楽しかったりすると思う。

ところが。

いざ業界に飛び込んでみて、
例えば「美味しいパスタを出す店を紹介すること」を仕事にしてみたりする。

すると何が起きるかと言うと、

取材するためにお店の人とやり取りをすることになったり、
やり取りを介して仕事の付き合いや、もしかすると仲良しになったり(仲良いほうが仕事もしやすいし)、する。

そうすると、これまでは相手からすると「お客さん」だったのが、「仕事の付き合いがある人」とか、「仕事の発注先」になったりして、関係性が変わる。

レストランの人だって、「お客さん」はプロとして丁寧に扱うけど、
仕事の「発注先」となると当然要望も出てくるし、人によっては高圧的になったり、適当になったりと、そこは人間なので個性が出てくる

お客さんとしてレストランで美味しいパスタ食べてたうちは、
単純にパスタ食って「うめえ!大好き!」で良かったんだけど、
関係性が変わってくると、普通に美味しいパスタが食べたくても、

「あそこパスタは美味しいけど気ぃ遣うから別のとこいくか〜」ってなったり、
逆に「関係続けるためにそろそろ一回食べに行っておかなきゃかな…?」ってなったり、
たとえ新作のパスタが微妙でも「めっちゃうまいっすわ」と言ったほうがいい場面もあったりする。

つまりまとめると、
趣味だったらパスタ食って「うめえ!」で良かったけど、
仕事になると、店主とワタシの関係とか、店主の対応の態度とか、他のお店との付き合いの兼ね合いとか、あそこの店とあそこの店は店主が仲悪いとか、、、

そういう余計な情報がパスタにトッピングされてしまうということ。

うまいこと言えた!(言えてない)

パスタそのものの味は変わらないはずなのに、
パスタをいただくワタシの味わい方は変わっちゃう。
ということ。

ちなみにこれに付随して、(あっちの店行ってるけどこっちの店いってないとかで)気を遣うから急にSNS投稿しなくなる、とか、

代々木公園でたまにやってるタイフェスとかみたいな、
お店がそれぞれ屋台出して一同に介する、みたいなイベントがあったときに、挨拶回りがメインになって、いちお客さんとしては全然楽しめない、みたいな事もあったりする。

ただこれ、もちろん逆のパターンもあって。例えば

実は店主は東京の星付きレストランで何年も修行した後、奥様との夢だった『二人で地元に、小さくてもいいので、誰でも気軽に、安く美味しいパスタを楽しめるお店を作りたい』という思いでお店をオープンした。

看板メニューのパスタは、修行時代に師匠から初めて褒められたときの思い出があるオリジナルレシピ。

デザートについてくるケーキは実は奥様が焼いてるんだけど、
そのケーキを初めて食べたときに旦那さんが冗談っぽく放った『将来一緒にお店をやろう』っていう言葉がきっかけで、結婚することになった。

なーんて話を聞いちゃうと、いつものパスタが何倍も味わい深くなったりする。
だから一概に「パスタまずくなるぜ!!」っていうわけではもちろんない。

でも一方で、気は遣うこともあるのも事実。
結局プラマイなんだなあ、、(遠い目)


好きを仕事にしちゃいけない理由②
成果が出るとは限らない

これは結構盲点だったりする。

自分がめちゃめちゃ好きなことを、仕事にしよう!!って思うくらいだから、始める前は当然、日々大好きなものに囲まれて、キラキラ仕事してる自分を思い描くんじゃないかと思う。

でも実は、「好き」かどうかと「得意」かどうかは、
全く無関係とは言わないけど、あんまり関係なかったりする

先程の例で言うと、「パスタはめちゃめちゃ好きで超詳しい」んだけど、
「その魅力を人に伝えるのは別に上手じゃない」という状態。

やりたいことは名詞じゃなく動詞で考えろ、って何かの漫画で見た気がするし、実際よく言われるけど、ほんとそうで。

パスタが好きです!って言うけど、あなたは
パスタを「食べる」のが好きなのであって、
パスタを「紹介する」のが好きなわけじゃなくない?ということ。

で、さらに僕が言いたいのは、

仮にパスタを「紹介する」のが好きであっても、
人からお金もらえるレベルで上手じゃないと、結局仕事になりづらい
ということ。

好きなのと得意なのは違う。

これは下手すると、別に好きじゃないけど仕事してる、っていうパターンよりも厄介で、

こんなに好きなのに、
でも苦手、
でも役に立たない、
でも顧客に喜ばれない、
でも仕事にならない、
みたいになる可能性もあって。

そうなると、好きだからこそ、好きが故に、苦しい思いをすることになる。

だから大事なのって、
何かを好きだな〜、仕事にしたいな〜、って思ったら、
じゃあ実際にその「好き」を仕事にしたら、
日々何をすることになるのかを、超具体的に考えてみたり、
すでにやっている人に聞いてみることだと思う。

毎朝何時に起きて、
どんな会社の何の担当をしてる人と連絡して、
どんな場所にいってどんな人と、どんな内容の会話をして、
ひとりでの作業はどんなことをやって、
アウトプットではどんなものを出すのか。
どんな仕事は良い仕事なのか、成果が出るとはどういうことか。

それをやり続けるとどんな力がついて、
お金がもらえるのはどんな瞬間なのか、
それは自分がやり続けて、能力を発揮できるのか。

って考えてみて、聞いてみて、
それでも「やれる」か「やりたい」って思うかどうか。

は、一度立ち止まって考えて見てもいいんじゃないかと思う。


好きを仕事にしちゃいけない理由③
当事者でない、というアドバンテージを失う

ナニソレって感じだと思うので、ちょっと丁寧に説明すると。

「第三者である=ヨソモノであるということが、仕事を前に進めたり、前例のないことに挑戦する上で大事な要素になることがある」というのは、仕事をいくらかしてる人ならピンとくる部分もあるんじゃないかと思う。

例えば新卒でも中途でも、新たに会社に人が入るとき、
必ずと言っていいほど期待されるのは
「これまでのやり方とか一旦忘れていいから、まっさらな目で見て、
おかしいところとか気づいたらバンバン教えて!
」ってこと。

長く一つの事業に関わってると、いつの間にかその業界とか会社の中での「当たり前」が知らない間に刷り込まれて、違和感を覚えなくなる
自分たちはもう慣れちゃって、ホントはおかしくね?ってことにもはや気が付くことすらできにくくなってる。だから新しい人にそういうことを期待する。

あえて極端な例を出すと、
世界一のスパコンを作りたくて頑張ってる人たちに蓮舫さんが放った
「二位じゃダメなの?」もそうだし、

「インターネットが犯罪の温床になってる!」と思ってる人たちに向けて
ひろゆきさんが放った
「それなんかデータあるんすか?あなたの感想ですよね?」もそう。

もうちょい身近なところで言うと、
「服とかってサイズとかデザインとか超たくさんあるから、
当然お店に行って試着してから買うよね」
っていう文化だったところに、
「いやいや普通にネットのほうが便利じゃね?」
「家で着てみて、違ったら返品でええやん」
って(たぶん)考えたZOZOもそう。

※余談(飛ばしておk)
余談だけど、リクルートにいたときに、よく「圧倒的な当事者意識を持て」と言われてたんだけど、それもつながってるのかな、と思う。

「当事者意識を持て」であって「当事者であれ」でないのがポイント。と僕は勝手に思っていて、

当事者は当事者なんだから、当事者意識もクソもなく最初から当事者でしかない(は?)
「当事者意識を圧倒的に持つ!」ということは、第三者でありながら、かつ当事者になったくらいの意識でやれい!ということなんだと捉えてる。

リクルートでは中途採用の事業に関わってたんだけど、採用の支援だから、お客さんはいろんな会社の人事とか採用の担当の人たち。

そこにリクルートから営業マンが「こんにちは」していって、その会社にとって良い人を採用できるようにお手伝いする、っていうのが会社としての仕事で。

そこで当事者意識を持つ、っていうのは、当事者(お客さんである人事担当者)ではないんだけど、当事者になったくらいのつもりで、でも外から支援するよ!っていうことで、
だから、デキる営業マンは人事だけじゃなくて、
人事の人が採用しようとしてる現場の部署の人に会いに行くだとか、
会社の経営に関わってる偉い人に直接話に行って、
そもそも今後の採用の計画を一緒に考えさせてください
みたいなことをしてたりとかしてた。

でも、第三者だからこそ、
「こういう人がほしいって言われてるんだよね〜」っていう人事担当者に対して、
「その人って本当に採用する必要あります?」
「今の御社に必要なのって、逆にこういう人じゃないすか?」

っていう提案ができたりとか。してた。デキる人は。
※こんなナメた言い方はしてないと思う

「好き」を仕事に、っていうだけならそんなに気にしなくていいことなんだけど、スタートアップだとかイノベーションだとかが割と流行ってる現代、
「この業界にイノベーションを起こすんだ!」って気合い入ってる人も結構いるのを見ていると、むやみに当該業界に飛び込むだけがその手段じゃないかもね、って冷静に考えてみるのも大事かも、って思う。

レストランガイドで有名なミシュランも、本業はタイヤ屋さんで、
「郊外の美味しいお店を紹介することで、みんな車にもっと乗るようになる!そしたらもっとタイヤが売れるはずだ!」って思ってレストランを紹介し始めたって言うし(実際それでタイヤ売れたかは知らないけど)。

本を売るのが大好きなので本屋さんを作って、素敵な本を売りまくります!って言ってる人の横で、Amazonがとんでもない量の本を売ってたりする。

って考えると、その業界に身を置くことが必ずしも正解とは限らない

というのが、「当事者でないというアドバンテージ」の話でござんす。

業界に飛び込むことで、取引関係とか資本関係ができちゃって逆に身動き取りづらい、とか。
会社に入ることで、ホントは捨てたほうが良い慣習が身についちゃったりとか。
いろんなレイヤーで起こりうる話だし、僕自身も似たような苦しみの中にあったりするので、紹介してみた。


まとめ

というわけで「好き」を仕事にしちゃいけない3つの理由を書いてみたけど、冒頭でも書いたとおり、好きを仕事にするのにはプラもマイもあって、プラマイでプラになるかどうかはやってみないとわからないし、
どんだけ好きでもマイがゼロということはあんまりないかもね、という話でございました!

好きを仕事にするのは挑戦。
世論的には「好きなことで、生きていく」は好意的に受け入れられてるように思うし、なんとなく「そうしたほうがいいじゃん」っていう空気は感じてる。
でも最後に大事なのは「自分にとって、幸福に生きていくとはどういうことか」を考えることだよなあ。と僕は思う。

その答えが「好きを仕事に!」だったら、挑戦したらいい。

でも「よくわかんないけど目の前のことを精一杯やりきる!」だって同じように挑戦だし、
「家族を守りたいから、仕事は好きじゃなくても得意なことをやってお金を稼ぐんだ!」も同じように挑戦だと思う。

だから結局は、思ったようにやってみるのがいいと思う。
なぜなら人生一回だし、誰もあなたの人生に責任を持ってはくれないから。

応援してますので、一緒に頑張りましょう。

面白いなって思っていただけたら、ぜひサポートをお願いします! 面白くないなって思った場合も、ぜひサポートをお願いします! …狂ってる?それ、誉め言葉ね