モノクロ後ろ姿_mini

【婚約破棄になったぼくが恋愛工学を実践した理由】その1・はじまりとおわりの始まり



「うん、またね。連絡ちょうだい。」


彼女はそう言ってタクシーに乗り込んだ。

早朝4時の新宿。まだ辺りは薄暗い。

ぼくは寒さに身を縮め、コートのポケットに手を突っ込んだ。


―――今日は上手くいった。

彼女の塩対応っぷりには辟易したが、ミラーリングとバックトラック、

そしてイエスセットのおかげでCフェーズは乗り越えた。

共通の話題から話も広げられたし、初めて聞くネタでも知識を総動員させて盛り上げられた。


「ぼくはどうやら、Cフェーズは得意なんだな。」

手応えを感じ、ひとりごちる。すれ違ったおっさんが怪訝な顔でぼくを見たが、そんなことはどうでもいい程気分が高揚していた。


大の苦手だったSフェーズも、驚くほど決まった。

終電がなくなったぼくと違い、赤髪の彼女は新宿から2駅。どこかに泊まる必然性なんてどこにもなかった。

「俺、一人じゃ寝られない性格でさ。あとホテルって一人じゃ入れないし。」

「もしかして変なこと考えてない?お前相手に、そんな事する訳ないじゃん。」

「あー、眠い。早くベットで横になりたい。」

でもそんな必然性は、こんな適当なセリフでいとも簡単に崩れた。いや、セリフというよりはマインドセットか。


やっぱり、アルファ感って大事だ。

典型的なベータ人間のぼくにとって、アルファに振舞えたのは大きな収穫だった。

そこから先は、本当にメルマガの通りだった。

道端ではイヤイヤ言っていたのに、部屋の中に入った途端、僕たちはお互いを求めあった。

その子なんて彼氏がいるにも関わらず、だ。


「ホントにすげぇな、恋愛工学って。」

ようやく来た始発に乗り込みながら、ぼくはそんな事を思った。

座席に浅く腰掛ける。柔らかい感触。疲れた腰にはちょうど良い硬さだった。

背もたれに身を任せながら、ついさっきまでの出来事に浸っていると、心地よい眠気に襲われてきた。


そして、いつものように、ぼくが決して忘れられない事を、思い出す。


思い出して、しまう。



――――――もう、私たち、別れた方が、いいと思うの。



――――――あなたが、好きだって、言うから、髪の毛……長く、していたのに。



――――――本当は、別れたくなんか、ない。



――――――じゃあ、ね。また………ね。




いろんな人に助言をもらった今でも、何が悪かったか分からない。

そもそも、ぼくは彼女が何を考えているのか分かろうとしていなかった。


分からない。


22歳の童貞のぼくに、初めてできた彼女。いま思えばかなり非モテコミットしていた。

でも彼女も、ぼくにかなりコミットしてくれていた。

恋愛工学的には珍しい事例なのかもしれないし、これはただのぼくの思い込みかもしれない。

また、正直に言えば、彼女しか知らないまま結婚するのはどうなのかなー、とは思っていた。

その気持ちが少なからずあったからこそ、最後の最後でぼくは引き止める言葉が出なかったのだろうか。


ぼくは、彼女を裏切ってしまったのだろうか。


分からない。


何も分からない。



ぼくが通っていた大学の駅を通り過ぎる。

ここではいろんな思い出があったなぁ。

彼女との思い出も、たくさんあった。それこそ数え切れないくらいに。


「はは、これこそ非モテコミットだよな。」

通り過ぎていく風景をぼんやり眺めながら、ぼくは乾いた笑いを浮かべた。


でも分からないなりに、ぼくは、根拠のない確信があった。



―――恋愛工学を続けていけば、きっとこの答えが出る――――――



恋愛工学は、ただヤるだけのものじゃない、ということ。

詳細は省くとして、本当に好きな相手が現れた時に、その人をちゃんと愛せるようにする為の学問だということ。

この1行だけで、ぼくには十分だった。


本音を言えば、まだ迷いはある。

「不倫は文化」なんて言葉があるが、ぼくも20数年、それは否定されるべきものとして生きてきたからだ。


「でも、ここで動かなかったら、あの時以上にもっと後悔する。」

ぼくは再確認するように、こころの中でそうつぶやいた。

そう、絶対に後悔する。

また、同じような過ちをして、大切な人を傷つけてしまう。

そんなのは、絶対に嫌だ。


ふと気がつくと、もう最寄駅に着いていた。どうやら寝てしまっていたようだ。

無理もない、昨日は結局一睡もしなかったのだから。

ぼくは気だるい身体に喝をいれ、立ち上がる。今日は仕事なのだ。覇気のない態度で仕事なんてできない。

恋愛工学を学び始めて1年が経ったが、あの時の答えは未だ見つかりそうにない。


あの出来事も、忘れられそうにない。


でも、だからこそぼくは、ひとつの決意を胸に今日も動き出そうと思う。


改札を出ると、人はまばらだった。こんな時間によくいるもんだ、と感じたが、今日は休日か。

ぼくみたいにオール明けの人がいても不思議じゃない。

まぁぼくはこれから仕事だけどね。


愚痴とも言えないことをつらつら考えながら、ぼくは家へと足を運んだ。

朝日が目に眩しい。今日もいい天気になりそうだ。




―――ぼくは、愛を証明しようと思う。


  = くまさん =

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※画像 著作者:Amateur.Qin(秦) l GATAG|フリー画像・写真素材集 4.0

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