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冬至 2022

2022年は、12月22日が冬至でした。北半球では1年のうちで日の出から日没までの時間が最も短くなる日です。

2022年の冬至について、Voicy ラジオ放送で語ってみました。放送は、インターネット上で、どなたでも無料でお聴き頂けます。

https://voicy.jp/channel/1739/440102

世界各地の日の出、日の入り

いまはインターネットの時代ですので、世界各地の日の出、日没の時刻、そして、もちろん昼間の時間、夜の時間をたちどころにパソコンやスマホの画面に表示することができます。一昔前であれば、自分で計算したりもした人もおられたかもしれませんが、いまは、その必要もほぼなくなっています。とても便利な時代になりました。

https://www.timeanddate.com/sun/

このサイトで、japan と打ち込みます。すると、都市名の一覧が出ますので東京を選びましょう。

東京の場合

東京の場合、12月22日の日の出は6時47分です。日没は16時31分ですので、
昼間の時間の長さは9時間44分26秒です。でも、前日の21日もほとんど同じで、その差は1秒以内です。12月23日は、ほんのちょっと日が長くなります。でも長いと言っても2秒長いだけです。

冬至は特別な日ではあるのですが、日本くらいの緯度では、その日だけが特別というほど敏感な変化にはならないようです。例えば、12月10日くらいでも、昼間の長さは、冬至の日よりも3分48秒長いだけ、12月31日大みそかの日でも 2分20秒長いだけです。しっかり時計を手元において見ながら、日の出や日の入りを見ていない限り、うっかり見過ごしそうな感じでしょうか。

ロンドンの場合

それでは、イギリスではどうでしょう。私はイギリスに住んでいたとき、
ロンドンよりももう少し北、バーミンガムの近所にいたのですが、とりあえず、今日のところはロンドンで見てみましょう。United Kingdomと打ち込み、リストのなかから London を選びます。

12月22日の日の出は8時4分、日没は15時53分ですので、昼間の時間の長さは7時間49分42秒です。東京よりも2時間近く短いです。実は12月22日が冬至ではなく、1日早く21日です。とはいえ、22日との昼間の違いは1秒以内です。
それから12月23日は、22日よりも昼間は7秒長いです。

私が住んでいた時の体感でもそうだったのですが、クリスマスを過ぎると、本当に、毎日毎日、日が長くなって、春が近づいてきているというのを実感します。日本でも、どこの地域でも冬至を過ぎれば昼の長さが長くなるのは当たり前なのですが、イギリスは体感でわかるほどです。例えば、12月31日おおみそかの日では、冬至の日よりも、昼間の長さはほぼ5分長いです。日本では2分20秒長くなるだけですので、2倍以上の変化になります。

北海道、沖縄の場合

日本は南北に長いので、実は結構違いがあります。例えば、北海道の稚内はどうでしょうか。12月22日は、日の出が7時10分、日没は15時53分、昼間の時間は8時間42分53秒です。東京が9時間44分26秒、ロンドンが7時間49分42秒ですので、ちょうど、東京とロンドンの中間の長さです。東京より約1時間日が短く、ロンドンよりも約1時間日が長いです。

では、沖縄県の那覇はどうでしょうか。12月22日は、日の出が7時12分、日没は17時42分ですので、昼間の時間は10時間29分55秒です。東京が9時間44分26秒、稚内が8時間42分53秒ですので、東京と比較して約45分長く、稚内と比較すると約1時間45分も長いことになります。

稚内の日の出と那覇の日の出がそれぞれ7時10分、7時12分で、たいして変わりません。どっちも東京の6時47分より遅いです。

稚内は、東京よりもずっと北の方にあり、緯度が高く、そのために、日の出が遅くなります。一方、那覇は、東京よりも南にあり、緯度は低いですが、東京よりもずっと西ですので、この季節によらず、年間を通して、日の出は常に東京よりも遅いです。

このようにして各地の日の出、日の入りを見比べてみると、なかなか面白いです。

南半球の場合

それでは、南半球はどうでしょうか。私が行ったことのある1番南は、
南アフリカ共和国、首都プレトリアです。

12月22日は、日の出が5時13分、日没は18時58分ですので、昼間の時間は13時間45分6秒です。1年で1番日が長い夏至は、前日の12月21日ですが、その差は1秒以内です。

ということで、南アフリカは、真夏で、日がすごく長いわけです。

8世紀中国、唐の時代の杜甫の場合

どの土地にも特色があって面白いですが、日本を含めた東アジアの国々の位置する緯度では、日照時間という観点でも1年を通して変化があり、それがもちろん、季節の変化にも関わり、それを体で感じで生きているわけです。

中国の唐の時代の詩人、杜甫(712-770)は、冬至について、詩を作っています。冬至は、人の活動の転換点であり、特別な日であり、自分のこれからを想う日でもあります、

杜甫の詩集は、英語に翻訳されて出版されています。

https://www.amazon.co.jp/dp/1614517126

杜甫の漢詩と英語訳を載せたPDFファイルは以下のサイトで無料で閲覧できます。ざっと千数百編載っています。とても有用です。
http://library.oapen.org/handle/20.500.12657/27423

342ページにある 21.1 が冬至の詩です。その次のページに英訳が出ています。

冬至
年年至日長為客,
忽忽窮愁泥殺人。
江上形容吾獨老,
天邊風俗自相親。
杖藜雪後臨丹壑,
鳴玉朝來散紫宸。
心折此時無一寸,
路迷何處見三秦。

Winter Solstice
Every year on the solstice I am ever a sojourner,
hopelessly lost in sorrow’s extreme, utterly mired down.
Of the appearances by the river I alone am old,
with the ways here at world’s end, I have naturally grown familiar.
Taking my cane after the snow I look out on Cinnabar Ravine,
ringing jades as morning comes, scatter through Zichen Palace.
The heart snaps at this moment, even that one speck is gone,
my way is lost, and when will I see tripartite Qin?

まず、書き下してみましょう。

年年至日つねに客と為り 忽忽たる窮愁 人を泥殺せしむ
江上の形容 吾独り老い  天涯の風俗 自ら相い親しむ
杖藜雪後 丹壑に臨む   鳴玉 朝来 紫宸に散ぜん
心折けてこの時一寸なし 路は迷う 何れの処か 是れ三秦なる

例によって、私的勝手琉の超意訳です。専門的に見れば不十分な点があるだろうことはご容赦ください。

長い間、冬至の日と言えば毎年、旅の途上にあるのが常になっている。
すっかり意気消沈し絶望的な思いの日々で、まったく元気がない。
川面に映し出されるわが姿を見るに、すっかり老いてしまったと実感する。世界の果てのような辺境の地にも、いつしか慣れ親しんできた。
雪が降りやんだ後、あかざの杖をついて、辰砂の赤い渓谷を前に立っている。
この時間は、高官たちが身に着けた翡翠の音を立てながら、役人たちが紫宸殿を出入りしたりしている頃だ。
そんなことを思うと私の心はすっかり折れてしまい、砕けてしまってたったの一寸の大きささえも残らない。
私はこれからどうしようか。いつどうやって都のある三秦に戻れるだろうか。

杜甫は地方を旅するよりも都会で過ごすのが大好きだったのでしょうか。
それもあるかもしれませんが、政治の中心である都で、かつてそうだったように、国家の意思決定にかかわる重要な仕事に関わっているのが大好きだったのでしょうか。

まさに考え方1つだと思うのですが、杜甫ほどの才覚のある方であれば、都でそのような重要な仕事にまい進して業績を挙げるのもよし、そうでなく、静かな田舎で気ままに暮らし、そこで毎日、なにか新しい発見をするのもよしです。何をどうなさっても楽しいのではないでしょうか。流行に惑わされず、自分の目と力で、無から有を見出し、創り出すほどの才能があるのですから、自由と静寂は、本当は、このうえない贅沢な環境です。

でも、冬至という転換の日、その杜甫でさえも、年老いて、なにか寂しい気持ちになったり、弱気になったりすることがあったのでしょうか。

現代にひきつけて考えてみますと、このような「らしくない寂しい弱気」はやはりあるのかなとも思われます。

ご自分の努力で成功をおさめれ方、特に女性で、シングルマザーとか、あるいは独身で、若いときから仕事一筋で邁進され、例えば、会社をたちあげて経営者としてビジネスの分野で成功されたとか、ビジネスでなくても、なにか大きな目標をもって生きてこられて、長年の努力が実り、ついにそれを達成なさったという方々が、ある時、なにか一抹の寂しさを感じられるという
1つのパターンがあるようです。

何かを選択することは、別な何かを選択しないことでもありますので、得られた成功を噛みしめるとき、得られなかった何かについても考えが及ぶところがあるのでしょうか。達成感を感じる一方で、残りの人生の過ごし方に関して、なにか寂しさのようなものを感じられるのでしょうか。しかし、それを見透かすかのように、近づいてくる悪い人たちがいますので、悪い転換点にならないように注意です。

杜甫の場合は、国家のために自分が考えた計画や提案があり、しかし、それが認めてもらえなかったことで失意のうちに都を離れたという事情がありました。政治や行政の中心に近いところには、いろいろな利害や思惑があり、また競争相手もおられるでしょう。自分の思った通りになることは、もともと容易ではありませんし、仮に順風満帆に見えても、それが深刻な地獄への入り口であることもあるでしょう。

杜甫ほどのなみはずれた才能に恵まれた人ならば、何事も臨機応変で、自分の当初計画に固執する必要などまったくなく、自在に動いてゆけば、いくらでも道は開けるように思われます。何度でもやり直しもできれば、他の分野でも、他の土地でも、本当にどこでも、新しいことをまたやればいいだけです。無理に都に戻らなくても、ずっと旅を続けて、いろいろ場所を見て歩くだけでも有意義です。でも、それは全部わかっていて、それでも、年老いて、自信がなくなり、心細いと思うこともあったりするのでしょうか。

冬至の日は、1年で1番日が短い日で、ここからは毎日、日が長くなる折り返し点だから、いよいよこれから楽しくなるぞ、と励ましてあげたくなるような、自信のなさそうな杜甫の詩でした。

今日の最後は Winter Solstice の歌です。

https://www.youtube.com/watch?v=h0Xz5w-Sr5g


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