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コーチングが怪しい理由。

「コーチング?ちょっと怖いからやめておくわ。」

これは、ぼくがコーチングの勉強をはじめたばかりのとき、10年来の友人から言われたことばだ。当時は勉強したことをすぐに実践したくて、壁打ち相手を探していた。彼はたまたま休職中だったので、どうせ暇しているだろうと思い、ラインを送ってみたのだが想定外の返答が返ってきた。

最近でこそ、年に数回しか遊ばなくなったが、大学生のころは本当によく遊んでいた。「ちょっと一杯飲みに行こうよ」と誘ってみたものの、「きょうはこのあと用事があるからやめとくわ」。と、理由がよくわからないまま断られてしまったような、後味の悪い気分になった。

ぼくの友人以外にも、コーチングに対して、「怖い」「怪しい」という印象をもっている人はまだそれなりに多い。ツイッターをはじめとするSNSで、いままで何度も目にしたことがある。コーチングを勉強し、その良さを知ってほしいと思っているぼくにとっては、いまの状況は好ましくない。ではなぜコーチングに対して「怖い」「怪しい」という印象を抱いてしまう人がいるのだろうか?

おそらくその理由は、限りなく情報が少ないからだと思う。

コーチングは基本的に、コーチとクライアントの2人で行うものだ。そしてコーチングの中で話される中身については、守秘義務によって守られている。はじめましての段階でコーチはクライアントに対して、必ず「ここで話した内容は外部に漏らすことは絶対にない」と約束する。そしてクライアントも、自分の内側をさらけ出しながら話をするため、内容をおおっぴらにすることはない。絶対に人には言えない内容である場合もあるだろう。

だから、クライアントがコーチングの感想をSNSで発信する際は、「すっきりした」「言語化できた」「コーチングすげー」などといった表面的で、抽象的な部分だけを発信せざるを得ない。

実際にSNSでコーチングについて検索してみるとよくわかる。コーチングによってどんな話をしたか、を細かく書いている人はほとんどいない。書いているのは、クライアントのすっきりした感想や、コーチのコーチングスタイルやスタンス、学んだことのアウトプットがメインだ。

コーチングを受けた人たちの、抽象的な発信を見た人たちは「なんだかすごい」という部分だけ受け取ってしまう。よくわからないけど、良いらしい部分に対して、「うさんくさいことをやっているのでは?」「なんだか怪しい」と反発している人が意外と多いのではないだろうか。特に最近のSNSはそういった、誰かのあげ足を取るような内容がよく見られる。

守秘義務がないとコーチングが成立しないのも事実だ。コーチとクライアントは「信頼関係」で成り立っている。例えば、自分が抱えている悩みをコーチに打ち明けたとする。その後、コーチがSNSで「きょうはこんな悩みを抱えているクライアントとのコーチングだった」と発信していたら、どんな気分になるだろうか。

仲良しの友人同士でやった暴露会で、好きになったクラスメイトの女の子の名前を告白したが、次の日なぜかクラス中にそれが広まっていたら、どんな気分になるだろうか。

こんな口の軽いやつとは二度としゃべりたくない。と思うのが一般的だろう。だからコーチングが怪しく見られているのは、今まで活躍してきたコーチが、クライアントとの約束をしっかり守ってきた(当然だが)証ともいえるのではないか。一部で怪しいと思われることすべてが、悪ではない一面もある気がする。

現時点において、ぼくはコーチングが怪しいと思っている人には、引き続き怪しいと思ってもらって構わないと思っている。当然、印象が変わればいいな、コーチングの良さを知って、仕事やプライベートに生かしてほしいな。とねがう側面もある。しかし、無理に変わってほしいとは思わない。

1兆ドルコーチのビルキャンベルがこれまで、コーチングを受けられる素直な人にのみコーチングをしていたように、受け入れられる状態ではない人にコーチングを提供したところで、効果はないからだ。

こうやって発信した文章で、1ミリでも誰かのコーチングに対する印象が変わればいいなと思う。

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