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「神の子どもたちはみな踊る」を読む(分析編2)

前回のフェーズ(局面)の視点を意識しながら、「アイロンのある風景」を読んでみる。
フェーズは以下の通り。

(1)地震に関する情報を得る
(2)過去と未来は絶えず続いていくものではない、と気付く
(3)過去と未来をつなぐためになんらかの行為を行う

「アイロンのある風景」では、東灘区にいる三宅さんの家族が被害にあったかもしれない、という可能性が示される(1)。
三宅さんは、何か事情があって家族と離れ、数年前から海辺の町に暮らしている。大震災をきっかけとして、三宅さんは家族のことを思う。同時に家族と離れた理由についての記憶も呼び起こされたことだろう。
それはおそらく、三宅さんが恐れる冷蔵庫と密接に関係している。

三宅さんは、自分は冷蔵庫に閉じ込められて死ぬのだと言う。
空気が少しずつなくなって、最後には窒息して死ぬ。そういう夢を見るのだと。
三宅さんが描く部屋のアイロンは、アイロンであってアイロンではなく、何かの身代わりだ。同じく冷蔵庫も、冷蔵庫であって冷蔵庫ではない。
三宅さんの夢に出てくる、空っぽで、中が真っ暗闇の冷蔵庫は、きっと三宅さんそのものだ。三宅さんが抱えるその闇は、家族と一緒にいられなくなった原因につながっているのではないか。
そして、いつか空虚な自分自身が三宅さんを殺す。ジャック・ロンドンがモルヒネを飲んで自死したように。

「私ってからっぽなんだよ」という順子の言葉を受けて、三宅さんは一緒に死ぬことを提案する。
自分たちの中にある無は、明日へ向かう足かせになっている。しかしその無から逃げることはできない(2)。ならば自らの手で明日をないものにしてしまおう…。
三宅さんは自分と同じ、空っぽの順子を受け入れ、死という赦しを与えようとしたのか。

しかし、三宅さんはすぐには死を選ばない。
死ぬのは、焚火が消えて真っ暗になってからだ。
ストーリーは、焚火が消えるのを待つ間、順子が眠るところで終わる。
この先二人が死ぬのか、それとも生きるのかは分からない。
それでも、焚火が消えるのを待って眠ることで、今目の前にある死を、少なくとも先送りはしたのだ(3)。
「ぐっすり寝て起きたら、だいたいはなおる」。
三宅さんの言葉に、かすかに宿る希望を信じたい。

さて、「UFOが釧路に降りる」で小村が運んだ箱、三宅さんの冷蔵庫。
なんとなく共通したモチーフだな、などと考えながら、一度他を飛ばして、次回はいよいよ「蜂蜜パイ」について、の予定。

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