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「神の子どもたちはみな踊る」を観る(感想2:淳平の逡巡、小夜子の受容)

「考えてみれば淳平と小夜子との関係は、そもそもの最初から一貫して、ほかの誰かの手によって決定されていた」(原作より抜粋)

淳平と小夜子は、大学時代からその関係性を自分たちで変化させることなく、36歳になる。
でも二人のスタンスは異なっていて、淳平が「決められない」のに対して、小夜子は「決めない」のではないだろうか。

小夜子の生い立ちを紹介するシーンがある。
小夜子は正座し、浅草の生まれで父親が和装小物店を営んでいることなどを自ら語る。
東洋英和女学院高等部から早稲田大学に進学したところから考えて、おそらく小夜子は親が望んだ道を歩んできたのだろう。けれど、小夜子が背筋をすっと伸ばし、まっすぐに前を見て語る姿を見ていると、むしろそれが小夜子自身の意志であったかのように思えてくる。

一方淳平は、親には商学部に入ったと嘘の報告をして実際は文学を学ぶ。
・・・という紹介は、淳平ではなく、語り手となったかえるくん(かえるくんとして語っているわけではないのだが、便宜上かえるくんと呼ぶ)によって行われ、途中かえるくんに問われて「小説が書きたかったんだ!」と文学部に入ったことを弁明する。
小説家になるために文学部に入りたいという思いがありながら、それを親に言えずにいる淳平から感じるのは、小夜子とは対照的な後ろ暗さである。

思いがありながらも自分では動けない淳平と、周囲に望まれることを受け入れる小夜子。
この自己紹介シーンに、端的に二人の姿勢の違いが表れていて、それゆえに二人は長い期間結ばれることがないのだ。

大学時代のキスシーンの前、小夜子の台詞「何かがわかることと、それを目に見える形にすることってぜんぜん違うことなのよね」は、小夜子自身に対して言っているようでもあり、淳平に向けた言葉のようでもあり。
高槻を受け入れた以上、小夜子は自分の淳平に対する想いをもう形にすることはない。その後悔のようにも受け取れるし、高槻より先に告白をしなかった淳平への責めとも取れる。
小夜子は普段、感情を自分の管理下に置いて一定に保っているが、抑えきれなくなった感情が涙となって落ち、淳平を混乱させてしまう。
二人の関係性においては、破綻のない小夜子の少しのほころびのようなものがとても重要で、「決められない」淳平を、衝動によって動かす。

キスシーンの始まり、まずはかえるくんが、淳平が小夜子の肩を抱き寄せて口づけることを語る。淳平は舞台の中央でそれを聞きながら戸惑いの表情を見せるのだが、最後はかえるくんのナレーションに導かれるように小夜子にキスする。
私たちは、淳平は意思を持ってそうしたわけではなく、これは衝動による行動なのだと、一連の流れから理解する。
だが、小夜子は「それは間違ってる」と、二人が前に進むことを理性的に押しとどめる。
だってもう別の形が出来上がってしまった後なのだから。

36歳になるまでの、途方に暮れるほど長い時が流れて、ようやく淳平と小夜子は結ばれる。
そのきっかけもまた、小夜子がブラ外しゲームでずるをしたことで久しぶりに自然に笑う、というちょっとしたゆらぎである。
このシーンでの小夜子は悪戯っぽい笑い方がとても魅力的で、淳平が小夜子に2度目のキスをするのに十分な説得力がある。

「私たち最初からこうなるべきだったのよ」という小夜子の台詞もまた、淳平に言っているのか、それとも小夜子自身にか。
少なくとも小夜子には分かっているはずだ。自分が「決めない」女であることも、淳平が「決められない」男であることも、そのバランスが崩れる瞬間を待ちわびていたことも。

それにしても、原作ではこれまで迷い続けた淳平がなぜ、小夜子に結婚を申し込もうとするまでの意志を固めることができたのか、多少の不明瞭さがあった。
舞台でその裏付けになっているのは、淳平が「かえるくん、東京を救う」を書き上げた後である、ということだ。
語り手であるかえるくんは、舞台を去る前に「だってかえるくんは東京を救ったのだから」と言って淳平に視線を送る。まるで淳平の背中をそっと押すように。
淳平は、かえるくんと片桐が東京を地震から救う物語を書き上げたことで、小夜子と沙羅を守るのは、他の誰でもなく自分である、と自覚したのではないか。
意識的に書いたのか、無意識に書いてその答えにたどり着いたのかは分からないけれど、淳平は自分の思いを、物語という「目に見える形」にしたのだ。

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