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「神の子どもたちはみな踊る」を読む(分析編3)

「蜂蜜パイ」は、静かな短編だ。
主人公・淳平は、大学で親友となる高槻、運命の女性となる小夜子と出会う。小夜子は高槻に奪われるが、結局二人の関係は破綻し、淳平にチャンスが回ってくる。
…と、淳平の周囲で起こる出来事はそれなりにドラマティックなのだが、淡々と、ただ淡々と、物語は前へ進んでいく。
それは、「淳平と小夜子との関係は、(中略)ほかの誰かの手によって決定されていた。彼は常に受動の立場に立たされていた。」からにほかならない。動いているのは心だけで、淳平は何の行為も生み出せていない。
そんな中、震災が発生する。

しつこいようだが、再度フェーズの話を。

(1)地震に関する情報を得る
(2)過去と未来は絶えず続いていくものではない、と気付く
(3)過去と未来をつなぐためになんらかの行為を行う

淳平にとって、神戸の街は大学卒業時の両親との確執を機に「葬り去った」過去である。それが(1)によって掘り起こされる。
「その巨大で致死的な災害は、彼の生活の様相を静かに、しかし足もとから変化させてしまったようだった。淳平はこれまでにない深い孤絶を感じた。」(2)。
(自分には)「根というものがないのだ」と実感したことが、淳平の心の深い層を動かす。

小夜子は、娘の沙羅のための他愛もないゲームの後で、昔のような笑顔を見せる。その笑顔は淳平を、初めて小夜子にキスをした19歳の頃へ引き戻し、二人は結ばれる。
淳平が行動を起こすきっかけは些細な出来事だが、それは震災によって淳平の心境が大きく変化していたタイミングでしか起こりえなかったに違いない。

さて、性行為とは生殖行動であり、未来へ遺伝子を残すことである(3-1)。だが、小夜子との行為において「何度か射精したくなったが、淳平はこらえ」ており、生殖行動としては完結していない。その前に、彼にはもう一つ解決すべき問題がある。
まずは不寝の番をして、地震のおじさんの箱から愛する女性二人を護らなければならない。そして夜が明けたら、小夜子に結婚を申し込むのだ(3-2)。

淳平は学生時代、小夜子に想いを打ち明けることができなかった。「一度口に出してしまったら、もう後戻りはできなくなる」からだ。
しかし、36歳の淳平には、もう後戻りしない覚悟がある。かつてなかったものにした神戸の記憶も、小夜子と出会ってからの長い年月も、意味のあるものとして未来へつなげていくのだ。
小夜子に想いを告げ、自分の人生をひとつなぎに認識できた時、淳平はきっと長編小説を書くことができる。長い時間軸での物語を紡ぐ力強さを、朝日の中で彼は手にする。

…箱、熊、鮭、と繰り返されるキーワードを宿題に残しつつ、次回はちょっと横道に逸れた小話を。

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