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「神の子どもたちはみな踊る」を観る(Overview:淳平 meets かえるくん)

7月31日の初日から約1ヵ月、9月1日の神戸公演で、舞台「神の子どもたちはみな踊る」の幕が閉じた。
私が原作についてnoteアップしてきたのはこの舞台を観るための準備であり、神戸大千秋楽を終えて、ようやくネタバレを恐れず舞台についての感想を書ける日が来たわけだ。
これから、初日・大千秋楽を含む8回の観劇を経て考えたこと小分けに書いていこうと思う。

初日のラストシーン、眠る小夜子と沙羅を見守る淳平の台詞を聞くうち、気付いたら涙が頬を伝っていた。温かな涙だ。
正直原作を読んだ時点では、自分が舞台版を観て感動するという想定はしていなかったので、意外だった。
…原作と舞台の違いって何なんだろう。

まず感じたのは、登場人物一人ひとりのキャラクターが原作よりもしっかりと色付けされているということだ。
例えば大学時代の高槻は底抜けに明るい。淳平はシャイ。小夜子は理知的でキュート。沙羅の子供らしい無邪気さ。片桐のおどおどした感じ。かえるくんはユーモアある紳士。
彼らは舞台上で、原作と比較して、よりエモーショナルな動きを見せる。
例えば、原作で淳平について「たまに、月に一度くらい、妙な時間に目が覚めて、ひどく不安な気持ちになることがあった。どれだけあがいても、俺は結局どこにも行けないんだと実感した。そういうときには机に向かって無理に仕事をするか、あるいは起きていられなくなるまで酒を飲んだ。」とある部分。
舞台では、淳平が衝動的に立ち上がって酒を掴み、テーブルでコップをあおり、強く握りしめた拳を震わせながら「俺はどこにも行けない…!」と叫ぶように言う。
原作は淡々とした印象で、淳平の感情の起伏が見えづらいのだが、舞台では俳優の演技や、舞台上の演出によって、それがしっかりと伝えわってくる。

また、舞台「神の子どもたちはみな踊る」の脚本は、「蜂蜜パイ」の主人公である小説家・淳平が劇中で「かえるくん、地球を救う」を執筆するという構造になっているが、元々は別の短編である2つが混ざり合うことで、新たに浮かび上がってくる物語の本質もあった。
「蜂蜜パイ」の高槻と「かえるくん、東京を救う」の片桐が一人二役であることで、高槻の闇が見えてきたり、かえるくんと片桐が東京を地震から救ったことが淳平の意思決定の理由づけになっていたりと、より説得力のあるストーリー展開になっていたように思う。

二つの物語が入り組む複雑なつくりでありながらも、登場人物の心の動きがくっきりと輪郭を持ち、原作ではとっつきにくいと感じる人もいるかもしれない村上春樹の世界に、自然に引き込まれる。
あっという間の1時間40分だった。

今後、テーマを分けて感想をアップしていく予定。個人的な感想ですが、よろしければお付き合いを。

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