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映画『東京カウボーイ』レビュー:ゆるゆる浸かって心を開放「観る温泉」

大手食品会社勤務のエリートサラリーマン・ヒデキ(井浦新)は、とにかく効率重視の男。M&Aを担当する彼は、創業者や従業員の気持ちにお構いなしに、強引にコストカットを進めていく。
大胆さが社長に気に入られ、勢いに乗ってアメリカ・モンタナ州の牧場を収益化するため現地に赴くヒデキ。和牛の飼育で利益を生み出すと、机上の空論をぶち上げるが文化の違いに道を阻まれ……

と聞くと、ヒデキってイヤなやつ、賢さが鼻につくタイプなんだろうな~と想像するのだけど、実際全然そんなことない。なんならむしろキュートです。
長年の彼女であり、上司でもあるケイコ(藤谷文子)との重要度高めな約束をすっかり忘れてダブルブッキング。いざモンタナではあれ?実は英語全然ヒアリングできないね?だったり、結構抜けている。
飛行機から降りてみればロストバゲージだし、早々に頼りの和牛専門家・ワダ(國村 隼)が怪我で戦力外になったり、つくづく「持ってない」ところも、ああ、なんて情けなくて、可哀想で、可愛い。
成り行きでヒデキの面倒を見ることになったカウボーイ・ハビエル(ゴヤ・ロブレス)も、どうにも彼を放っておけず、あれこれ世話を焼いてしまう。

ヒデキはとても自己肯定感が高い人なのだろう。きっと家族に愛されて、褒められて生きてきた人なんだと思う。自信があるから、彼は決して人を見下したり、マウントを取ったりしない。買収した工場も牧場も、こうすればもっとよくなると思った通りに行動しているだけで、これまでの運営者を貶すわけじゃない。自分と人と比べて劣等感を抱くこともない。だから自分より地位の高い恋人でも平気だ。
井浦新さんの演技は、そういう作中で説明されないヒデキのバックグラウンドを肉付けしてくれる。スーツをシュッと着こなすスマートなビジネスマン的ルックスと、思わずツッコミたくなるようなヌケ感のギャップも、大変よい。
まぁその素敵なスーツ、ヒデキと共に牧場で酷い目に遭う運命なんですけども。

けれどヒデキには欠けているものがある。度々訪れるエモーショナルな瞬間に、彼の心はちっとも動かない。
買収したチョコレート工場。退任する社長と送り出す従業員たちから感じられる心のつながりや、ものづくりに対する情熱。下見に行った新居の庭に植えられた桜の木を見て、将来に思いを馳せるケイコの笑顔。そういうものたちを、どこか冷めた目で見ている。彼にとっては効率が一番重要で、それを追求することが幸せだと信じているから。
ケイコには彼に足りないものがわかっていて、終わりの見えない長い春に限界を感じつつあるけれど、ヒデキには彼女の不安を感じ取ることもできない。

東京ではビジネスでも、彼女との関係でも、表面化していない不穏さに目を向けることなく走り続けてきたヒデキ。でも、言葉さえ碌に通じないモンタナで、何もかも空回りして、確かな味方もいなくて。彼はこれまでのやり方が通用しない現実と向き合わざるを得なくなる。
孤独と心細さの中で起きたある出来事をきっかけに、ヒデキの心は動き出し、現地の人々に馴染もうと行動を変えることに。
この「ある出来事」はとても印象的なシーンだ。観客とヒデキが同じ目線で心情を重ね合わせられる仕掛けがあって、気付けばヒデキと一緒に泣いている。自分だって、忙しい日常の中で何か大事なものを見落としながら生きているのかもしれない。

登場人物全員暖かくて魅力的。心がゆるゆると解かれて、後半はもう、なんてことないシーンもモンタナの大自然と相まってじわじわ沁みて、何度でも涙が出てきてしまう……もうこれは「観る温泉」だ(実際、温泉は物語において重要な役割を果たす)。
牧場ビジネスと、ケイコとの関係の行く末はぜひ、劇場で見守ってほしい。

あ、エンドロールがとってもとっても素敵!なので、どうぞ最後まで席は立たずでお願いします。

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