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可愛い子には旅をさせよ。の本質

可愛い子には旅をさせよ。

とは、我が子が可愛いなら、親の元に置いて甘やかすことをせず、世の中の辛さや苦しみを経験させたほうがよいということ。

誰もが聞いた事があることわざではないでしょうかね。ものすごく本質的な部分をついていると思います。

これは、「<親と子供>に限ったことわざ」なんて言う風に表面だけ見るのはもったいない。

相手を想うのなら、優しくすれば良いなんて甘い世界ではないって事です。

例えば、僕の精神病院では「依存症」の方がいます。
紹介したいのは、依存症の中でもアルコール依存症です。
アルコール依存症の事は置いといて、今日紹介したいのは、その家族についてです。

「共依存」という言葉があります。
アルコール依存症の人間の家族が、「もうこれで最後にしてね」と依存症の人を<信用>してお酒を買ってきたりします。
これは基本的に遷延化(ダラダラ続くという意味)します。
往々にして、悪化していきます。

これはなぜ?
には、簡単な答えはなく、たくさんの心理が働いています。
どれが原因かは様々です。代表的なのは

①酒を買ってこないと怒られるから

②援助してあげているという自己満足

③酒を買ってくると喜んでくれるから

④断るスキルをもっていないから

というのが挙げられます。
この4つが臨床的には多い原因です。
が、これは厳しい言い方をすれば<依存症の本人も家族も共倒れ>します。

アルコール依存症の人を想う気持ちがあるのなら、<優しくする>事でもない。<信用する>事でもない。
そんな表面的な思考手法では解決は難しい。

この場合、本当の優しさは家族は断固として<酒を買わない>という事です。
それでも暴れるなら<家を出ていく>という事です。

実際に、入院して「今度飲んだら離婚します」と宣言し、離婚届を準備して本人に見せるほど徹底している奥様もいます。

こういうケースほど、再入院はありません。

言われた側は「恐怖」すら感じ、やめるしかなくなる。
言った側は、最後の約束を破った人間と決別でき自分の人生を進める事ができる。
双方にメリットがあるんです。
そして、他の人にも迷惑をかける可能性も低くなる

逆に表面の優しさを継続した家族は、何回も再入院しています。
家族関係も悪く、親戚などとは絶縁。
でも離れる事もできない。
挙句に暴力をふるわれたり、外で喧嘩して警察沙汰になったり。悪化していくのむ。
非常に厳しい事になっていきます。

自分が表面の優しさを選択した結果は、自分達以外の多くの人間に迷惑をかける結末になるのです。

依存症の例をだしましたが、決して依存症の人の話ではありません。

子供もある一定のラインを超えた暴走を、大人が「叱る」必要はあります。
恐怖を与えてすら、子供の行動をとめないといけない時はあります。

外でのボール遊びを、子供はどこでもしてしまう危険がある。
車が多く行きかうような場所でも関係なく。
その場合、ボール遊びを継続すると子供がひかれて死ぬ場合もあれば、運転手が死ぬ場合もある。
それか、子供を避けた車が人を巻き込まれてたくさんの人が死ぬ可能性もある。
なので、子供にはその怖さを教える必要がある。

が、昨今は「褒めて育てる」とか、「優しい言葉で育てる」とか、「良い部分を見つける」とか、そこだけを抜粋して、子供を注意できない(又はしない)親もいます。
それは<優しさ>と言えるのでしょうか? 
子供が暴れまわっている状況で「元気だね(⌒∇⌒)」で、解決するのでしょうか?

そんな表面の優しさは、自分達だけではなく、往々にして多くの人を巻き込んでしまいます。

精神科でも、治療では「傾聴」だとか「共感」と、それだけでいこうとするスタッフがいますが、それは表面的なだけです。

この世は、残酷な事もたくさんあります。
理不尽な事なんて当たり前にあるでしょう。
襲われる事もあれば、裏切られる事もある。
嘘もつかれれば、いじめだってある。

キレイな言葉。キレイな世界。だけでは生きていけないのですよ。

なので、我々は「自分達で生きていく」ために、ひたすらに考えてもらう。
ずっとずっと考えてもらう。 
誰の助けも借りず、自分で戦う経験をさせる。
自分が考え、自分が行動し、自分で責任をとる。
常識をすべて疑い、自分で考させる。それが、根本的な治療。

可愛い子には旅をさせよ。

どんな人間とでも、どんな場所でも、どんだけ不利な状況でも、なんとか1人で戦っていける人間になる。
それこそ、大事な事です。

誰かに助けてもらう事が前提なら、それはやめましょう。

誰かに期待しているのなら、やめましょう。

最後に 自分を守れるのは、自分しかいません。


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