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源流と慟哭

源流
我々の始まりは、泣く事からはじまりました。
小さな身体から想像もできぬような声量で我々は泣いて誕生します。

恐らく人生で最も泣く瞬間ではないでしょうか。

なぜ泣いて産まれるのか。
このあまりに神秘性なる疑問に、
人は神話をいくつも仮設しました。

その仮設の中には、
死ぬ事を知っているから
とあります。

人は転生する。生まれ変わるという説で進めば、
産まれた時と同時に再度死ぬ事を理解する。
故に泣きじゃくる。
またこの世に生まれてしまった事に。つまり慟哭のような状態

もしかしたら知らない人もいるかもしれませんが、僕達は確実に死にます。
100%死にます。

哲学者やろうが、画家であろうが、征夷大将軍やろうが、天下統一を成し遂げたであろうが
死にます。

この世に生を受けると同時に、もう一つの真実がまっているわけです。

しかし、我々の大半はその事を忘れて生きます。

高齢者の車にひかれて死ぬのはテレビの中の人
強盗殺人なんてのはフィクションの世界
バラバラ殺人なんて更にドラマ
突然襲われて殺されるなんて自分には関係ない

と、自分と死を別離させる事を人は選択します。
しかし、死は確実にきます。
その時期はいつか分かりません。
ただ、その時期を自分で選択する事はできてしまいます。

日本では年間で分かってるだけでも2万人程度が、自らの死を選択します。

ただ、死ぬという定義を物質として考えたとき
このような無機質な結実を迎えますが

その人の想いや、伝えたメッセージは
生き続ける事があります。

今でも、レオナルド・ダ・ヴィンチの名前は年齢問わずに既知でしょう。
デカルトにベーコン、カント達の哲学も、我々へ受け継がれています。
死んでから評価されたヴィンセント・ファン・ゴッホもいます。

別に偉人の話に限定されません。
祖母、祖父、ペット、曾祖母、曽祖父
みなさんの中で大切な人で、もうこの世にいない場合でも
みなさんが、それらの人達の思想や姿を覚えている限りその人達は死んではいないかもしれません。

歴史に名を残した人物は
時を幾度も超えても、まだ生きていると捉える事もできます。

それにしても、
人が生誕する瞬間は
ほんとに神秘的な一瞬やと感じます。


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