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この世に不幸も不運も実は存在しない

この世に不幸も不運も実は存在しない

そんなもんは
他人が創り出す負のファンタジーなのです



これが人間のメカニズムです

なにが言いたいかって1つだけ
必ず人間の脳(処理)が入るってことです

全てはあなたが決めています
全ては僕が決めています

医療業界にいるので
たくさんの病気と縁が出来た方と出会ってきました

その中には
癌で髪の毛がすべて抜け落ちた方もいますし
爪が割れたり、黒くなって腐敗した方もいました
感染で両眼を摘出した方もいるし
脳神経麻痺で歩けなくなる人もいましたし
筋肉が萎縮して息するのもやっとな人もいますし
舌癌で食べ物の味を失った方

そう
挙げればキリがないくらい
様々な方と出会ってきました

がね
そんな方達を見て
可哀想
だなんて言いますか?

そして
彼、彼女らは
不運なのですか?
不幸なのでしょうか?

それは恐らくですが
勝手に誰かと比べて
モノを考えてしまってる
んじゃないでしょうか

僕が出会った方達は
決して自分の事を不幸やとか不運とか
言いませんでした

確かに
内では
何を想っているのかは
僕には分かりません

しかし
少なくとも僕が出会ってきた方達を
不幸とか不運などと
思った事はありません

むしろ
彼、彼女達は
それらと向き合う事で
真の意味で自分という人間と向き合っていました

病気になってから
余計に元気に振る舞ってやろう!
と覚悟を決めた人もいますし

1つの経験値として捉えて
前を向いてる人も

逆に家族や友人の有難さに気づけて
よかったと捉える人も

感謝する時間が増えたと回答した人も

いましたね

そう。
改めて
すべては我々が決めることです

この世に本当に
不幸なんてあるのですか?

本当に不運なんてあるのですか?

それって…
一体…

誰がそう決めたのですか?


不思議です。
誰がそんな事を勝手な想像で決めつけてしまうのでしょう

たまに美術館とか行った時に
解説文にゾッとする時があります

この作者は
この絵を描いた時は病に伏していたので
悲壮感が漂う作品となっています

え??
なにこの思考操作?(゜゜)

まるで
病に伏した人が
必ず悲壮感をもつような言い方ですが
そんな事はないですよ

 自分の価値基準なんかで
他人の心を判断しちゃいけませんよね

病に伏したからって
その人間がどう処理するのかは
分からないでしょう

 我々は少しばかり
常識とか普通とかって言葉に
振り回されすぎている気がします

改めて
考える時です

不幸や不運やらに
共通なんて存在しない

ちなみに僕も
たとえ不幸な出来事のような事が起きても
それを幸福やと処理する事ができます

不運のような出来事であっても
それを稀有な経験値として
幸福にもってく事ができます

そうなんですよ

世の中に実は
不幸も不運も
そんなもん
存在しないんです

あまりにも
メディアやら本やらYouTubeやら
あちこちで
創り上げてきたファンタジーに
操作させすぎてる

そもそも
いったい何が不幸なのか

それって
誰かと比べただけの
短絡的な思考なんじゃないか

と考えます

癌で余命3ヶ月と告知された
当時24歳の子がいました

その子はその余命を宣告されてから

人間はいつ死ぬか分からない中で
自分はそれがある程度分かってる
やからこそこの3ヶ月
自分と関わってくれた人に
ちゃんとお礼が言えるから
ありがたい

とね。

今でもハッキリ
このセリフは覚えてます

強がりなんかではなかったと感じました
ハッキリと力強くそう言いましたね

すべての出来事を
最後に判断するのは自分自身しか
あり得ないのです

例え
余命3ヶ月と宣告されたとしても
それをどう処理するのか?
は必ず自分自身なのです

今日も
みなさんには
色々な出来事があった1日やったでしょう

そのすべての出来事を
どのように処理してますか?

その処理こそ
あなた。なんです

不幸な人は、
何が起こっても何が不幸なのかと考える事でしょう

幸福な人は、
何が起こっても何が幸福なのかを考える事でしょう

そしてそのさらに先は
不幸や幸福なんてのは
他人が創造したファンタジーであることに
気づく事でしょう

1度すべてを疑ってください

不幸とか不運とか
幸福とか幸せとか

自分らが産まれた時には
もう存在してた
よくわからぬその概念を
まずは疑う事が
先達への敬意です





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