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当たり前がひっくり返る

昨年末に第二子となる次男が産まれた。

妻の入院から退院までは僕と2歳の長男で、そこから年始までは妻も含めて妻の実家にお世話になっていた。

妻の退院までは、初めて長男と僕だけで寝ることになった。

これまで寝かしつけはかなり苦労していて、妻が妊娠中というのもあり、僕がいる時は30分から長いと1時間近く近所を抱っこ紐で徘徊し、寝入ったら帰宅する、という方法を取っていた。

どうしても布団に下ろす時や途中で起きてしまった時に妻がいないとギャン泣きしてしまうので、完全に僕だけで寝かしつけから朝を迎えるのは今回が初めてだった。

でも予想に反して長男はかなり素直に眠ってくれて、ほぼ苦労することは無かった。


僕も兄弟(兄)がおり、なんとなく兄弟というどうしようもない関係を理解しているつもりで、最初に産まれた者と、それに続いた者の気持ちが想像できる部分もある。

だから今はどちらかと言うと長男の、急に2番手になったその複雑な気持ちになんとか寄り添いたい気持ちでいた。

寝かしつけだって苦労してもいいし、妻に甘えられない分はしっかり甘えてさせたいと思っていた。

その分なんとも聞き分けが良くって拍子抜けしてしまったのだ。

今ようやく妻と次男も帰ってきて、自宅での生活が始まって、いわゆる「赤ちゃん帰り」が発動し始めている気がするけど。

たぶんこんな風に、分かっているようで分かっていないことがこれからたくさん起こって、その度に彼らのためのベストかベターな対処を考えて、やっていくしかないんだろう。


でも、この年末年始に長男と多くの時間を過ごしたからだろうか、正直なところこんな考えももうどうでも良いやと思う瞬間がある。

ずっとこのままで、家では好きな電車や新幹線のおもちゃで遊んで、公園ではすべり台ばっかり滑って、まだ他のお友達に順番を譲ってあげられないけど、もうそのままでいいのにって、ホントに思うことがある。

何の苦労も、悲しみも、一切彼(ら)には要らないと、たとえそれが成長のために用意されたものでも「必要ないです、僕が何とかしますから」って用意したそいつに言いたくなる。

でも落ち着いて考えたらそんな訳ないよなって、僕がいつまでも見てらんないよなって、馬鹿みたいに当たり前のことにまた気付く。

同時に、だから親って仕事頑張るのかなって、子供をより良く育てたいって思うのかなって。

何とか彼らと生きる今の暮らしや社会を良くしたいと思うし、彼らの時代にもそうであってもらいたいから何かを残そうとするし、その時に彼ら自身でもそれが実現出来るように力を備えさせる。

また分かったようなことを書いてしまってるから、こんなのもすぐにひっくり返るのかもしれないけど。というかほとんどの人が分かっていることなのかもしれないけど。

これまで当たり前に思っていたことが、実は何にも知らなかった。何も分かっていなかった。いつもいつもそんな風に気付かされる。

子供が生まれたって急に景色が新しく変わったりしない。

今までの当たり前がひっくり返っていくだけだ。僕の場合だけど。




読んでくださって、ありがとうございました。

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