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筆談

「筆談」って聞いたことありますか?聞いてすぐに思い浮かぶのは、聴覚障害のある方が、手話の通じない相手とコミュニケーションをとるために紙と鉛筆を使ってやりとりする場面ではないでしょうか。                

 ここでいう「筆談」とは、知的障害や身体障害によって自分一人では鉛筆を握れない人の手を支えることで、その人達の思いを書いて表現することができる支援法の一つをいいます。

傍から見ると、人によっては「オカルトか?」と表現される方も多いです。私も初めて見たときはそう思いました。申し訳ないけれど、口から出るのは単語ばかりで文章にもなっていない人が、そんな文章を書けるわけがない。これは支援者が書かせているに違いない。そう信じて疑いませんでした。

けれども何度かそうした研修に参加するうちに、これは嘘ではない、と思えるようになりました。書いて表現されてたものを代読してもらっているときの本人たちの表情がそれを語っていました。また、支援者は知っているはずもない、本人達にしか知る故もない情報が、そこに記されていました。

ではなぜ支援者と一緒ならば文章にできるのか?その答えは自信のなさでした。知的障害者を例にすると、この競争社会のなかで、誰もが人より一歩でも二歩でも先を行こうとしのぎを削っているなかで、自分の努力だけではどうにもならない能力の限界を嫌というほど味わってきている彼ら。健常者と比べるとどうしてもできないことの方が多い現実の前に、自分を表現することへの大きな不安があります。だからそこに支援者の支えがあると、安心して自分の内側を表現することができるようになるのです。

そんな素敵な支援法である「筆談」。では誰でもできるのかというと、決して簡単ではありません。たまーにあれれ?という間に書ける人もいますが、それは稀です。多くの人は「筆談研修」なるものに参加して、実際に筆談をされる障がい者と支援者に手取り足取りの指導を重ねて頂き、少しづつ進歩していくのです。

私の先生は、筆談は自転車に乗るのと同じこと、と言われます。つまり最初は転んでばかりで一向に前に進まなくても、一度一人で前に進めるようになれれば、もう大丈夫です。出来るようになってます。

人によって進み具合はまちまちですが、私は、あの人としょーもないおしゃべりができたら楽しいなぁ、と想いを馳せながら、日々研鑽する今日この頃です。

このような「筆談」に関心あるかた、いつでもご連絡ください。研修の場の情報提供をさせていただきます。






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