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体験学習サイクルの課題と展望

体験学習を考える上での課題をまとめる。
体験からどのように学ぶのかの続き。

PDCA:行動(外面)
OODA:反応(側面)
ELC:学習(内面)

全ての円環的活動は同時に起こっている。
過去→現在→未来→現在…の流れは全て同じ。

それぞれでカイゼンできる部分が異なる。
つまるところはどの視点で捉えるか。

今回の課題はどの円環的描写でも共通の内容となる。

①どの年齢でも適用できるのか

言語や時間の理解ができなければ振り返りはできない。
少なくとも2歳まではELCという流れを意識的に扱うことは不可能であるということだろう。またその先にある一般化についても、少ない語彙力では深層にたどり着くことはない。
つまり、ELCは子供にとってはまだ扱うことのできない代物となる。仮に仕組みとして成り立っていたとしても、自ら気づくことは難しいだろう。脳の発達から考えても、左右の脳機能を統合する脳梁の完成は19歳ごろでもあり、感情と思考の統合と分離が求められるELCを意図的に扱うことが可能となるのも同時期だろう。成人が20歳付近であることも関連が考えられる。

体験:誕生前後から

一般化:19歳前後で可能に

体験を起点に一般化へ向けて、適用・一般化それぞれ両サイドから
発達とともに扱うことのできる範囲が広がる

一点から始まり、左右それぞれで発達し、統合する。ELC含むサイクルの発達は脳の発達と非常に似ている。30歳頃までの前頭前野含む脳全体の発達についても、一般化がより深層へと到達するために求められる能力を支えている。

②性格や特性は関与するのか

性格が体験学習に影響を及ぼす可能性は十分に考えられるが、そもそも性格そのものが流動的なものであり、ELCに対してはその瞬間の特性の変化や気分として捉えたほうが理解しやすい。

体験は感情と出来事が結びついたものであり、振り返りによって感情と出来事を分離する。一般化においては、感情も出来事(事実)の一つとして捉えられるようになる。
オリジナルのELCにおいても、体験は「感情」、対極の一般化は「思考」と捉えられているところもあり、これについては性格分類の特性と一致する。

一方で、その感情と思考を往還する「振り返り」および「試行」については、アウトプットインプットの入り組む部分でもあり、性格と一致させることは難しい。
例えば、振り返りは「過去」を検討する工程、「試行」は未来を検討する工程といった形で、感情や出来事そのものをどのように捉えるのか、という視点のほうが考えやすい。

この二視点×二視点で生まれる四象限の定義によって、ELCにおける得手不得手、ひいては特性やクセといったものに繋げることもできるだろう。コルブの体験学習モデルはその点についても語られている。


③成長のスパイラルを区分けできるのか


サイクル論は、その変化をスパイラル状に図示することで成長をあらわすことが多い。しかしながら、その縦軸の区分けについて語られることは少ない。

立体で図示しながらも、その成長の先が分からないということは不可思議なことだ。未だに体験学習の指導者は、次の成長段階が分からない状態で暗中模索の活動を続けているのだろうか。少なくとも、大人になるまでの発達は明確であり、その変化は知っておくべきであろう。

色分けについては発達段階の諸相を参照

スパイラルを上からみたとき、渦巻きが広がっていくように成長を捉えることができる。それはCゾーンの広がりと考えることができる。またその場合、ストレッチゾーンの範囲で次のサイクルが回っていくという動きが予測される。

次の図は、意識の発達段階における色分けを記入したCゾーンのシートとなる。現在地を知ることによって、次の段階への成長を促すための指針となりえる。


④回すコツはあるのか

うまく回らないパターンに陥らなければ、サイクルは自然と動く。
「スランプ」は、サイクルがうまく回らない状態といえる。
そうなるとサイクルはスパイラルを描かず、Cゾーンの拡張も停滞、場合によっては退行する。

体験の同じような点にしか気づきを向けていない
過去の失敗に囚われると恐怖に支配され、安全を保つために過去を繰り返すこととなる。そうなると、新しい挑戦はできなくなり、視点も含めて変化のない体験を繰り返すこととなる。

結論ありきの振り返りをしている
新しい体験を迎え入れる状況にも関わらず、過去のパターンを前提に振り返りを行うと、変化に気付けないことが多い。振り返りにおいては、開放的な視点の持ち方が重要となる。
逆に、目的に応じた教育手法として体験を扱う場合は、結論ありきで進めるほうが効果的でもある。この場合は、指導者が変化を示唆することが求められる。

知識不足または過度の一般化に陥っている
新しい体験に気付いたものの、知識不足によりそれを言語化できないことがある。言語化できないということは、無意識下で一般化が進み、経験としては得られるものの、知識としては活用することができない。
また、体験の一部分にだけこだわってしまうと、体験全体を吟味できずに偏りのある「過度の一般化」に陥る。特に得意分野や専門分野を持つ場合には注意が必要となる。

心的エネルギーが枯渇している
気づきを向けるという行為そのものにエネルギーが求められる。それが枯渇している場合、十分な振り返りを行うことはできない。うまくいかない理由の多くはここに起因しており、急いて体験や活動を求めすぎた結果、内的な処理のための休息が不十分となる。


⑤システム全体はどのようになっているのか

仮に一つのサイクルの動きが理解できたとしても、実際の学習はそれほど単純なものでもない。実際はおそらく、複数のサイクルが歯車のように嚙み合っているだろう。他のサイクルによる干渉もあるため、たとえ一つのサイクルであってもその動きを予測することは難しい。
ZPDなどで、個人では到達できない学習レベルで機能することを考えると、体験学習サイクルは個人の中だけでなく、他者のサイクルともシステムを構成する可能性も考えられる。


体験学習サイクルは、常に回り続けているからこそ、自身のそれに気づくことが難しい。他者のサイクルをみえるようになるためにも、日常から自身のサイクルに気づくための訓練が必要となる。