めちゃくちゃ元気な祖父の遺影を撮った話

2021.9.15の日記を記録しておくもの

まず最初に、祖父は存命だ(2021.9.9現在)。死ぬ予定もない。ピンピンしている。

祖父を遺影を撮ったのは去年で、もちろんピンピンしていた。強いて言うなら、5年前よりは大人しくなったなと誰から目線で思う。わたしの大好きな祖父。

5年くらい前から、認知症が進行している。ゆっくりゆっくり、けれど着実に。車が大好きで、乗ることはもちろん、いじることも好きで、仕事にまでした祖父。高速でスピードを出しまくって一発免停、自宅から遠く離れた場所まで娘に迎えにきてもらった、馬鹿な祖父。還暦を過ぎて買い替えたBMWのオープンカーに孫を乗せ、懲りずにスポードを出して孫にキレられる祖父。

祖父と言えば車で、車と言えば祖父。切っても切れない関係のふたつは、認知症という、もうこればっかりは仕方ない、あらがえないものによって引き裂かれてしまった。さながらロミオとジュリエット。祖父はもう運転できない。

祖父も祖父のBMWもかっこいいから、なんとか形に残したかった。なくなっちゃうなんていやだ。駄々っ子みたいな気持ちで、SONYの一眼レフカメラを引っ張り出す。SDに残っていた写真はブレていたり、ボケていたり、ひどいものだ。笑ってしまう。
腕はない。でも、撮るしかないと思った。

2020年10月。緊急事態宣言が解けてしばらく経ち、わたしと祖父の居住地それぞれの感染状況が落ち着いたころ。わたしはカメラと共に新幹線に乗りこんだ。

空いた車内で考えていたのは、祖父をどう説得しようかということだった。いきなり「BMWといっしょに写真撮るで〜」なんて言って、素直に頷くはずがない。祖父はプライドが高く、美意識も高かった。黒々とした自慢の髪は年相応のグレイヘアーになり、筋骨隆々だった体型はすこしぽっちゃりしている。着替えるのも億劫らしく、家にいるときはいつもくたびれた白いステテコ姿だ。なんとかしてかつての姿に戻さなければ、写真に映りたいと思ってもらえない。どうしよう。

答えが出ないまま、新幹線はぐんぐん走る。シンカンセンスゴイカタイアイスも逃してしまった。悔しいから551のアイスキャンディーを買って帰ろうと気持ちを切り替え、「味は何がいい?」と祖母にメールをする。「甘いやつがいい」全部甘いわ。

「そのカメラ何、どうしたん」
最寄り駅にはおしゃべりの伯母が迎えに来てくれた。少し前までは祖父の役目だったのを思い出し、目の奥がぎゅっとなる。
「祖父の写真撮ろう思って」「遺影?」
なるほど、確かに。言われてみれば遺影になるのかもしれない。写真なんてしばらく撮っていない祖父だ。なるほど。遺影。急にカメラがずっしりと重くなる。
「縁起でもない」

遅かれ早かれ、人間いつかは迎える日のことだ。ひとまず祭壇に飾られる様子を想像してみる。遺影らしからぬめちゃくちゃキマった写真だったら、参列したひとに祖父らしいと笑ってもらえるかも。それは結構、かなり良い。

古い家にありがちな、急すぎる階段をのぼる。スーツケースをぶつけないように、祖父を驚かせないように慎重に、昭和ガラスが嵌まった扉を引く。
「ただいまあ」「おかえり」

出会い頭に孫の肩に腕を回して「大きなったな!」と大口開けて笑っていた祖父が、椅子に座ったまま「よう来た」と微笑む。借りてきた猫より大人しい。立ち上がるだけの動きも緩慢で、歳をとったなあと思う。縮んだのか、私の背が伸びたのか、祖父は次第にちいさくなっていく。

物心ついたころから社会人になるまでずっと若くて、やんちゃで、何人かいる孫と並べても祖父がいちばんの悪ガキだった。
「60過ぎたら若返っていくねんで。知らんのか?だから今年で54や」
そんな感じで歳を重ねるのを勝手にやめていた祖父も、ようやく年相応になってきたんだなあとしみじみする。


ここまでを2021.9.15に書いていて、以降は2024.1.19に思い出しながら書いている。どうして書き留めておかなかったんだろうと、大きな後悔に苛まれながら。産後でぐらつく脳を叱咤して、記憶の糸をたぐりよせながら。


そう、その日も祖父は白いステテコ姿だった。まだこのときは、青い作業着を羽織っていたはずだ。それでも一張羅とは言い難い格好で、髪には寝癖がついていたし、再び椅子に座ると、立ち上がろうとする気配すらない。

写真を撮るから、着替えてや。と、けしかけたのは私だった。
そしてかなり渋っていた。祖母や伯母の助けもあって、なんとか椅子から立ち上がらせ、身支度を整えさせることに成功した。
この日、久しぶりに鏡に向かう祖父を見た。昔は毎朝鏡に向かって大きなブラシと苦手な香りのオイルで髪をビシッと決めていたのになあと、感慨深くなったのを覚えている。

祖父は、薄いグレートーンのチェックのシャツ、薄手の黒いニットベスト、濃いグレーのスラックス、黒い革靴という落ち着いた装いを選んだ。
ぽちゃっとしたお腹は隠せていなくて、お世辞にもビシッとはしていない。(もっとかっこいいのあったのに)と少ししょんぼりした。
でも今思うと、自分で選んで、自分で着替えてくれたのだから、百点満点だったと思う。百点でも足りないかも。さすが祖父、この期に及んでオシャレだったし。

祖父と、運転要員の母と、私の三人でガレージへ向かう。銀色のシートを祖父が慎重な手つきで剥がすと、黒のBMWが現れた。きっと祖父も、愛車を見るのは久しぶりだったんだと思う。まじまじと見つめていた。
その車を母が運転して家の前へつける。祖父を車の隣へ立たせて、準備完了だ。

1枚目、祖父は運転席側の扉に肘をかけて、さながらモデルのようなポージングを見せた。もちろんドヤ顔。
2枚目、片手をポケットに突っ込んだ。まだドヤ顔。

祖父は、自称二枚目で、いやもちろん孫に見せる姿とそれ以外の姿では雲泥の差なのだろうけれど、過去の武勇伝を聞いていても二枚目なのかもしれないと思う気持ちもあるけれど、孫の私から言わせればどう考えたって三枚目だ。
私はわざわざこんな顔を撮りにきたんじゃない(ドヤ顔ももちろん最高だけれど)。 

なんとか笑顔を納めたくて、今度は私が道化を演じた。いいですね〜、かっこいいですよ!等とおだてたり、したんだと思う。
そのとき、何かが祖父のツボに入った。シャッターを切る。
なにか言いたげな、いつもの祖父の悪い笑顔だ。
笑わせる。祖父が笑う。撮る。

運転席に座ってもらう。ハンドルを撫でる手が優しく、懐かしんでいるようだった。
ポージングは、顎に手を置いて渋い表情。……本当に二枚目だったのかも。
もちろんここでも笑わせて、自然な表情を撮る。リラックスした笑顔で、空を見上げている。

何枚も何枚も撮ったけれど、撮影時間は20分足らずだったように思う。もうええか、と切り上げたのは祖父だった。母が運転して、祖父が車庫入れの指示を出す。こっそり撮った写真には、後頭部の寝癖がばっちり写っている。

そして、最後の一枚が、この日最高の一枚となった。
家へ戻るとき、振り返った祖父を収めた写真。どうしてこんなにも笑っているのか、思い出したくても思い出せない。きっと私も笑っていたんだと思う。祖父が、この日一番の笑顔を見せている。


2024.1.19現在、祖父は生きている。
けれど大きな病気が見つかってしまい、現在入院している。BMWのあった家へ戻ってこられるかは、分からない。

祖父は夜眠るとき、子守唄代わりにバラエティ番組をつけていた。夜通しずっと。消すと起きてしまうから、祖母も私も迷惑していた。
病院では消灯時間以降はテレビをつけられないから、祖父がちゃんと眠れているか、遠く離れた場所にいる孫はそんなことが心配で、夜眠れずにいる。

あの日撮った写真の出番は、まだまだずっと先がいい。

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