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すすむ、進む。

昔、タイに9カ月間住んでいたことがある。23歳の頃だった。あの時はビザやら住むところやら、食べ物やら、はたまたビザの延長申請やら、もちろん言葉も通じないし本当に色々大変で、でもありとあらゆることが新鮮だった。そして、帰国してからは浦島太郎状態となり、同年代の友達はほとんど遠くに引っ越していってしまった。少し歳の離れた仲の良かった人たちも、9カ月の間が空くと、何か理由もなしに遊ぼうという気が全くなくなってしまった。多分、寂しさゆえに何となく参加していたコミュニティもあったのだろう。更に、好きなものは一人で楽しみたいという気持ちが増してきたものだから、その相乗効果もあって、僕はその時期から一人で過ごすことが多くなった。休日は特にそうだ。一人で暇を持て余して何気なく地図を見ていた時、品川駅周辺に緑色で塗られたエリアに目が留まった。緑色は、公園や広場などを示す色である。「浜離宮恩賜庭園(はまりきゅうおんしていえん)」という文字が見えた。そのとき、僕の頭の中で何かが起こり、『この場所に行きたい』と唐突に思い、ほぼ無意識に総武線快速に乗って向かった。(もし意識が働いていたら、『いや、でも遠いしな、、、洗濯物したあとで行こうかな、、、』とか考えてしまいそれだけで日が暮れる。けど、その時はそうではなかった。)そこから今に至るまで、僕は東京の庭園を巡り続けている。東京は有名な庭園がまとまって点在しているから便利だ。地方では庭園は各地域に一個だけとかなので...。庭園というものは本当に心が綺麗になれるところだ。無意識に心が綺麗になれるものを探しているんだと思う。他にも、ずっと休日など朝から晩まで一人で過ごしていると、会話もしないし少々気が狂いそうになる(本当に少々かは誰にも分からない)そこで、もうなんでもいいからランニングでもしてみるぞと、冬、日の入りが早くなり真っ暗になった夜に、偶然持っていた運動靴を履いてアパートから飛び出した。普段ランニングしない人にとっては、ランニングという行為自体に恥ずかしさを感じてしまう。だから、夜という人目につかない時間で良かった。その時は、線路の近くに住んでいたから隣駅まで走った。風は冷たく、人気の無い道に街灯は途切れ途切れで、たまに真っ暗闇があり、目下には時々電車が走り、たまに踏切を横切った。月の下を駆け抜けた。冬特有の空気の澄み方で、息も吸いやすく自分の呼吸音がよく聞こえた。帰ってから浴びた熱いシャワーで、久々に生きている気持ちがしたことを覚えている。そこから定期的にランニングをすることになった。今でも、休日に家の中で一日中過ごしていると、やはり少々気が狂いそうになるので、そういう時は一目散に走り出すことにしている。なお、少々という程度で合っているのかは、誰にも分からない。
数年前、仕事の関係で引っ越さなければならなかった。引っ越し先の近くには市営プールがあった。僕は泳ぐことができる。なぜなら昔、スイミングスクールに通っていたからだ。そのスクールは、泳ぎが上手くなるにつれて帽子のワッペンの色や、帽子の色が変わる階級制をとっていた。初級・ 中級・上級とあり、僕は上級の中で上から二番目の階級まで上り詰めたのだが、その一個上に行くことが出来なかった。半年に一回、昇級試験があり、規定のタイムより早く泳ぐことができれば昇格だった。でも、あと数秒のタイムで毎回昇級できず、やっとそのタイムを越したかと思いきや、年齢が上がるとタイムは更にキツくなるという制限により、結局最後まで合格することができなかった。と、そんなわけで泳げないこともないし、運動は案外気持ちいいということが分かっていたので通ってみることにした。子供の頃の癖からか、できるだけ速く泳ごうという気持ちでストイックに泳いでいた。でも内心楽しくなかったのだろう、しばらくして行かなくなってしまった。昨今のウイルス騒動もあり、プールもしばらく閉鎖されてしまっていたようだ。でも、徐々に再開し始めたので、久しぶりに行ってみるかという気持ちになった。少し間を置いたからか、今度はできるだけゆっくり長く泳いでみようという気持ちになった。腕はできるだけゆっくり、チンタラと、後ろの人も気にしないで泳いでみた。すると、今まで見えなかったことが色々と見えてきた。速く泳ごうとしていた時には気づかなかった。腕をどれだけ動かしたらどれくらい進むとか、ゆっくり流れるプールの底のタイルだとか。。。プールから上がると毎回悩みは吹き飛んで頭の中はさっぱりリセットされている。僕の頭の中には方位磁針というかコンパスが何十個もたくさん並べられていて、悩み過ぎるとそのコンパスがそれぞれ色んな方向に回り始めてしまい、あっちへ行ったりこっちへ行ったり、ぐるぐるしてしまう。でも、磁石を近くに持ってきたら、全部の方向が一つに揃い、さっぱり整然とする。そんな現象が頭の中で起きている気がする。
最近は、もっとゆっくり流れる景色を見たいと思い、度付きの水中ゴーグルをつけている。度付きゴーグルをつけると水の透明度合いもよく見えるようになる。手で掻いた水の波動もよく見えるようになる。遠くのレーンで泳ぐ、僕を追い越して行く人の脚をかき分ける白い飛沫や泡もよく見える。とても静かな、薄くて青くて明るい世界で、スキューバダイビングをしているかの如くそれらを観察する。自分の呼吸の音が聞こえる。時が止まっている感じがする。手で水を掻いた分だけゆっくり進む、進む。そんな綺麗な光景が、ほんの少しの発想でどんどん手に入れることができる。そんな素敵な世界を、僕は探し続けている。


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