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無意識的な行動のクオリティを上げた方が良いかも説

こんにちは。

今日は「無意識的な行動のクオリティを上げた方が良いかも説」というテーマについてお話したいと思います。

世の中にはすごい人が多いなぁと常々思うのですが、そういう人を見ていてふと「無意識にする行動の質が高い」ことに気づきました。

一般的には、優秀な人は何事も順序立てて考え、必要なことを必要なタイミングで行うために入念な思考と準備をして行動している、と思われたりしているので、彼らの無意識にする行動の質について言われてもピンとこないかもしれません。

もちろん優秀な人が思考を巡らせて、適切な行動を取っているのはその通りだと思いますが、彼らのインタビューや発言などを見ると、至って普通のことを言っていたりします。例を挙げると、礼儀・礼節に気をつける、相手の立場に立って考える、良く寝て良く運動する、感謝を忘れない、返事は早く、わからないことをわからないと言う等、当たり前で面白みもないことが成功の秘訣だと主張します。

また、「ダメな人=非合理的」ということでも無いように思います。例えば仕事ができない人もそれなりに合理的だったりします。ただ、そういう人の合理性は、視野が狭かったり、目先の時間軸しか見えてなかったり、全体最適になっていない中での合理性なので、周囲の人からセンスが悪く映ったりしてしまうケースがありますよね。

そこで思うのは、優秀な人は「洗練された無駄のない行動をする"思考"(意識的な行動)」にその理由があると判断されがちですが、実際には「無意識的な行動」が秀でているのではないか、という仮説です。

というのも、ほとんどの人が日常の大半をあまり深く考えずに、無意識的に行動していたりするのではないかと思うからです。もちろん、平凡な私はほぼ何も考えずに毎日生活しています。

で、仕事において一例を挙げると、必要な情報を得て適切な判断をできる人は優秀だったりしますが、そもそも適切な判断をできるだけの必要な情報がその人に集まっていること自体が素晴らしいことで、これは周囲との人間関係や日々のコミュニケーションが起点となっていたりします。

これをもっと具体的に言えば、毎日気持ち良く挨拶しているとか、年齢役職関係なく教えてほしいと頭を下げることができるとか、誰かに助けてもらったら笑顔で感謝を伝えるとか、誰でもできることが積み重なって最終的なアウトプットや評価に繋がっているケースは少なく無いように思います。

つまり、秀でた判断の根底にあるのは、日々の当たり前の行動の質の高さだったりするのかな、と思います。

そして面白いのは、優秀な人もダメな人も、普段の行動については、みんな思考を巡らせている訳ではないという点ですね。

そう考えると、優秀な人になろうと思ったら「無意識的な行動」を鍛えていくことに時間とパワーを使うことが、もっとも投資効果の高い戦略の一つかもしれません。

その無意識的な行動のクオリティをあげるために、上司やメンターがいた方が良いかもしれませんし、色々な情報に無意識にリーチするチャンスや仕組みを意識的に作った方が良いかもしれません。さも涼しい顔して膨大な量の仕事をこなしている人の何気ない仕草や言葉づかいを注意して観察したり、Twitterで興味のないジャンルのニュースをフォローしてみたりするイメージですね。

世の中にもみなさんの周囲にもすばらしく優秀な方々がいらっしゃると思いますが、彼ら・彼女らが無意識的に行なっているアクション・作業に注目してみると良い発見があるかもしれません。

お読み頂いてありがとうございました。

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