2024/4/21 人生最後のワーホリを終えて

色々な記憶が新鮮なうちに纏めてみます。

7月 クライストチャーチ着
まずゼロからスタートのダンジョンが始まる
銀行開通、家探し、仕事探し、友達作り、一人で過ごす真冬の誕生日。
思えば7月は久々の海外生活に浮き足立っていたし、友達はいなかったけど毎日新鮮な気持ちで過ごしていた。
引越し先が中々見つからず、ドタキャンを数件立て続けにされる。

8月 ようやく引越しをし、フラットメイトと共同生活。フラットメイトには生活面でも精神面でもかなり助けてもらった。
毎日レジュメ見直し、職探しの日々。カフェに死ぬほど履歴書を送り、面接を何件か受けるも全て断られ段々心が折れてくる。とりあえず毎日シティの図書館。拾ってもらった歯医者で勤務開始

9月 歯医者で大問題が発生、(ドクターがヤバい奴だった)1ヶ月で辞める。また仕事探しゼロから
お寿司屋さんでパートタイムで仕事をするが、中国人経営のスパルタ寿司屋で早々にメンタルが死ぬ。私以外全員中国人で誰も味方はおらず、出勤日は脅え帰りバスで泣くこともあった。

9月〜10月 バリスタスクールに通う
スキルを身につけないと仕事が見つからないしコーヒーのスキルを身につけたかったのでスクールに通うことを決意(中には職場でマシーンの使い方教えてくれる所もあるようだが、私は出会えなかった)。
先生が凄く優しくて不器用な私にいつも付きっきりで居残りしてくれることもあった。ここで仲間もできて通って良かったと思っている。

11月 カフェに履歴書を配り続けるが相変わらず連絡は全く来ない。経験が無くスクールに少し通ったくらいでは箸にも棒にもかからなかった。。
日本で購入し送ってもらった車が到着し、そのタイミングで都市移動を考える。もうこのままクライストチャーチにいる意味は無いのかなと。
カフェとレストランの面接が通り、🍣と3件掛け持ちするか都市移動するかで迷ったが勢いで都市移動を選んだ。
日本のエージェントを使ってダニーデンのホテルと面接、その一週間後に移動することとなった。

11月〜12月
ダニーデンでまた1からスタートとなるが、フルタイムで仕事がある状態でのスタートはかなりメンタル面が違かった。
殆どがKiwi、アイランダー、数名🇵🇭🇲🇾あと長くnzに住む🇯🇵スタッフが1名。言語の壁で中々うまくコミュニケーションがとれないことが多く悔しい思いをした。夜明けが来る前に起床し出勤する日々で疲れを感じたが毎日勉強をした。仲良くなったスタッフとパーティーをしたり、友達は多くなかったけれど車もあったので楽しく過ごしていた。コーヒーマシーンもあり、バリスタをすることができて目的を達成することもできた。

1月 失恋した。前のフラットメイトに恋をしていて、連絡を毎日とっていたのが急に無くなり心に穴が空いたようになる。車の中、仕事中(こっそり)、家、毎日毎日泣く日々。孤独感が強まり全てを捨てて日本に帰りたくなる。
気持ちを紛らわせる為にクイーンズタウンに弾丸で旅行に行き、景色の美しさと人混みの心地良さが私の救いになった。

2月 まだ失恋から抜け出せず、帰国したい気持ちが強まる中、中国留学の話が来る。全然乗り気では無かった。しかし次の目標を立ててから日本に帰りたい気持ちはあったので、中国行きを決心する。中国語の勉強が始まる。

3月 仕事→ジム→中国語オンライン授業 このルーティンが上手く回らず体調を崩す。授業のスピードと自分の脳がついていかず、苦労する。留学で控える面接に合わせ5月に完全帰国を決定し空港券やらの手配。

4月 退職の最終日に体調を崩す。腹部の激痛でエマージェンシーに駆け込む。ここでは丸一日かかり診断も薬も貰えず$2000(日本円20万円)を支払った。翌日が日曜日だった為堪えきれない痛みを唸りながら堪え、更に翌日月曜日に違うクリニックで診てもらう。🇲🇾人のおじさん先生だったが痛みを訴え、たくさん薬を出してくれた。その薬がよく効く(その数日後も電話をくれたりと、かなり良い先生だった)。翌日に慌ただしくダニーデンを後にする。クイーンズタウンに到着。愛車を売る、携帯番号の解約、銀行の解約(は日本からするけど)等々1つずつ片付けていき、終わりを実感する。

振り返ってみると、この一年弱は非常に苦かった。
楽しいことも沢山あったはずなのに、悲しい苦しい事がありすぎてそっちを先に思い出してしまう。
2月にクライストチャーチに短期滞在した時に、酷い裏切りに合い急に寝床を失ったり空港から自宅まで送ってくれるバスに取り残され真っ暗にされた車中で運転主に大声をあげたり、歴史に残るような悲劇がたくさんありすぎた笑

どうしても苦しい記憶は楽しい記憶を上書きしてしまうけれど、クライストチャーチでは優しい友達が沢山できた。
ダニーデンでは優しいお姉さん方に可愛がってもらった。
日本から来た同志からはそれぞれのバックグラウンドで刺激をたくさんもらった。
色々な場所に行った。素晴らしい景色を沢山見て、日本では信じられない距離数を運転した。
失恋した時は沢山泣いたが周りの人に沢山話を聞いてもらい、慰めてもらった。

私が離れることを寂しいと泣くお姉さんと抱き合いながら泣いたりもして、優しい人に囲まれ色々な人に支えてもらったなと思う。

人生で2回もしたワーホリはこれにて終了したけれど、これからも挑戦し続ける気持ちは忘れたくない。
コンフォートゾーンは自分を劣化させるから。
常に進化し続ける自分を私は応援し続けたい。

krntn🦙

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