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2021.7.1(木)人生の長期休み中に見えてきているものについて

反省するのはとても苦手だ。
「悩むのが趣味なの?」と言われるほどいつも何かに悩んでいる私ですが、反省することがとても苦手。
なぜなら「反省」は自分の非を認めなくてはならない行為だから。
「忠告」も「否定」に感じてしまう今日この頃。
前より過敏になってる気がする。多分世界が狭くなっているせいだと思う。

子供に優しくしたい。子供目線で話したい。
話しかけられたら腰を落として、視線を合わせて話を聞いてあげたい。
でも現実は常に時間に追われて、優しく接する暇なんてない。
子供の「あそぼ!」も苦手。楽しめない。
でも、あんなにお母さんしかいない!みたいな感じだった5歳児が、最近スッと私と心が離れている気がする。
話しかけてはくるけど、呼んでもこない。返事がない。
相応の成長な気もするし、諦めのような気もする。

体調不良に起因する療養という名目で、当面7月いっぱいまで仕事の休みをもらっている。
1ヶ月以上の長期休暇をもらってわかってきたことは、
「私は極度のめんどくさがりだが、やるべきことをさっさと片付けてしまう方が性に合っている」というド矛盾。
休みだから、と一日中漫画を読んだり、スマホをいじったりしていると(子供は保育園に行っているし、家事もそんなに差し迫っていなくても)、精神的に良くないことがわかってきた。
めんどくさくても、座ってしまいたくても、ある程度まで家事ややるべきことを先に進めておく方が、精神衛生上よく、かつ子供にも優しくできそうな気がする。
追い詰められてから積み上がったタスクをこなそうとするからこそ余裕がなく、子供にも優しくなれない気がしてきている。

さて、この「長期休み」という表記についてだが、思うところがあって、
「私は今わけあって仕事のシフトをお休みし、子供は9-17時で保育所にお願いしている」状態で、
ほぼ毎日フリーで過ごしている。
この状態をこの日記で「贅沢なことながら」と書こうとして、辞めた。
本当に贅沢なのか?と自問する。
他の死ぬほど忙しい人と比べてどうこう、ということが言いたいのではない。
他の人と比べるからおかしくなるのだ。

「妊娠し、出産後コロナでどこにも行けず、地元でない場所で誰にも頼れず、必死で2児を育ててきた。やっと子供が1歳になり、仕事復帰」

の間のどこに、母親が息をつける暇があるというのだろう。
母親っていうのは、そんなに、常に、必死で何かと向き合ってないといけないのか?
「あの人はもっと頑張ってる」「もっと大変な人はいる」というのをそろそろやめて、もう少し自分たちに優しくなろうよ。
一番大変な人に合わせてたら、そりゃ大変になるに決まってるよ。

母親の余裕は子供の笑顔に直結してると思ってる。
母親が体調不良で療養してる時にしか一人になれないなんて、そんなことあってはならないと思います。

✳︎これはあくまで私の日記です。
「違うよなぁ」と感じたら大人の対応でそのまま去っていただけると助かります。

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