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2021.3.27(土)さるかにばなしが教えてくれたこと

今日は趣味のオンライン定例会で、楽しかったけど正直もうすごく眠くて寝てしまいたいのだけど、今日あったことは書いておかないとだめだと思うので書いておく。
将来読み返したときに「そんなこともあったなぁ」と笑って読み返せていることを切に願う。
ちなみに今日お借りしている画像は「絶望」で検索してその中から選んだもの。
あんまり明るい気分ではない。

事の発端は寝かし付け時、私が選んだ絵本を読もうと思ったとき(寝かし付けの時に絵本を読むこと自体が次男が生まれてからは久しぶり)、5歳長男が「読んでもらいたい絵本がある!」と持ってきた「さるかにばなし」を読んだあと(最近は「合戦」と言わないんだって)。
「さるがかわいそう…」と言って涙ぐむ長男。
びっくりする私。

確かに、やられたからってやり返すのはよくないけど、でも、さる、間違ってるよね?ううん、かにがゆるしてあげればいいのに。それが一番いいかもしれないけど、でも、それだとかにがかわいそうじゃない?ううん、さるがかわいそう…。

とかなんとか本当に押し問答状態。私も「これって誘導尋問か?導き方は、落としどころはあってるのか?」と手探り。
一向に「さるがわるい」と認めない長男。

結局1時間くらい話し合った(?)結果、たしか、
「かにの友人たちはやり返さずにさるを諭せばよかった」という結論になった気がする。必死すぎて覚えてない。

そして本題はここではない。
最近、長男の「繊細さ」が増してきている気がしてならない。

長男は非常に怒られるのが苦手。相手が誰であろうと「怒っている」「不快である」というような空気を敏感に察知し、気を遣い、場を和ませようとする。そしていざ自分が怒られる段になると、「怒られている」という事実で身がすくみ、何を言われているのか理解できない。
そして最近本人から聞いた話だが、友達が怒られているのも耐えられないという。

最近「繊細すぎるひと」というのがクローズアップされ、私も少しだけ聞きかじっている。「症状」ではなく「気質」なのだということで、少し気が楽になった部分もあるが、正直、うちの長男もそうなのでは?と心配だった。
今回のさるかにばなしの件を受けて、1年後の小学校生活が不安でたまらない。

議論(?)が終わったあと彼は疲れ切ったようにすぐに寝てしまった。
隣の部屋では主人が一部始終を聞いていた。
どう思ったか聞くと「まじめだなぁと思った。子供だけじゃなくてふたりとも」と言われたが、じゃあ彼だったら何と言ったのか?聞くのを忘れた。

そしてそのままふたりでなんとなくダイニングテーブルに座り、ぽつぽつと話し出した。私たちはもともとかなり話し合う夫婦であるが、最近はゆっくり話す時間などまともに取っていなかったから、非常に久しぶりのことだった。
(そして私は育児に関して本当はもっとこういう時間を取りたいと思っている)

そしてそこで出たいくつもの結論として、

・5歳児に家族の調整代(しろ)としての役割を担わせすぎている

というものがあった。
これは私が最近つくづく感じていることだった。
それを主人と共有した感じである。

次男が生まれてからの彼の努力には涙ぐましいものがある。
わがままを言わず、家族の雰囲気の調整をし、どんなに次男にあれこれされても決して手を出さず、粛々と生きている。
しかし以前のような溌溂とした子供らしさは薄くなり、静かにひとりで遊んでいることが増えた。
常に次男に合わせ、次男の機嫌がいい時には家事を(または各々の精神的休憩を)効率よく合理的に回さねばならない私たち両親はこの1年、ほとんど長男に向き合ってこなかった。
土日には自分たちのやりたい予定を入れ(もちろん子供が喜ぶであろう!と計画した予定ばかりだったが本人が望んでいたかは謎)、頻回に休憩と称してスマホをいじり、自分たちに都合よくスケジュールを回していた。

こうして書くと親失格っぽいが、親は親なりに必死でやってきた。
本当に一息つく間もないぐらい1年間走り通した。
どちらの両親も頼れずに自分たちだけで必死に2児を育ててきた。

自分たちが倒れてしまっては元も子もないから、そこはシビアに見極めなければいけないが、予定の優先順位を決めること、「親だけがやりたいこと」を削る勇気を持つこと、なるべく!なるべく次男より長男を優先すること(これは先人がみんな言っているのに本当に難しい)。

現在、彼はおそらく無意識化で自分の評価をものすごく下げている。
いわゆる自己肯定感が下がっている。
にも関わらず私が「えらいね」「天才!」「すごいね」などと声掛けするものだから、歪んだ自己評価をしている感じがある。
見ていてとてもちぐはぐな感じがする。

次男が生まれる前の彼をもう思い出すことができない。
子育てをしていると、本当に前日のことを思い出せない。
無我夢中とはこういうことを言うのだ、と思っている。
(コントロールできることなんて本当にひとつもない。体当たりで毎日を過ごすだけだ)

育児書を読むのもやめる。
参考に読んでいるつもりだったが、いつの間にか教科書になっていて、そういう風にしないといけない、と思い込んでいた。
主人に言われて気が付いた。
(話し合いの最中に主人が言った余計な一言にカチンときて脱線して険悪なムードになったが、この話もそうだ。あいつは人が大切にしているものに対する余計な一言が多いんだ)
本を置いて、スマホの電源を切って、子供の目を見て、自分で、決めなければ。

そういう意味では大失敗の1年だったな、と思った。
が、これ以上は無理だったとも思う。
コロナで1度も実家に帰れず、よくやった。自分。
少なくとも家族は全員元気で、生きている。

明日からは2割増しくらいで長男を優先しようと主人と決めた。
(いきなり10割増しにするときっと続かないから)

両親はクタクタになってはいけない。と学んだのであった。

最後まで読んでいただきありがとうございます。サポートは大切に貯めさせていただき、「スーファミ以下のスペック」と主人に言われたマイPC買い換え資金とさせていただきます。