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この気持ちに名前なんてない



あることがきっかけで、発達障害のテストを受けた。
結論から言うと、ADHD寄りではあるが平均値に近い検査結果となった。

きっかけは、息子たち。
コロナ禍の間にすっかり不登校になってしまった。

次男がある日、自分は病気かもしれないと言い出して、心療内科を受診することになった。
そこで先生からの提案で、発達障害のテストを受けることになった。

小さい頃から感覚過敏の兆候があったけど、気にするほどではないと思ってた。

検査の結果は、ASD寄りのグレーゾーン。
ちょっとびっくりしたけど、納得がいく。

次男は口下手で、言葉に詰まりがち。
また、記憶力は良く、耳や目から情報を得ることが得意らしい。
そういった特性のデコボコがある事による生きづらさが出やすいでしょう、と告げられた。


幼稚園の2歳児クラスにいたころ、世界の国旗と国名を先生が教えてくれた。
次男は特に覚えがよくて、発表会のとき、先生が見せた国旗の国名を1番早く大きな声で答えていた。

「アンティグア・バーブーダ!」

まだタチツテトが上手に発音出来ない赤ちゃんみたいな見た目の次男が、私が見たことも聞いたこともない国名を、すらすらと答えるのでとても驚いたのを思い出した。


息子ほどではないかもしれないが、私も幼い頃から感覚過敏があり、気持ちを表現しようとするとどうしても言葉が詰まってしまう。
癇癪持ちで周りに当たり散らし、部屋が片付けられなかった。

もしかして、私も発達のデコボコがあるかもしれない。
そう思って、検査を受けることにしたのだった。

結果、発達障害とは診断されなかったけど、なんだか少しほっとした。
それは、今まで誰にも受け止めてもらえなかったこの感覚を、誰かに受け止めてもらえた安心感だった。

気持ちを話すことができない。という事を人に話した後から、なぜだか前よりも言葉が出ない事を気にしなくなった。

しかも、テストの結果では言語化力はわりと得意なほうに分類される点数らしい。
「もちろん状況によって変わってくると思いますが」と病院の先生。


では、私の話しずらさは一体なんなのだろう?
新たななぞが残った。

それとともに、もしかしたら練習次第で話す事が上手になるかもしれないという、ほのかな希望を感じている。

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