飯田未和『姥捨』「mon」Vol.17 (付・小説同人誌monについて(追記))

 さまざまな家族のあり方をはじめ、個人の倫理観や生活の価値観が、国家によって規定されてしまって、その規定のされ方も、偏った理由であるけれども、国家にとってかなり逼迫性を伴っていることでもあるので、多くの人々がそのことに異を唱える事ができないという社会。こうした中での、市井の人々の姿が描かれている。

 また、このようなある意味理不尽な制度であっても、なおそれらを積極的に活用したり、それに乗っかる形で、自らの生き方の正当性を与えようとする悲劇的な人々も描かれている。

 その理不尽な制度とは2つの法律。一つは「高齢者保護法」というもので、高齢者の権利制限による国家財政の救済を狙う。もう一つは「家族関係再構築法」とうもので、「あるべき家族」の実現を目的する。

 とはいえ作品からうかがう、これらの法律は、そのままでは現行憲法では制定不可能なので、直ちに今の日本では制定できない法律では・・・と最初の通読で不覚にも考えてしまった。

 しかし再読して、自分の読解力の浅さを反省することになった。というのもこれらの法律は、もうすでに現代の日本の人々の心の中で現実化しているのではないか・・・、そしてそれを、あえて明文化したとしたら、こうした法律になるのではないか・・・。そういうふうに考えるようになったからだ。

 タイトルが「姥捨」ということもあって、お年寄りが社会的な貢献ができなくなったり、一方的に負担をかける存在になったりすると、「山」に捨てられてしまう。けれども「山」という高齢者だけのコミュニティで、あらたな生きがいを獲得する。ということが、面前の展開ではある。そのため「あるべき家族」の実現を目指した、「家族関係再構築法」とそれに伴う人々の行動が、ややもするとサイドストーリー的に感じる。けれどもこの事のほうが、特に興味深いものになった。

 というのもこの法律は「子どもが増える」「子どもを育てるのに適した」環境を推進している。この規定は性別に関係なく適用されるはずだが、事実上女性が規定の対象になってしまう。これは今の日本を覆っている、表面的な男女の平等と、現実の社会の中での女性の立場が、その理念から乖離しているということを象徴している。それだけでなくて、このことが、たとえば、子どもを産んだ人とそうでない人のような、女性の分断も加速させることになる。そういう意味では、朝子はこの矛盾に埋没することになってしまう。

 逆に、清隆は、まさに法律を活用する形を取りつつ、自分の不貞を正当化し、結果的に女性の分断を利用する形となっている。にもかかわらず、このことに対し実乃里がはっきりと自分の考えを言えなかった場面で、捨て台詞のように「渡せるものは既に渡してある」と自分に言い聞かせることしかできないところがあった。私にとって、ここがクライマックス。この物語の中の世界の矛盾が、最高潮に達した瞬間だった。

 「山」は理想郷であるが、でも分断の「彼岸」でもある。そして姥捨とは、高齢者もふくめた、性的魅力、家事能力、出産能力、労働能力の欠落など、外部から規定された人間の価値についの貢献を、十分担えなくなってしまった人々の行き先であり、そういう意味で姥捨の対象はけっして高齢者だけのことではなく、社会からはずれてしまった人が、どこかに追いやられることとしての意味もあるのだろう。そういう意味では朝子も姥捨されてしまったのだ。

 だから「山」の生活がユートピアであっても、分断の「彼岸」であるという点。逆言えば、分断があって、はじめてユートピアが築けるという点。このことを、現実の日本に頭を切り替えた時に、見逃しがちな大きな視点を与えてくれるのだ。

 最後に子どもを育てる環境を整備するため作られた法律によって、保護されるべき樹も、翻弄されているところが描かれている。このこともぜひ付け加えておきたい。

 短い小説にも拘らず、登場人物についても個性はしっかりと与えられ、実乃里という一人の人間から、様々な立場の人を丁寧に描くことで、読者にそれらを超えた視点を与えてくれる。だから清隆や加藤も、実乃里と同じような苦悩を生きているだろうと、寄り添うことができ、彼らも広い意味での社会の被害者と考えるられるようになる。しかもそれはさり気ない。こうしたところから作者の技術力を強く感じる。

 しかしそれはなによりも、作者の様々な立場に人々に対する視野の広さと、登場人物すべての人間が持つ弱さへの優しい眼差しがあってこそだと、とても強く感じた。

レシート (2021-05-17 22_53_10) (3)

【「小説同人誌mon」について】(敬称略)
 小説同人誌monは関西に在住する「ロスジェネ世代」作家を中心とした文芸系同人誌である。同人のメンバーは10名(2021年3月現在)。代表者は飯田未和。
 飯田は2008年から大阪文学学校で文学を学んでいたが出産・育児がきっかけで「一年以上書けない時期が続」いたため、自ら他人を巻き込んだ上での締め切りという設定つくることで、書けない状況を打開しようと、おなじく大阪文学学校に在籍していた、浅井梨恵子、大梅健太郎、キンミカを声をかけ結成した。飯田の夢は同人から芥川賞受賞作家が生まれ、受賞後もmonで執筆をしてもらうこと。
 掲載される作品は同人の他、ゲストと呼ばれる同人以外の書き手の作品も掲載され、冊子が完成した後、外部参加も含めた合評会を開催しているのが大きな特徴。
 2013年の第2号に参加した島田奈穂子の作品「ナナフシ」が「三田文学」の「新同人雑誌評」2013年下半期ベスト3に選ばれた上に商業文芸誌「文學界」に転載され、monの知名度が上がった。
 
以下主な出来事は次のとおり。

 2012年
 10月、小説同人誌monは大阪文学学校出身の30代の4人で、飯田未和を中心として、浅井梨恵子、大梅健太郎、きん美香(第6号からキンミカ)によって創刊された。monという名称はフランス語の一人称に由来する。またこの創刊号でゲストの募集も告知される。この同人以外のゲストが参加することもmonの大きな特徴であり、この方針がmonの発展に寄与することになる。

 2013年
 4月、第2号この号にゲスト参加した島田奈穂子の「ナナフシ」が発表された。この作品は『文學界』2013年11月号に「同人雑誌優秀賞」として転載され、monの知名度を一気上げた(その後同作品は第八回神戸エルマール文学賞受賞)。
 またこの号以来、同人批評の紹介が始まった。
 
 10月、第3号から島田奈穂子が同人となった。

 2014年
 3月、大梅健太郎が第1回日経星新一賞に入選した。
 
 4月、第4号で大梅の第1回星新一賞入選の顛末記が「特別企画」として掲載された。
 
 10月、第5号で飯田未和が『彷徨える』が発表された。この作品は「ナナフシ」に引き続き第九回神戸エルマール文学賞を受賞し、monのレベル高さを見せつけた。
 また同号から森田哲司とタイトル画を担当していた森崎雅世が同人となった。
 ちなみにこの号の目次には原稿枚数が初めて表記されたが、次号から再び表記されなくなった。

 2015年
 4月、第6号では島田奈穂子がタイトル画も担当した。その島田の受賞式の様子などが伝えられ、同誌としての初めての「特集」となった。
 また中山文子の寄稿による同誌初めてのコラム「まちの切れ端」掲載された。
 ゲスト原稿募集の告知はこの号で最後となった。

 10月、第7号の飯田未和「眠れる森の王子様」が発表された。この作品は後に「朝顔の家」と改稿した上で第34回大阪女性文芸賞発表を受賞した。
 島田奈穂子「ペギーについて私たちが知っていること」が発表された。この作品は後に「文学2017」(日本文藝家協会編)に収録されることになった。
 内藤万博の寄稿によるものとして、同誌としては初めての詩「夢喰い」が掲載された。
 
 2016年
 4月、第8号にて「特集」として「彷徨える」神戸エルマール文学賞受賞の模様がが伝えれれた。

 10月、第9号で望月奈々(第10号から望月なな)による同誌初の評論「小説内空白における読者の存在」が掲載された。
 同人批評の紹介で対象となった作品のタイトル画の再掲載がはじまった。

 11月、飯田未和「朝顔の家」で第34回大阪女性文芸賞受賞

 2017年
 4月、第10号は記念号として、過去にゲスト参加した人もふくめた17名でタイトルにmonを入れた30枚程度の作品で共演するという快挙を成し遂げた。
 ゲストの水無うらら「君は檸檬が読めない」が発表された。この作品は「季刊文科」72号に転載された。
 この号で初めて金子奈々がタイトル画を担当し、以降同誌の常連となった。また濱島大輔は今号のみタイトル画を担当した。

 10月、第11号から望月ななが同人に加わった。創作以外に評論「大梅健太郎『ねがいひとつ』論」で初めて他の同人の評論が発表された。またこの号から望月が撮影した写真が掲載されるようになった。合評会などイベントを紹介する写真を除く作品の写真としては初めてとなった。
 飯田によりゲスト制の維持が確認された。
 
 2018年
 4月、第12号から今まで真っ白だった表紙が、和歌山の画家まつおのイラストが用いられようになった。
 短信欄において「懐かしのタイトル画シリーズ」がこの号と次号に掲載された。

 10月、第13号望月ななの「おしなべてまりか」が発表された。この作品はもともと第二十四回三田文学新人賞に応募した作品で、最終候補まで残ったものある。その際の選評も参考にし、改稿した上で発表した。公募した作品が掲載されるのは初めてである。この作品は2018年度全作家文芸時評賞を受賞した。
 この号に掲載されたコラム3編は、いずれも執筆者による写真あるいはイラストが誌面を飾った。
 また内藤万博が同人して加わった。
 代表で創刊以来すべての号に作品を掲載していた飯田未和の作品がなかったため皆勤の作家がいなくなった。
 とはいえ総ページ数として初めて200頁を記録した。

 2019年
 2月、望月ななが「炭酸の向こう」で、第二十五回三田文学新人賞受賞。

 3月(?)、飯田未和が神戸エルマール文学賞基金理事兼選考委員に着任。

 5月、望月ななが「おしばべてまりか」で、2018年度全作家文芸時評賞受賞。

 6月、第14号で望月の文学賞ダブル受賞の模様が伝えられた。
 また森崎雅世が経営する海外コミックス店オープンに合わせた企画物が2号に渡って掲載された。
 この号をもって創刊以来存在した見返しが最後になった。
 巻末に関西の同人などのTwitterアカウントが掲載された。
 第12号ゲスト参加の小副川栄一の訃報が伝えられた。

 12月、第15号ではキンミカの約160枚以上に渡る力作「チキンファット」が発表された。また同人の島田奈穂子が第6号以来久しぶりのタイトル画を担当した。
 関東在住、三田文学の片野朗延がゲスト参加した。
 
 2020年
 3月、第15号掲載の飯田未和「茄子を植える」が季刊文科に掲載された。

 8月、第16号で松嶋涼が同人加わり、その数は10名となった。またキンミカ「チキンファット」が第14回神戸エルマール文学賞佳作賞を受賞した。

2021年
 1月、三田文学No.144(2021年冬季号)新同人雑誌評で第16号掲載の高坂正澄「穴」ならびに内藤万博「ククル チチュン」が紹介された。

 3月、第17号で第15号に引き続き片野朗延がゲスト参加した。
 第15号掲載、キンミカ「チキンファット」の第14回神戸エルマール文学賞佳作賞授賞式の模様が伝えられた。
 また総ページ数が204となり過去最高を記録した。

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