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麗しき1984年デビュー組アイドルよ、永遠に…。

間もなく4月。旅立ちの季節です。春は新しい出会いの時でもありますね。

アイドル歌手全盛だった昭和の頃、毎年春には沢山の新人達がデビューしました。各プロダクション選りすぐりの女の子達が、横一線のゲートから一斉に芸能界のダートへと飛び出して行くのです。

小学生だった私は、月刊明星の付録の歌本「Young Song(通称ヤンソン)」に載った新顔達の写真を眺めながら、どの子が売れそうか?と生意気にも友人と予想したものです。そして暫くすれば、その殆どが生き残れずに跡形も無く消えていってしまうことを知り、芸能界とは苛酷な世界だと学びました。

今回は徹頭徹尾、昭和アイドル歌謡です。
今から40年前、1984(昭和59)年デビュー組の懐かしい女性アイドルたちです。メジャー、マイナー交えて振り返ります。少しの間、あの頃に戻りませんか?


3/3デビュー

田中久美 「スリリング」

キャッチフレーズ「きらめきEyeteen」

1967年生まれ、福岡県出身。第8回ホリプロスカウトキャラバンのグランプリ。そんなに売れた記憶はないですが、新人賞レースでよく見ました。同じ堀越高校に通う岡田有希子とは大親友だったそう。大きな事務所の期待を背負っただけに良質なデビュー曲ですね。
私の当時の印象、とにかく目がデカイ。3rd「少女の中の悪魔(デビル)」は覚えてます。高校卒業と共に86年にあっさりと引退。


3/21デビュー

渡辺桂子 「H-i-r-o-s-h-i」

キャッチフレーズ「お友達にしてくれませんか。」

1966年生まれ、大阪府出身。《スター誕生!》予選に出ている所をスカウトされデビュー。唇が厚く、私が友人と付けたあだ名が「タラコちゃん」(失礼)。新人賞レースにも顔を出しましたが、大映ドラマ《乳姉妹》など女優のイメージも強かった。急に見なくなりましたが、86年に失踪?してそのまま引退したという話。雑誌でヌードも見ました。2nd「赤道直下型の誘惑」も良かったです。


宇沙美ゆかり 「蒼い多感期」 

キャッチフレーズ「ときめきタイフーン」

1968年生まれ、沖縄県出身。前年にドラマ《みゆき》で主演デビュー。CMにも出てました。私の中のイチ推し。
歌も上手く、芝居も達者。ドラマ《不良少女とよばれて》《スケバン刑事》の主役オファーを事務所の諸事情で辞退したことは痛恨の極み。主演映画《V.マドンナ大戦争》でコケた後に、1986年にひっそりと引退。以降、一切マスコミには出て来ていません。
明るいキャラクターの人でした。売れてほしかった。彼女の5th「風のプリマドンナ」は名曲。実は私とは誕生日が同じ(4月2日)なんです。マーヴィン・ゲイ、レオン・ラッセル、忌野清志郎、伊藤咲子も。今なお不運な彼女にシンパシーを感じています…。

4/21デビュー

岡田有希子 「ファースト・デイト」

キャッチフレーズ「いつまでも、一緒にいてね。ステキの国からやって来たリトル・プリンセス」

1967年生まれ、愛知県出身。人形のような可憐なルックスで、正統派アイドルを地で行ったような存在でした。この年のレコ大最優秀新人賞を獲得。私が好きだったのは4th「二人だけのセレモニー」。
主演を務めた《禁じられたマリコ》というドラマは観てました。サンミュージックの先輩である松田聖子が作詞、坂本龍一が作曲した「くちびるNetwork」で初のオリコン1位を獲得。その直後の1986年4月8日に死去。マスコミの過熱報道もあり、そのニュースは社会現象になりました。
noteで音楽レビュー記事を書いていらっしゃる音楽の杜さんは、生前の岡田有希子の大ファン。当時ファンクラブに入ってコンサートにも行かれたそうで、毎年彼女の命日近くには愛情溢れる記事を投稿されています。ユッコファンは根強いです。


菊池桃子 「青春のいじわる」

キャッチフレーズ「It's Real Fresh 1000%」

1968年生まれ、東京都出身。この年の出世頭、岡田有希子と菊池桃子が同じデビュー日だったことに驚きます。
映画《パンツの穴》で主演デビュー。歌手としてもヒット曲を連発。《ザ・ベストテン》の常連でした。当時の私は桃子ファン。ユッコより屈託のない桃子の笑顔が好きでした。歌ってる時に見せる伏し目がちな表情にもキュンキュン♥ ラジオ番組《桃子とすこし夜ふかし》も愛聴。最終回は泣きました。
好きだった曲は「卒業」。大ヒットしたのに、今では「卒業」と言えば斉藤由貴。ちょっと寂しい気も…。


6/20デビュー

加藤香子 「偽名」

キャッチフレーズ「大胆したい」

1964年生まれ、東京都出身。第2回ミスマガジンで優勝。就職先を3ヶ月で退職して、翌年歌手デビューを果たした変り種。グラマーな体躯のために男性誌グラビアで話題。
中森明菜と同じレコード会社だったことで、性に積極的なツッパリ少女の路線で売り出される。デビュー曲「偽名」はまさしく明菜の亜流。2nd「勝手にさせて」も同路線。当時はこの手の「ニセ明菜」が氾濫しておりました。私はテレビで彼女が歌う姿を一度だけ観た記憶があります。
余談として、月刊明星にて、自身の手のひらにシャープペンの芯を刺した跡が残っていると話していたことを記しておきます。

6/21デビュー

松本友里 「過剰にオンリー・ユー」

キャッチフレーズ「情熱エンジェル」

1968年生まれ、東京都出身。父は新国劇の役者、母は元宝塚というサラブレッド。
私は彼女の名前を「ゆうり」と読むこと、八重歯、曲名くらいしか憶えていません。結構パンチのある声だったことにビックリ!
その後は女優に転身。彼女の名前を一躍有名にしたのが、俳優松平健との結婚。当時、このニュースを観て、久しぶりに彼女の名前を目にしました。が、5年後の2010年に他界。マスコミが色々と騒ぎ立てましたが、私は詮索する気は有りません。ただ残念です。

山本ゆかり 「私MAILUWA」

1968年生まれ、長崎県出身。研音主催のオーディションで優勝してデビュー。髪が短く、サバサバした感じが声にも出ていました。
デビュー曲はラジオでも良く流れて、
♪わ、た、し、まい〜るわ〜、のフレーズは実にキャッチー。中森明菜の事務所の妹分にあたり、以降は不良路線で売り出されていました。
コロナ禍で暇だった頃、何の気なしに彼女を調べたところ、現在は音楽活動とボイストレーナーを兼業。ライブハウスを中心にバンドで歌っており、アイドル時代の歌もやるというサービス精神の持ち主です。


8/28デビュー

少女隊 「FOREVER〜ギンガム・チェックstory〜」

キャッチコピー「胸騒ぎ、ザワ、ザワ、ザワ」

藍田美豊(ミホ)、安原麗子(レイコ)、市川三恵子(チーコ)による3人組。チーコが翌年に怪我で脱退して、引田天功の娘の引田智子(トモ)が加入。
テレビに出演しない方針だったのか、印象が薄いのですが、当時「一心同体、少女隊」というCMの台詞?は流行りました。デビュー曲はズバリ名曲。他とは一線を画す洋楽テイストが秀逸。作曲は都倉俊一。40億円掛けたアイドルと噂されただけに力が入ってます。
でも知名度の割に売れなかった。コンセプトが先を行き過ぎていたかも。寧ろ平成アイドルへの影響を感じます。


11/5デビュー

セイントフォー 「不思議Tokyoシンデレラ」

キャッチコピー「100%女の子のままデビュー!」

岩間沙織、浜田範子、鈴木幸恵、板谷祐三子の4人組。レオタード風の衣装に身を包み、歌の間にアクロバットなパフォーマンスを披露。当時でもかなり斬新なグループでした。プロデュースはワイルド・ワンズの加瀬邦彦だったとはビックリ。
メガネの板谷さんは目立ちましたね。アイドルがメガネって、当時はほぼ御法度でした。浜田さんは妙齢になってヌード写真集を出版。私は週刊誌の袋とじで拝見しました。
2000年代に3人で再結成した模様。

以上、私の独断と偏見で選ばせて頂いたラインナップ。如何でしたか?他に荻野目洋子、長山洋子、安田成美もこの年、アイドル歌手としてデビューしています。

私からすれば、少し年上のお姉さんを慕うような気持ちだったあの頃。40年経った今、やっぱり同じ感覚でいる自分に気が付きました。令和の日常に疲れては、時折掘り起こしてみるタイムカプセル。そこで光り輝く彼女たちは永遠です。これぞForever!


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