心において心を観つづける 中部#10 念処経 読了 その6 (心随観)
中部#10 念処経 読了記事のつづき(その6)です。
心随観
(心随観を修習する)比丘は、次のように心において心を観つづけて住む、と説かれています。A(という心の状態)を、A(という心の状態)であると知る、と。
Idha, bhikkhave ここに, 比丘たちよ
bhikkhu: m. 比丘, 乞者, 乞食者
sarāga citta: 有貪心
sarāga: a. [sa-rāga] 有貪の, 貪ある
citta: 心
(品詞が記載されていない)
‘sarāgaṃ citta’nti
"sarāgaṃ cittaṃ" iti
iti, ti: ind. 〜と, かく, とて
vītarāga: 離貪
vīta: a. [veti の pp.] 離れた, ない
pajānāti: 知る, 了知する
パーリ語釈: 増補改訂 パーリ語辞典 水野弘元 (春秋社)
修習者が観察する心の状態
「A(という心の状態)を、A(という心の状態)であると知る」のAとしては、以下のものが挙げられています。
貪りのある心 (sarāga citta)
貪りを離れた心 (vītarāga citta)
怒りのある心 (sadosa citta)
怒りを離れた心 (vītadosa citta)
愚痴のある心 (samoha citta)
愚痴を離れた心 (vītamoha citta)
萎縮した心 (saṃkhitta citta)
散乱した心 (vikkhitta citta)
大なる心 (mahaggata citta)
大ならざる心 (amahaggata citta)
有上の心 (sauttara citta)
無上の心 (anuttara citta)
安定した心 (samāhita citta)
安定していない心 (asamāhita citta)
解脱した心 (vimutta vā citta)
解脱していない心 (avimutta citta)
いくつかよく分からない心の状態がありますが、ここでは「大なる心」、「大ならざる心 」についてのスマナサーラ長老による解説を引用するにとどめておきます。
心随観の結果
身随観・受随観と同様に、心随観を修習した結果について解説されています。内容はほぼ同じです。
その6 まとめ
心随観を修習する時は、A(という心の状態)を、A(という心の状態)であると知る、と心において心を観つづけて住む。
心随観を修習して、内外の心において心を観つづけて、心において生起・滅尽の法を観つづける比丘には、〈心のみがある〉との念が現前し、かれは依存することなく住み、世のいかなるものにも執着することがない。
パーリ文: tipitaka.org
参考訳: パーリ仏典 中部 根本五十経篇I 片山一良 (大蔵出版)
これで心随観は終わりです。
つづく
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