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心において心を観つづける 中部#10 念処経 読了 その6 (心随観)

中部#10 念処経 読了記事のつづき(その6)です。


心随観

(心随観を修習する)比丘は、次のように心において心を観つづけて住む、と説かれています。A(という心の状態)を、A(という心の状態)であると知る、と。

比丘たちよ、ここに比丘は、
貪りのある心を、貪りのある心であると知ります。あるいは、
貪りを離れた心を、貪りを離れた心であると知ります。あるいはまた、

パーリ仏典 中部 根本五十経篇I 片山一良
第10 念処経
p.175

Idha, bhikkhave, bhikkhu sarāgaṃ vā cittaṃ ‘sarāgaṃ citta’nti pajānāti, vītarāgaṃ vā cittaṃ ‘vītarāgaṃ citta’nti pajānāti;

MN I 59
  • Idha, bhikkhave ここに, 比丘たちよ

  • bhikkhu: m. 比丘, 乞者, 乞食者

  • sarāga citta: 有貪心

    • sarāga: a. [sa-rāga] 有貪の, 貪ある

    • citta: 心
      (品詞が記載されていない)

  • ‘sarāgaṃ citta’nti

    • "sarāgaṃ cittaṃ" iti

    • iti, ti: ind. 〜と, かく, とて

  • vītarāga: 離貪

    • vīta: a. [veti の pp.] 離れた, ない

  • pajānāti: 知る, 了知する

パーリ語釈: 増補改訂 パーリ語辞典 水野弘元 (春秋社)

修習者が観察する心の状態

「A(という心の状態)を、A(という心の状態)であると知る」のAとしては、以下のものが挙げられています。

  • 貪りのある心 (sarāga citta)

  • 貪りを離れた心 (vītarāga citta)

  • 怒りのある心 (sadosa citta)

  • 怒りを離れた心 (vītadosa citta)

  • 愚痴のある心 (samoha citta)

  • 愚痴を離れた心 (vītamoha citta)

  • 萎縮した心 (saṃkhitta citta)

  • 散乱した心 (vikkhitta citta)

  • 大なる心 (mahaggata citta)

  • 大ならざる心 (amahaggata citta)

  • 有上うじょうの心 (sauttara citta)

  • 無上の心 (anuttara citta)

  • 安定した心 (samāhita citta)

  • 安定していない心 (asamāhita citta)

  • 解脱した心 (vimutta vā citta)

  • 解脱していない心 (avimutta citta)

いくつかよく分からない心の状態がありますが、ここでは「大なる心」、「大ならざる心 」についてのスマナサーラ長老による解説を引用するにとどめておきます。

Mahaggataṃ cittaṃ は大きくなった心。「広がった心」という意味に取っていいのです。心が大きくなっていて、すごく強くなっていて、集中力があって、元気なのです。… それから、amahaggataṃ cittaṃ あまり巨大化していない心。いわゆる普通の心です。

大念処経 ヴィパッサナー瞑想の全貌を解き明かす最重要経典を読む
アルボムッレ・スマナサーラ
心の随観 (一部省略)

心随観の結果

身随観・受随観と同様に、心随観を修習した結果について解説されています。内容はほぼ同じです。

以上のように、内の心において心を観つづけて住み、あるいは、外の心において心を観つづけて住み、あるいは、内と外の心において心を観つづけて住みます。また、心において生起の法を観つづけて住み、あるいは、心において滅尽の法を観つづけて住み、あるいは、心において生起と滅尽の法を観つづけて住みます。そこで、かれに〈心のみがある〉との念が現前しますが、それこそは智のため念のためになります。かれは、依存することなく住み、世のいかなるものにも執着することがありません。

パーリ仏典 中部 根本五十経篇I 片山一良
第10 念処経
p.176

その6 まとめ

心随観を修習する時は、A(という心の状態)を、A(という心の状態)であると知る、と心において心を観つづけて住む。

心随観を修習して、内外の心において心を観つづけて、心において生起・滅尽の法を観つづける比丘には、〈心のみがある〉との念が現前し、かれは依存することなく住み、世のいかなるものにも執着することがない。

パーリ文: tipitaka.org
参考訳: パーリ仏典 中部 根本五十経篇I 片山一良 (大蔵出版)

これで心随観は終わりです。
つづく

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